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#124 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

キャロルさんの奇跡講座レッスン124

元の講義はこちら→ https://youtu.be/7R1kb49zjwQ


Helloみなさん、レッスン124にやって来ました。

レッスンは、理解することではなく、実践することが目的であることを、私は皆さんに繰り返しお伝えしています。

また、このレッスンが現在形を使っていることにお気づきでしょうか。
これには理由があります。

なぜなら、もし私たちが将来、いつかこのような経験をすると言ったら、それは常に未来のことであり続けるからです。

私たちが言うこと/言われていることは、常に今、この瞬間なのです。

私たちが口にし、信じ、真剣に注意を向けているこれらの事柄は、私たちの配線を組み換えるための材料を提供しているのだということを覚えておいてください。

では、ここからが本番です!

「私はと一体であることを思い出そう。」
私は愛と一体である。
私は、愛である。

これは、「私はが創造したままの私である」つまり愛として存在している、というタイトルのレッスンにとてもよく似ていますね。

このように、レッスンでは同じ考えを非常に多くの、たくさんの方法で表現しています。

今日、私たちは、における私たちのアイデンティティ、愛としての私たちの実相に感謝を捧げます。
私たち住むの家、言い換えれば、私たちの実際の状態である体験は安全であり、何をするときも私たちの保護が保証されていて、私たちが引き受けるどんなことでも、力と強さが備わっています。何事にも失敗することはありえません。

私たちが触れるものはみな、祝福と癒しの光に輝く。そして、愛と一体となり、愛され、他のすべてのものと結合し、愛が私たちと共にどこまでも続くという思いに悦びを感じながら、私たちの道を進んでいくのです。
そうでないわけがありません。
愛とは私たちそのものなんですから。
自分の影から離れることができないのと同じことです。太陽の下にいるとき、それは消えることはありません。

「私たちの心は何と神聖だろう!」
〈神聖〉とは、私たちは神に由来するという事でしたね。
だから、私たちの心は神聖なものなのです。
そして愛が私たちであることを理解するなら、私たちが見るものすべてが、心に備わっている神聖さを映し出すでしょう。

何と簡単に誤りが消滅し、死が永遠の命に取って代わることでしょう。

ここから再び、詩的な表現で述べられます。

私たちの輝く足跡、私たちの人生が展開されるうちに、私たちがもたらす全てが、真理への道を指し示す。私たちがこの世界を歩む少しばかりの間、神/愛は私たちの同伴者なのだから。

そして私たちが運ぶ光はそこに留まり続けるので、私たちの後に続く人々は、その道がわかるでしょう。
たとえ、私たちが先へ進んでも、それは私たちとともにあるのです。

私たちが受け取るものは、後に続く人たち、先に行った人たち、今一緒にいる人たちへの(笑)永遠の贈り物なのです。

そして、愛、私たちを創造したときと同じ愛は、私たちに微笑みかけ、私たちが与えたこの幸福を私たちに授けてくれるのです。

わかりますか、今までも何度か述べてきましたが、これは時間や距離とは関係ないんです。

私たちは、自分という愛に満ちた存在を受け入れるのです。過去であろうと未来であろうと、あるいはこことは別の場所であろうと、すべては恩恵を受けるのです。

だから今日、私たちはの私たちに対する愛を疑わず、この保護と思いやりに疑問を抱かないようにします。

そして、私たちの信仰と、最終的にこの愛の臨在について自覚するまでの間に、無意味なエゴや不安など、狂った卑小なものを挟むつもりはありません。

この臨在は、実体のある驚くべき素晴らしいものです。知的な概念ではないのです。

私たちは今日、神とひとつである。
今日、愛と一体である。
そして、私たちはこれを感じることになる。
そして、それを今、感じることになるのです。
今、現在形です。
すべてがいつでも現在形です。

私たちの心には愛に満ちた想念を内包し、私たちの目は、見るものすべてに愛らしさを見出すのです。今日、私たちは愛に溢れるもの、愛すべきものだけを見るのです。
これは選択的知覚が働くということです。

これが私が見たいと決めたもの。
これが私が見たいと決めたものであり、私は、他のどんな外観の下にも愛だけが存在することを見ようと強く求めるのです。

それからレッスンは、外観について語ります。

「私たちは苦痛のごとく見えるものの中にそれを見るとき、苦痛は平安に場所を譲る。」

私たちはこの愛を見るとき、狂乱に陥ったようになっている人、悲しんでいる人、悩んでいる人、孤独な人、恐れている人が、突然、なぜか静けさと心の平穏を取り戻します。

私たちがそれを、死にゆく者、死んだ者にもこの愛を見ることができる時、彼らは生命を取り戻します。

これらはすべて、私たちが最初に自分自身の内側に見たものだからです。

私たちは、自分が何者であるのか、何にアクセスできるかについて、心の中を変え続けているところです。

愛とひとつであることを知る者にとって、どんな奇跡も拒否されることはありません。
なぜなら、結局のところ、奇跡とは、私たちが心の底から愛の臨在に気づくことを可能にする、知覚の変化なのですから。
だから、彼らのどんな想念にもあらゆる形の苦しみを癒す力があるのです。

また、過ぎ去った時も、これから来る時も、今ここにいる人たち、別の場所にいる人たちにも、時間も距離も関係ないと述べられています。
なぜなら、私たちは皆、実はたった今、一つの意識だからであり、時間とは無関係だからです。それは、私たちがいるように見える幻覚の中でこしらえたものの一部です。

私たちは愛とひとつであると言う時、私たちはこの自覚、あるのは愛しかないというこの自覚を共にするのです。

この言葉の中で、私たちは実際に自分が救われ、癒されたことを実感し、そしてそれに応じて救ったり癒したりすることができるからなのです。
私たちは受け入れたので、今、与えることができるのです。

もう一度言いますが、与えること、受け取ること、差し出すること、保つこと、これらすべてが、ここまでのレッスンを通して中心的なこととなっています。

これによって私たちがいる幻覚から抜け出すことができるのです。

目が覚めるまで、愛を与え続け、愛を与え続け、愛を与え続けるのです。

この贈り物を持ち続けたいから、それを手放すのです。

私たちが自分自身が解放されるのを許すとき、
私たちの経験の中で、世界は解放されます。

私たちがからの分離を否定するとき、言い換えれば、私たちが発明した卑小なエゴが究極の存在であることを否定するとき、エゴが私の主要なアイデンティティであることを否定することになります。
そしてそうするとき、すべてが癒されます。

今日、私たちの上に平安あれ。

自分が愛とひとつであるという自覚をする練習を行うことで、その平安を確保しましょう。
私たちは私たちを創ったものと一体であり、愛の表れなのです。

では今日、どこかの時間に、私たちは愛とひとつである、愛が私たちであり、私たちのプレゼンスとは、愛のプレゼンスなのだという概念に、30分ほど時間を割いてみてください。

そして、今回初めて、特別な指示もなく30分の練習を行うのだと説明されます。

ただ静かにして、語ってくれるだろうということ、想念を与えられることになるという事を、知っていましょう。

言葉というよりも、感覚がつかめるはずです。

「今日はこのワンネス/一体性の真理を体験したい。」

そのために必要なことは、これだけです。
ただ静かに耳を傾けるのです。
それがあなたにもたらされるでしょう。

そしてレッスンは、「何も起こらないように見えても、あなたの恩恵が少なくなることはない」のだと知らせて、安心させてくれています。

今日、私たちはこのことを受け入れる準備ができていないかもしれなくても、いつか、どこかで、そのことに気がつくでしょう。
そして、そのとき、それを認識できないことはないでしょう。

この30分間は、おお!「黄金の額縁に収められる」ことになりますが、これは明らかに比喩ですよね。

この練習を行う1分ごとが、「鏡の周りを飾るダイヤモンドとなる」と述べられていますが、鏡とは、明らかに世界に反映されている自分を見るということです。
「そしてあなたは、その鏡の中に、あなた自身の顔を映すキリストの顔を見るだろう。」

ここでは、私たちが共感できる概念や何かを使って、私たちにとっての、計り知れない価値があるものを表現しようと試みているのです。

今日、あるいは明日、いつもの日常を送る世界の中に、私たちは自分自身の変容を見ることになるでしょう。

変容とは、突然の輝きの放射であり、あらゆるものの中に突然光を見出すことです。

さあ準備ができたら、この現象が起こるのを発見しましょう。

それは、私たちの心の中にあって、発見されるのを待っています。この輝きは私たちの心の中にあるのです。
私たちはそのとき、今日の概念のことを思い出すのです。

ああ、ありがたい!これ以上に素敵な時間はないでしょうね!

今日あるいは明日、あなたは自分の世界を見渡し、あなたが見るこの罪のない、精妙で、無垢な、美しい光があなたのものであることを理解するでしょう。

あなたが目にする愛らしさは、あなた自身のものです。

この30分間は、ただ静かにして、何が起こるかに耳を澄ませ、への贈り物と見なしましょう。
その返礼は、愛の感覚であると確信してください。
あまりにも深くて把握できないほどの悦び、神聖すぎて肉体の目には見えない光景を、あなたは理解することができません。
しかし、いつか、もしかしたら今日、あるいは明日、ある時点で、あなたは理解し、腑に落ち、見ることができるでしょう。

あなたは真実の自分を見ているのです。

「黄金の額縁にさらに宝石を加えよう」とは、この練習の価値を示そうとしているのです。

毎時間、このように繰り返します。

「永遠の神聖さと平安の中で、私はと一体であることを思い出そう。私は愛そのものであり、すべての兄弟と、私の自己と、ひとつなのだ。」

とても重要な概念です。
あなたが素晴らしい平和な練習をすることを祈っていますよ!
この言葉を本当に心に刻み、あなたの配線を変えていってください。

それでは、今日も良い一日を。
グッバ〜イ♪


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