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#185 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※ ワークブック訳は"There Is No Spoon "https://thereisnospoon.jp/blog-entry-822.html と、「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参考にしています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン185 元の講義はこちら→ https://youtu.be/JgIsQgjno7Y


ハロー親愛なる皆さん、今日はレッスン185
私は神の平安を望む。私は本当の愛からもたらされる平安を望む」です。

冒頭からこのように切り出されます。
「この言葉をただ口にしただけでは何の意味もありません。それを本気で言うことはすべてに値します。もしあなたがほんの一瞬でもそれを本気で言うことができるなら、もはやいつどこにいても、どんな形においても、あなたに哀しみはあり得ません。


天国(ひとつにつながること)は再び完全に自覚され、についての記憶はあますところなく取り戻され、すべての被造物の復活が十全に認識されるでしょう。

この言葉を本気で言って癒やされないものはいません。彼が夢と戯れることも、自分自身を夢だと思うこともあり得ません。自分で地獄を作り出し、それが実在すると思うこともあり得ません。彼はの平安を望み、そしてそれが与えられます。それが彼の望むすべてであり、受け取るすべてだからです。

多くの人がこの言葉を口にします。しかしそれを本気で言った人はほとんどいませんでした。本気で言う人たちがいかに少ないかを確かめたければ、あなたの周りに見える世界を確かめさえすればよいでしょう。

誰であっても2人の人が、この言葉は自分たちの望む唯一のものを表現しているということに意見が一致するなら、世界は完全に変容するでしょう。」

ここでの重要ワードは「唯一の」というところです。なぜなら、私たちは普段、「ええ、私は神の平安を望んでいます。それにアレとかコレ、あとこっちも。あと、自分の気に入るようにしたいです」という具合ですから!

「ひとつの意図をもったふたつの心は非常に強力となり、彼らが意志することは意志(被造物/クリエイション)とひとつになります。真理の中でのみ、心と心つながることができるからです。

夢の中では、2人の人が同じひとつの意図を共有することはできません。それぞれの夢の主人公はちがっていて、望まれる結果も双方にとって同じではないからです。損失に対する利益の比率と、利益に対する損失の比率が異なった側面や別の形に現れて、敗者と勝者がさまざまなパターンで交替するだけです。」

言い換えると、エゴの夢のヒーローである私たちは皆、それぞれに違う企みを持っているのです。たいてい私たちが望んでいるのは、自分の企みをうまく行かせるために他の人を使うことなんです。

「しかし夢がもたらすことが出来るのは、妥協だけです。時にはそれが融合という形態をとることもありますが、それは単に形においてだけです。

夢のゴールは(平安ではなく)妥協することなので、その意味は必ず夢から抜け落ちます。」

そうすることで、私たちはエゴを安全に保とうとしているのです。

「心と心は夢の中では融合することはできません。ただ駆け引きをするだけです。そして一体、どんな駆け引きが私たちにの平安をもたらすことができるでしょう。

幻想が神の座を奪うことになります。自分の利益(自分の思い通りにしたいというエゴ)と他者の損失のために妥協しようとする眠った心には、/愛が真に意味するものが見失われてしまうのです。

の平安を望むと本気で言うことは、全ての夢を放棄することです。

この言葉を本気で言う者はら誰も幻想を望まないし、それゆえに幻想をもたらす手段を追求することもないからです。

その人は幻想を眺め、それらには何かが欠けていることを見出しました。彼は、別の夢を見たところで他のすべての夢以上に何かをもたらすことはないと認め、今やそれらを超えて前進します。

彼にとってひとつの夢があるだけです。そして彼は(さあ、これをよく聞いてください!)どの夢もほかの夢と同じ絶望と悲惨をもたらすだけで、その違いは形だけだと学んでいるのです。」

テキストの最後の章にこんなふうに書いてある箇所があります。
中には人生の初めに幸せでうまくいっている人もいれば、最初から不幸で苦しみに満ちた人生を送る人もいる。しかしいずれにせよ、最終的には、すべての人が絶望する場所にやって来る。人はこれまで希望を失って死んできた。しかし、その時こそが私たちが最大の利益を得る時になり得るのです。なぜなら、私たちはようやく世界は私たちが探しているものを与えてはくれないことを悟るからであり、そしてそこでこそ、私たちがもっとも高みに至ることができる、至福を感じることができる可能性が見えて来るのです。
このレッスンはその学びについてのレッスンなんです。

「平安こそが自分の望むすべてだ、と本気で言う心はら必ずほかの心とつながることになります。ほかの心とつながることが平安を得る方法だからです。」

平安が得られるのは、愛のある場所なんです。

「平安を求める願望が真のものである時、平安を見いだす手段は、それを誠実に探し求めるそれぞれの心が理解できる形で与えられます。

私たちが真摯に求めているなら、レッスンはどのような形を取るにしても、私たちが見間違うことのない形で計画されています。しかしもし私たちが真摯に求めないなら、(私は神を一部分求めます、あと他のものも欲しいわ、なんて言うのなら)そのレッスンが受け入れられ、真に学べる形は存在しません。

今日は、自分の口にする言葉を自分が本気で言っていると認識する練習をしましょう。

私たちはの平安を望んでいます。これは空疎な願望ではありません。この言葉は、ほかの夢が与えられることを要請するものではありません。それは妥協を求めているのではなく、また、ほかの駆け引きの全てが失敗に終わっても、まだ一つくらいは成功しそうだという希望のうちに、また別の駆け引きを試そうとするものでもありません。

この言葉を本気で言うということは、幻想が空虚だと認めることであり、(幻覚は充足をもたらさないと知ることであり、)儚い夢の代わりに、永遠を求めることなのです。移り変わる夢は色々なものを与えてくれるように見えても、それら自体が虚無であることに変わりはありません。

今日の練習では、あなたが依然として大切にしている夢を探し出すために、心の中を念入りに検索します。

ハートの中で、あなたは何を求めているのでしょうか。願いを立てる時に自分が使う言葉のことは忘れてください。」

私たちは何を望んでいるのでしょうか。何に意識を傾けているのでしょうか。何が自分に安全をもたらしてくれると思っているのでしょうか。

「何が自分に慰めと幸福をもたらすと信じているかだけを、よく考えなさい。しかしいまだに残っている幻想を目にしても、狼狽してはなりません。今や問題となるのはそれらの形ではないからです。

また、いくつかの夢を容認しておいて、ほかの夢は恥と秘密だとして取っておくということの無いように。それらは同じひとつのものです。

ひとつのものなのだから、その全部に対し、ひとつの問いが問われなければなりません。「これが、天国や神の平安の代わりに私が望んでいるものだろうか」と。

これがあなたが行う選択です。
そうではないという思い違いをしてはいけません。ここではいかなる妥協も不可能です。

の平安を選ぶのでなければ、夢を求めたことになります。

そして夢はあなたが要請した通りにやってくるでしょう。しかし、の平安も同じように静かにやって来て、あなたのもとに永遠に留まるでしょう。

それは、道が曲がりくねるたびに姿を消すことはなく、あなたが一歩進むごとに同じものとは認識されないさまざまな形で再び現れることはありません。

私たちはの平安を望んでいます。そして、夢を追求しているように見える全ての者たちも、同じです。心の底から真摯にこれを願うとき、あなたは自分のためにも彼らのためにも、これだけを求めているのです。なぜなら、そのようにして、あなたは彼らが真に欲するものに到達し、あなた自身の意図と、彼らが求めているものとをひとつに結びつけるからです。彼ら自身が自分の真に求めているものを知らなくても、あなたにはその確信があるのです。

これまであなたは時々、目的が不確かとなり、自分が何を望み、どこにそれを探し、どこにその助けを求めたらよいかわからなくなり、弱くなることがありました。

それでも助けは既に私たちに与えられています。あなたはそれを分かち合うことで、自分のために役立てたくはないでしょうか?」

覚えていますか?
他人を罪人だと裁く代わりに、彼らが平安を感じるのを助けるならば、その時また私たちも平安の中に錨をおろすのです。

の平安を真に探し求める者が、それを見つけられないはずはありません。彼はの意志を自分自身に拒むことによって自らを欺くことは、もうやめたいと求めているだけだからです。既に持っているものを求めて、満たされない者がいるでしょうか。与えるために与えられている答えを要求して、回答が得られない者がいるでしょうか。

の平安は、あなたのものです。」

今や私たちは平安を他の人たちにも渡せるようになりました。彼らから何か奪ってやろうとする代わりに、他人のためにそれを望むことができるようになったのです。

「平安はあなたのために創造され、平安の創造主からあなたに与えられ、創造主の永遠なる贈り物として確立されました。

があなたに意志しているものをあなたが求める時、どうしてあなたに失敗があるでしょう。

あなたのそうした要請が、どうしてあなたのためだけのものとして限定されるでしょう。の贈り物で共有されない者はありません。この属性こそが、真理の座を奪ったかに見えたすべての夢との贈り物とをはっきりと区別します。

の贈り物が誰かによって求められ、受け取られたとき、失う者はひとりもなく、必ずすべての者が恩恵に浴すのです。はひとつにするためだけに与えるからです。

奪うことはにとって無意味です。そしてそれがあなたにとっても同じように無意味になるとき、ひとつの意志を自分がと共有していると同時に、が自分と共有しているということを、あなたは確信することが出来るのです。

そしてまた、自分と同じ意図を持つ兄弟全員とひとつの意志を共有していることも知るでしょう。

今日、私たちが追求するのはこのひとつの意図です。それは私たちの願望を、すべてのハートの必要性と合一させ、すべての心の叫び、絶望の向こうにある希望、攻撃が隠そうとする愛、そして、憎悪が切り離そうとしたけれど今も神が創造したままに続きている兄弟愛とを合一させるでしょう。

このような助けがありながら、今日、私たちが/愛の平安を頼んでそれが得られないということが、あるでしょうか。」


もちろん、そんなことはありませんね。
美しいレッスンです。
一日中これをあなたの心に携えていてください。また明日ここに集まりましょう。
そして、継続することを継続してね⭐︎

ではまた!


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