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キャロルさんの奇跡講座レッスン #46

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖

キャロルさんの奇跡講座レッスン46
元の講義はこちら→ https://youtu.be/TIGD65ELPG0

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ハーイ皆さん、やって来ましたね。
今回のレッスン46は、

「神は愛であり、その愛の中で私は赦す」

さて、今回レッスンにおいて初めて「赦し」について語られます。
「赦し」は「許し」という意味ではないことを念頭に置いておいて下さい。「許し」とは、「あなたは私の領域を侵害し、私を傷つけるようなことをしましたが、私はあなたを許します、私はふたりの内の良い方の人間で聖人君子です、だからあなたが行ったことを見逃してあげます」のようなことであり、「赦し」は全くそんなものではありません。

赦しとは、私達が解放されることです。

レッスンはその最初にこう述べています。
「神/愛が赦すことはありません。なぜなら、神は一度も咎めたことなどないからです。」
もちろん、赦しが必要になる前に、私たちの幻想世界では罪の宣告がなされることが大前提にあります。そして次の一文でこれが明らかになります。
「したがって、赦す者たちは、自分たちを幻想から解放している」

ですからいつも赦しは自分自身の解放だということを結びつけて考えてください。私達が咎めているのは自分自身なのですから、赦しが必要なのは自分自身なのです。

そしてレッスンはこのように述べます。
「たとえ愛が赦すわけではないにしても、それでもなお、愛こそが赦しの基盤です。」

知っておいて欲しいのは、あなたは実相世界では愛の姿として知られている者だということ。そう、それが知られているあなたの姿。だから、本当のあなたは解放や何かを必要とすることはあり得ないのです。私達がこの世界の中で自分自身について思いこんだ姿だけが、赦しを必要とするのです。

さて、赦しとは、恐怖が生み出したものをただ元に戻すことだけだ、と書かれています。

恐怖は単に愛の欠如であることを思い出してください。愛の欠如によって私達は、愛を知覚するところまで戻るためにいくつかの概念を手放す必要のある立場に置かれました。そうした概念を手放すことによって愛の障壁になっているものが取り除かれたら、あなたは再び愛を知ることができます。それは完全に理にかなっていますよね。

そしてその過程で、私たちが信じている真実ではないこと、恐怖に駆られた幻想などは消えていきます。

手放すとは、恐怖を取り除くことです。恐怖が取り除かれると、すべての悩み、痛み、苦しみなどの幻想も必然的にそれと一緒になくなります。

今日は5分間の練習を3回、その間に何度か短い実践を行います。

そして、いつものように2分間ほど自分の心の中を探り、あなたがまだ赦せていない人物を見つけます。きっと2分もかからず見つかるはずですね(笑)

「あなたがどれだけ彼らを赦したか、赦していないかは問題ではない。あなたが彼らを完全に手放したか、全く手放していないかのどちらかである」と、レッスンは私達に念を押します。

そして、あなたがまだ相手や自分に対して何かを抱いているかどうかは、あなたの相手への対応、つまりは自分自身への対応でわかるのです。というのも、常に心に留めておいて欲しいのですが、他人の中に見える気に入らないものは、私が自分の中でそうであることを恐れているものだからです。典型的な投影の入門編ですね☺

それは私が気づいていない無意識の中にあるかもしれませんが、それでも私が他の誰かの嫌いなところは、自分の中にあるだろうと恐れている何かです。だから、その人を違う見方で見て、解放することは、私を解放することにつながるのです。

オーケー、まず最初に人物を選んでから、次はこのように言ってください。
「神は愛であり、その愛の中で私はあなたを手放します、赦します。
私が個人的にこれを行うことはできません、これを行うのは愛です。
愛がこの解放を可能にするのです、私がようやく愛の目を通して見ることができたときに。」

これは確かに必修のコースですよ。

そして残りの練習時間は「神は愛であり、神の愛の中で私は自分自身を愛する」のように、関連する考えを付け加えることに専念すると書いてあります。

「あなたを解放することは、私自身を解放することです。」

「あなたをより愛情深く、寛大な方法で見ることは、自動的にやがて私自身をも同じように見れるようになるでしょう。だから、私は私たち両方に感謝することができます。」

あなたはこの概念を変更した形で応用することができますが、中心的な考えは維持する必要があります。さて、レッスンで最初に挙げられている例は、
「私は神の子なので、罪を犯すことが出来るはずがない。」です。
これは「恐れを手放し続けることで、それに気づけるようになる」ということ。

これはとても重要なことです。なぜなら、私は創造主とまったく同じ属性を持っているからです。それを愛、偉大なる神秘、ありとあらゆるもの、何と呼んでもいいですが、私たちの個人的な特性は、私を最初に創造したものと同じに違いありません。自分に罪があるかのように装うことは、神が有罪であると言うことであり、それはとんでもない考えです。

私は愛と結びついているので、私に罪があるはずがないのです。

この最初に挙げられた概念ひとつとっても非常に重要なものです。
さらに、「私はすでに解放されている。」
「神に愛されている心には恐れはない」
つまり、愛に満たされた心には、恐れはないのです。恐怖は単に愛の不在であり、私が愛で満たされているならば、恐怖がここに存在することはあり得ません。それは部屋の灯りを点けたら暗闇がなくなるように、暗闇には実体がないのと同じです。

「愛が私を赦しているので、攻撃する必要はありません」
言い換えれば、私が自分の問題だと恐れていることから解放されれば、攻撃する気持ちは全くなくなるのです。

そして、この練習の最後には今日の主題概念「神は愛であり、神の愛の中で私は赦す」と述べて締めくくります。

そして、もしあなたを苛立たせる誰かが現れたら、ただちに「神は愛であり、神の愛の中で私は赦す」、あるいは「神の愛の中であなたを解放する」、と言いましょう。私のお気に入りは「神の愛の中で私たちの両方を解放する」です。だって赦しはオール・オア・ナッシングの命題なので、私達双方が解放されるか、誰も解放されないかのどちらかですから!

素晴らしい一日を!
バイ♪


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