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#281 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※ ワークブック訳は「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参照しています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン281
元の講義はこちら→https://youtu.be/ZD8Z9FaY2Pw?si=SgtkDL6E6ufTfZIV


ハーイ皆さん😃今日も素敵な1日を過ごしているかしら?

ワークブック第二部のミニ・セクションである今回のテーマはこちらです。

7.聖霊とは何か

さて、読み進める前に言っておきたいの。聖霊のことを、このように考えてみてください。声、ある種の気づき、心の中の思考プロセス、またはどこへ行くべきか、何をすべきか、何を言うべきかを教えてくれるガイド。あなた自身の心の中で、その時々に応じて必要なことを教えてくれる「知っている」という感覚。

そう、この〈聖霊〉とは実際、機能のことです。これを認識するためには名前が必要ですから、それを〈聖霊〉と呼んでいるんです。聖霊は私たちの「正しい心」の部分にあります。

コースはしばしば「間違った心」について言及しますね。それはエゴのホームであり、「分離した自己」であり、「私という物語」です。それに対する「キリストの心」である「正しい心」に聖霊はいて、ウロウロしてるのね(笑)聖霊は片方の足を「間違った心」に置いて、両方の仲介役をしています。

1.聖霊は幻想と真理の間を仲介する。聖霊が実相と夢の間の隔たりに橋を架けるので、知覚は、神が聖霊に授けた恩寵を介して、智識へと行きつく。

実相/リアリティとは私たちの真実の姿のことであり、夢とは私たちが作り出した「私という物語」ね。
聖霊は私たちが何を真実だと思い込んでいるかを知っているし、また、本当の真理についても知っています。ですから、聖霊とは、その隔たりの間に橋を架けて、真理を求めて頼ってくる人たちを助けてくれる贈り物なのです。

この恩寵は、真理を求めて聖霊に頼るあらゆる者への贈り物として神が聖霊に与えたものである。聖霊が架ける橋を渡って、すべての夢は真理のもとへと運ばれ、智識の光の前で一掃される。そこでは、情景も物音も永遠に消え去る。以前そうしたものが知覚されていた場所で、赦しが静かに知覚を終わらせる。

コースは私たちの知覚をクリーンアップするためのものだということを、覚えているかしら?

知覚とはもちろん、聴覚・視覚・嗅覚・触覚を通じて私たちが受け取るものですね。言い換えると、今の私たちに見えているような形象の世界を形作っているものです。私たちは知覚によって認識するという力を作り上げたことによって、この世界を生じさせているのです。

〈智識〉はこのコースの範囲を超えたものです。というのも、〈智識〉には知覚という道具は必要ないからです。〈智識〉に肉体は関係ありません。

最終的に真理を、〈智識〉を経験できるようになるためには、私たちは知覚を浄化して浄化して、浄化しなければなりません。

そして赦しのプロセスこそが知覚を清めるための道であり、その道の先に、知覚が鎮まって、真理を直接的に体験するところがあるのです。

2.聖霊の教えがゴールとして設定しているのは、このような夢の終わりのみである。情景や物音は、恐れを証しするものから愛を証しするものへと再解釈されなければならない。

なぜなら今、あなたが咎めや裁きの目で見ているものはとても恐ろしい光景だからです。この変容が完全に達成された時、つまり四六時中恐れを感じている状態から常に愛を感じている状態へと変わった時、

これが完全に成し遂げられたときには、学びがもつ唯一の真のゴールが達成されている。聖霊が知覚している通りの学びの成果へと聖霊によって導かれるとき、学びは、それ自体を超えて進み、永遠の真理へと入れ替わるための手段となるからである。

もし自分が何か特別な存在になるために学んでいるのだとしたら、そこには何の意味もありません。聖霊にあなたの学びを導いてくれるよう委ねたときに、私たちは真理へ向かって歩み始めるのです。

3.父がどれほどあなたに自分の無罪性を認識させたいと望んでいるか、あなたが知ってさえいれば、あなたは神の声の訴えを無駄にしようとはしないだろう。また、自分で作り出した恐ろしい形象や夢の代わりに聖霊から与えられるものに、背を向けようともしないだろう。あなたが永遠に達成不可能なものを達成しようとして作り出した手段を、聖霊は理解している。そしてあなたがそれらを聖霊に差し出すなら、聖霊は、あなたが故郷を離れてさすらうために作り出した手段を用いて、あなたの心を真にくつろげる我が家へと戻してくれるだろう。

「成功して、特別である、他とは別個の〈私という自己〉」という、あなたが作り出した手段(笑)を聖霊に差し出すなら。

4.神により智識の中に置かれている聖霊は、そこからあなたに向かって呼びかけ、あなたが自分の夢を赦し、正気と心の平安を取り戻すようにと促す。赦しがなければ、あなたの夢はいつまでもあなたを脅かし続けるだろう。

あなたが外側の世界に間違っている事ばかりを見つけようとするならば、それは自分の過ちとそれに下される罰に対する恐れに油を注ぐだけとなってしまいます。

また、夢の終わりを示す父の愛が、すべて思い出されることもないだろう。

ですから、

5.父の贈り物を受け取りなさい。それは、愛がただ愛そのものであるようにという、愛から愛への呼びかけである。聖霊が神の贈り物であり、それにより神の愛し子に天国の静けさが取り戻される。神はあなたが完全であることだけを意志しているのに、あなたは神を完成させるというはたらきを担うことを拒みたいのだろうか。

なぜあなたは宇宙のあらゆるものを含むプレゼンスであることを拒んで、特別なで他とは違う、他よりも優れた、切り離された自己であろうとしているんでしょう(笑)?

聖霊とは、思考プロセスであり自覚であり、自ずと生じる直観、導きであり、それは常に愛から生じていて恐れとはまったく関係のないものです。

いいかしら?ではレッスンに進むわよ!

レッスン281
私の想念以外に、私を傷つけるものはない。


私の考えていることが、私の世界に形として現れているんでしたね?私の考えていることと私の世界は、細かい点に至るまでまったく同じものなんです。

ですから外の世界で起きていることが私を傷つけているように見える時は、そうよ!世界は単に鏡であり、内側の反映です。これはいくら強調してもし足りないわ。だって、もしあなたが世界はあなたとは関係のないところで起きていると考えているとしたら、あなたはそれに振り回されるでしょう(笑)
だから覚えておく必要があるのよ、「私を傷つけることができるのは私の考えだけだ、考えは形として現れて私を傷つけることがある。しかし、それは私の思考が行ったことなんだ」と。

1.父よ、あなたの子は完璧です。

完璧よ!

自分が何らかの形で傷ついていると思うとき、それは私が、自分が誰なのかを忘れ、あなたに創造されたままの私であることを忘れているからです。あなたの想念は私に幸福のみをもたらします。

この太文字の想念は実相/リアリティのことです。

もし私が悲しんでいたり、傷ついていたり、病気であったりするなら、私はあなたが何を考えておられるかを忘れてしまっているのです。

あなたの考えとは、神が認識している私たちの姿のことですよ。

あなたの想念が属すところ、今も存在しているところに、私の卑小で無意味な概念を置いてしまったのです。私は自分の考えること以外の何によっても、傷つくことはありえません。あなたと共に私が思考する想念は、祝福をもたらすのみです。あなたと共に私が思考する想念だけが真実のものです。

太文字の想念、愛の想念、私が神/真理と思考する考えだけが本当の考えです。切り離されたエゴの私、私というストーリー、私がずっと自分だと思って信じ、学習してきたことは、真実ではありませんでした。

2.私は今日、自分自身を傷つけない。私はあらゆる苦痛をはるかに超えて存在するからである。父は私を安全に天国に置き、私を見守っている。神が愛するものは私の愛するものでもあるのだから、私は神が愛する神の子を攻撃しない。

あるもの全てを愛するようになればなるほど、愛される経験をし、安心できるようになります。そして、わが家で寛ぐのです。

何度も何度も繰り返し思い起こすべき、とても大切なレッスンです。

自分の思考以外、私を傷つけるものはない。

思考を浄めることで、私は安心するようになる。

美しい実践の1日を!
そして安心を。
ふふっ😊
バーイ♪


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