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人間のカテゴライズに興味がない

ーーんだよなって、ふと思ったので覚書です。
人間に限らずだけど、万物はカテゴライズされている。
例えば生き物は、人、虫、動物、植物、のように。
大分類、中分類、小分類、と仕分けしていけば、それはもう隅々までカテゴライズされていると思う。

「人間」という種類の生命体に対してもそう。
日本人、アメリカ人、リヒテンシュタイン人、とか
男、女、LGTBQ、とか
ADHD、ASD、LD、とか

私は、そういう人間のカテゴライズに興味がない。

例えば、LGTBQの方々を支援しよう!とか
発達特性をもつ人を支援しよう!とか
恵まれない国の子どもたちに募金を!とか
誤解を受けそうな言い方を、あえてするとすれば、興味がない。

それは、そのことや、そういう支援を行う人達を否定するつもりは一切なくて
その行為や貢献の素晴らしさはも理解していて、
周囲にもそういう支援を行っている人はいるし、その人たちのことは大好きだ。
あくまでも、私の、個の話、個の興味においての話。

なぜ興味がないかと言えば、タイトルの通り、人間のカテゴライズに興味がないからだ。
カテゴライズされたその分野に対して、でなくて
私は、その人が誰であるか?のほうが大切だからだ。

例えば、私がいつもお買い物をするお店にAさんという方がいるとして
そのAさんは私がお伺いするといつもにこやかにご挨拶をしてくれて
買い物をするときには、その品物のことを丁寧に教えてくれる、そんなAさん
が、ゲイである。とか。
そういう感覚。

ゲイだったらなんなのか?と言われれば、何でもなくて、私にとって大切な存在であるAさんの所有する属性のひとつでしかない。
そんな感覚。

カテゴライズされるよりも手前の、その人という個のことを知りたいし、個のことを大切にしたいと思う。
(再三申し上げるが、特定のカテゴライズに対する支援を行っている人たちに対してネガティブな思いを抱いていることは、決してない。それはとても素晴らしい行為だと思うから。)

ようやく占星術の話に至るのだけど、だから私はホロスコープが好きなんだな。と思う。
大いなる星空の下では、人は、ただ一人の個でしかなくて、それは大宇宙を構成する一欠片でしか無い。
ホロスコープを見て、「この人はADHDだな」とか「レズビアンだな」とか分類することはない。
(強いて言えば、ホロスコープの持ち主自体がその理由を見出すことはあって、それはとても良いことだと思う。)

この世でたった一人の存在を、星の形で映し出す、そんなホロスコープが、私は大好きです。

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