今まで生きてきた私の人生〜専門学校、新たな出会いからの病名追加そして別れ編〜

どうも、こんばんは。
さくらです。

ここ数日いろいろありすぎて更新出来ませんでした…。すいません


前置きはこの辺にして、本題行きましょうかね。

初回〜前回までの記事をご覧になってない方はそちらを先に読むと話が繋がりますよ!

今回は、専門学校編。
実をいうと本当は地元の四年制私立大学を志望してました。でも、私の夢が「臨床心理士(現在では公認心理師という国家資格になってますが、どちらも心理士というのは変わりません)」を目指していたので、その大学に専攻があったし、中学の時カウンセリングしてもらってたスクールカウンセラーの先生がその大学の専攻の准教授だったのをこの時に知りほぼ行くのは確定してたほどです。だけど、ここで出てくるのがもちろん学費問題。四年制大学でしかも私立。奨学金制度は利用するつもりだったので、その手続き?とかも担当の先生とやったりしてたけど、四年行けたとして卒業したらそれまで借りてた奨学金の返還があります。返還が大変になるなぁと思い、調べていたら、臨床心理士ではなく、社会福祉士を養成する福祉系専門学校を見つけました。地元からはかなり遠かったけど、オープンキャンパスとか行ったりして先生方や在校生の方たちとお話したりして、「ここに行こう」って決めました。
入試は指定校推薦で、時期は10月か11月くらいだったと思います。まぁ入試前は不安定になることも多々あったので、高校の進路担当の先生から、先にいろいろ専門学校側に伝えてくださったみたいで、入試当日、大雨で大変だったけど、無事に何事もなく試験を受けることができ1週間後に合否が分かるとのこと。合格したのを知ったのは高3のHR担任からのSMS(笑)場所がまさかの自動車学校が終わって今から高校まで送迎してくれる送迎車の中でした(笑)これは後日談ですが、私の合格通知をわざわざ社会福祉科担当の先生が持ってきてくださったそうです。それを聞いたときはさすがに驚きでしたね(笑)

はい、話が過去にタイムスリップしましたね笑
元に戻します。


私が行った福祉系専門学校は社会福祉科を含め4つあり専攻科が2つありました。
幼児から高齢者、そして障がいを持たれてる方も同じように大切にする。
そんなプロセスがあるような学科が揃ってました。医療、保育、福祉。今の世の中では欠かせない存在の分野ですよね。

でも、私が思ってたプロセスとは遠くかけ離れてたのに気付くのはそう遅くなかったです。

まぁ、もちろん私が持ってる障害等も勉強しますよね。それがいけなかった。より詳しく説明する分野、簡単に説明する分野様々で、当事者である私は腑に落ちないんです。
そして、児童から高齢者まで、範囲が広すぎる。
専門学校に行きだしてからは、ホントに楽しいことばかりで、私が居た学科は特に人が15人も居なくて少人数だったので人混み無理な私にとっては環境は良くて、クラスのみんなもすごい優しくて、私に何かあったらすぐ先生を呼んでくれたり、介抱してくれたり至れり尽くせり状態でした。

でも、他の学科との合同講義や、全学科参加の出前講座という名の講義(講話)。もちろん人が多いですよね。その時は、さすがに無理でパニックばかり起こして、めまいで倒れそうになったところを周りに助けられたり、気持ち悪くなってトイレに駆け込んで吐いたり…
気付いたときには、大人数での講義、講話でなくても起こるようになってて、教室で倒れたり、過呼吸なったり…
クラスのみんなは、そんな私をすごい心配してくれて話聞いてくれたり、講義で分からんかったところを教えてくれたりしてました。
その反面、先生方(特に担任(社会福祉主事持ち))からは、怒られる、言い争いになるetc.....

この時点で、電車の中でも発作が起きるようになってたので同じ地元から通ってた、中学の時の同級生に頼んで、行き帰りは隣に座ってくれるようになりました。行きの電車でキツくなって、最寄り駅に着いた時にはフラフラで駅で少し休まないと歩けないほどにまで追い詰められてました。


担任からは、ホントにいろいろ言われて、あの時感じたプロセスの意味は何やったんやろ。って思いました。過呼吸になってもパニック起こしても「いい加減にしなさい」私が発作起こすとこの言葉は必ずでした。「伝えたところで何も変わらない」そう思い始めたのはこの時からです。

2年生の担任(社会福祉士持ち)は、優しくもあり面白くもあり厳しくもありって感じで、私には決して無理はさせませんでした。「今日の講義は、ちゃんと聞いて欲しい分野をするからキツくなったら伏せていいけん出席して欲しい」こんな感じです。

でも、私の心は持ってくれませんでした。
ある日の通院日、先生に症状を話すと「パニック障害」そう言われ新たな二次障害を併発した瞬間でした。
発作を抑えるというおかしな癖がついてしまったのもこの頃です。今では抑えることすら考えませんが、特に過呼吸は「なったら怒られる」という変な固定概念が頭のどこかに住み着いてしまってたので、この固定概念には長年苦しめられました。今では《発作を抑える》という固定概念はだいぶ薄れた気がしてるだけでこの概念が再燃してるのか最近よく苦しめられます。

もうすぐ、現場実習に入るって時には、母親を学校に呼んで、母親と私2人、社会福祉科の先生2人に「退学宣告」という名の「今のままでは進級できない。実習にも行かせられない。」と言われたので、退学届けを貰い、書いて提出しました。

クラスのみんなとたった1年しか過ごせなかったけど、みんなが卒業する時に手紙を書いて学校宛に送りました。みんなびっくりしてたと後で同じ学科だった友達から連絡をもらいました。

今でも、SNS上で繋がってる子はいます。
でも、仕事があるのでなかなか連絡はしづらくなってますね。

ということで、今回も長くなったけど、専門学校編はこの辺にして次回に移ります。
次回は「今まで生きてきた私の人生〜障がい者の世界に突入からの初耳すぎる福祉サービス利用編〜」です。

今、日頃の温度差等で、体調が優れないので
更新ペースが亀さん🐢になるかもですが、ご理解いただけると嬉しいです。

それでは、今日はこの辺で!
お疲れ様でした(笑)

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