記憶の行方#バードランドの子守唄

「失いたくない」という気持ちが、「バードランドの子守唄」だと思う。

最近、リハ続き。会議の眠いこと眠いこと。ねむかった。

対面での譜面学習会には、参加できていないのですが、「バードランドの子守唄」の解釈を偶然居合わせた歌い手は、1番いい時の唄を歌ったもの(いい関係のとき)と解釈していた。

そうかなぁ、と、ずっと違和感があり、聴き直していた。

合間にマック・ミラーのグッドニュースを聴いていた。ネットのニュースで、26歳でなくなったことを知った。常田大希さんも聴いていると、きき、興味を持った。

27歳までに亡くなったミュージシャンは多々いるけれど、いまは、長生きですね。

健康的なミュージシャンが多い。実際、アスリートに近いな、と吹奏楽部の朝練や音楽を生業とする方の生活を眺めて思う。


時が過ぎて、

「バードランドの子守唄」のこと、

あ、気持ちが通じたかな、とか、隣にいて無理なく楽しいとか、うきうき、とか、そういうことでもあるが、同じ時間を過ごせている時が過ぎてしまうこと、戻らないこと、終わってしまうこと、ああ、もう、後戻りできないな、という感覚が入り混じった唄かなぁ、と思う。

失いたくはないんだよなぁ、と切実に思ってしまう相手に巡り会うことが、幸せなことなんですけれどね、戸惑うものです。

「バードランドの子守唄」は、

そういった戸惑いの中にいる幸せを唄ったものかな、なんて、思います。

本をプレゼントでいただくことは、滅多にないのですが、こどもの頃、ドレミ出版の絵本と譜面が一緒になった、一冊が毎月届いていて、それはやたらと楽しみにしていた。久々にその感覚を味わっている。

「学生との対話」(小林秀雄)をいただいた。

[歴史は上手に「思い出す」ことなのです。歴史を知るということは、古えの手ぶり口ぶりが、見えたり聞えたりするような、想像上の経験を言うのです。]- 講義 文学の雑感より

面白い。対話を大事にしたいと思える。

そして、今、角銅さんと何気にコラボしていたことに気づいて、幸せなひと時でした。

そして、つながりたかった方とずっとつながっていたことに、気づいて、かなり、いや、大変、恐怖に慄いています。



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