nils frahmと日常の音

nils frahmを聴いて踊る。というのが、先日のリビングでの日常の音でした。

聴いているうちに、教授の音を思い出していた。いつかのガラガラ声は、せつないながら、懐かしくもあり、ちょっと悪態をつきたくなるほど聴いていて楽しかった。

今日歩いた商店街では、こどものころよく聴いたバッハのメヌエットが流れていた。偶然には出来過ぎているが、バイオリンやチェロを持ち歩いている方も見かけるので、ノクターンが昼間に流れているのはいただけないが、街の風景に違和感はない。

ショパコンは随分昔の出来事のように感じてしまう。遠くに響いていく音は、どこまでいくのか?ごくごくミニマムに響くリビングで、開放された緑の丘で聴いてみたい。

また始まるんだな、新しいこと。昨日のかてぃんラボも一日前とは思えないほど、1日の流れが早い。角野さんは、日本ツアーもヨーロッパツアーもどこにいてもホームになってしまい、どこにいっても、「おかえり」と、言われる人なんだろう。ホームがたくさん。

日々は、音だらけ、無音の時間が欲しいなぁと思い始めたらバッハを聴く。

最近、オルガニストであり、打楽器奏者でもある方と偶然ご一緒して、バッハのことをいろいろ教わった。バッハを聴くと落ち着くのは、なんでだろ。ショパンを聴くとバッハを聴きたくなる。今のところその理由は突き詰めていませんが、音楽は楽しめる。

クラシックの原風景を再現するように、紙の教本を見たほうがよい気がする。しかし、なんだかんだ見てしまうYouTube。

砂漠でピアノを弾く方、なんて呼んだらいいんでしょうね。hania raniさん。聴いていると、ぐるぐるめぐる、輪廻かな?表現したいこと。

環境音と人間の動作の音とピアノを弾く人の鼓動、みたいに聴こえました。

電子音と環境音とミックスするのは、人間と自然の関係みたいだな、と、思う。

煮え切らなさ、どうしようもない感情。揺れる眼差し。不確かさ。戸惑い。始まったと思えば終わって、会いたい人にはおのずと会えるものです。

再会の時は、どんな眼差しならよいのでしょうね。

ごく当たり前の出来事のような、対話のような音楽。

風景が音になると……。

ベックリンの死の島が音になると……。

と、楽しみは、一つにおさまらない。








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