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ころにゃん ぱーと2

昨日のころにゃん(コロナ)は悲しい話でした。
でも今日のころにゃんは、ころにゃんのおかげで一歩前進した話です。

ころにゃんのせいで、たくさんの人がこの世を去っています。元気だったのに…という人もたくさんです。ニュースを読んでいて、身近な人も、もしかしたら自分もころにゃんで死んでしまう可能性があるんじゃないかと感じる日々です。

でもこれは、ころにゃんではなくても日常が死ぬかもしれない可能性を持っています。日頃意識しないだけで。

私には小学4年生の時からずっとお世話になっている習字の先生がいます。大学時代は帰省した時にたまに教室に顔を出すくらいで、習字はやめていました。

いつも挑戦させてくれて、たくさんの気づきを与えてくれて、努力する美しさをその身で示してくれて、学んだことは両足でも足りません。好きすぎて一生先生の元で学ばせてもらいたいくらいです。

でも、先生はきっともう65歳くらいです。まだまだ元気ですが、終わりがいつかくるんだと、ころにゃんのおかげではっきりと意識できるようになりました。

ずっとずっと先生に教えてもらう気でいましたが、そんなことは無理で、いつか教えてもらえない日が来る。これは避けられないですが、耐え難い事実です。

先生には申し訳ないですが、先生のお葬式のことをちょっと想像しました。そこには「先生に教えてもらいたいことはまだいっぱいあったのに。なんでもっとちゃんと学ばなかったんだろ。あんなに時間はあったのに」と後悔でいっぱいの自分がいました。お葬式のタイミングでなくても今も、大学時代いや、就活が終わって暇になった時期から習字に真剣に取り組まなかった自分を悔しく思います。

後悔する自分を想像したその日から、コツコツと習字の練習を始めるようになりました。自分の習字人生の中での大きな前進です。

ちなみに、先生は東京にも月1回教えに来てくれるのですが、ころにゃんのせいで来られなくなりました。代わりにビデオ通話でのお稽古になっています。

そんなんで大丈夫かー?と思うかもしれませんが、結局上手さは自分の練習量に比例するので、よく練習せよということです。書いてはお手本と照らし合わせて、できてないところに自分で気づいて直していく。これの繰り返しです。やっていると気づきの精度が上がって、ここもここも!!ってなっているうちにいい作品が出来上がっていきます。

じゃあ先生おらんくてもいいやーん!ってなるかもしれませんが、先生は自分では気付けなかったところを指摘してくれるので、いつも感動の連続です。行き詰まった時、先生がひょいと乗り越えるのを手伝ってくれる感じです。

これからまた、先生と一緒にこつこつ練習していこうと思います。

ころにゃんのおかげでたくさんの終わりが見えるようになって辛いですが、その分今が大事にできるようになって、今はころにゃんに対してプラマイまあまあマイナスくらいの評価です。

家族のことももっと大事にしたいです。友達も、これから友達になる人も、知らない人も。そしてその人たちと一緒に過ごせる時間を。

では明日からも体に気をつけて、毎日をちょっとずつよくしていきましょう〜。まじでお元気で〜。

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