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鬼か魔女か…

今が良いから良いのだけど…

私が子どもの頃。

母はいつも怒っていた。

私たち(私と妹)が自分の言いなりにならないと鬼の形相で、1メートルの竹の物差しを手当たり次第そこら辺を叩いて私たちを脅した。
実際、追いかけてきて叩かれもした。

「子どもは、親の手となり足となるのが当たり前」
と、いつも言っていた。

母が仕事から帰って、私たちが家事(洗濯物を取り込んだり、ご飯を炊いたり)ができていないと、
凄い形相で当たり散らした。

今が良いから良いのだけど…

母はまあまあ美人で、とても外面は良い。愛想も良くてとても明るい。

家の中と外が違いすぎて、
バカみたいだって思った。


母は、私のピアノには全く興味がなかった。

毎月のピアノのお月謝を出し渋って、
月遅れで支払うことも度々あった。

大学生になり、
東京に出してくれたのは良いが
仕送りをこちらが出金する前に、
すでに母に使われていたなんてこと
しょっちゅうあった。

今が良いから良いのだけど…

母が48歳の時、
くも膜下出血で倒れた。

連絡をくれた医師から
「死に目に会えないと思って来てください。親戚に連絡を…」
と電話をもらった。

日頃だらしなく、不摂生を続けていた母。
いつかこうなると思っていた。
そして
倒れた場所に驚いた。
男性の家。

父は顔色を失った。
祖母は泣き崩れた。
2人とも可哀想すぎた。

私は、癌の術後の経過が芳しくない父のことがとても心配だった。
身の置き場のないほど狼狽えていた。

母は1ヶ月、意識は戻らなかったが、
戻りかけたら早かった。

結局、後遺症はなにもなく
父の寿命を縮め、
自分は何事も無かったかのようにいつもの生活に戻っていた。


入院中、母の借金がバレた。
けれど保険金で全て返せた。

なんでこんなに借金したの?!
と問い詰めたけど、
「返せたからいいでしょ。
返すためにくも膜下出血なったのよ」
と憎まれ口を叩く。

減らず口を叩くし、人の揚げ足を取る。
空気が読めない。自己中心で、相手の気持ちを思いやる事ができない。

私はそんな母のこと、胸が苦しくなるほど嫌いだった。

母の体調が戻ってきた頃に私は結婚した。
私の結婚をきっかけに、両親は元気になった。
しかし数年後、父にまた別の癌が見つかった。
母には甲状腺の癌が見つかり、手術した。
今回こそは父はあっという間にダメになった。
母が退院して間もなく亡くなった。

母が1人になってしまう事が私はとても心配だった。
なので、しょっちゅう大阪に来てもらった。
親戚も皆協力的で、母をよく呼び寄せてくれた。

しかし、母は私たちの心を踏みにじった。
父が亡くなってすぐに、着物を買い漁っていたのだ。
お人よしが災いして、どんどんドツボにハマってしまったのだ。

そのことに私は何年も気が付かず、気がついた時には手遅れで、
父が残した少しの貯金と家を失った。
そして私の宝物もすべて…

母の居場所は無くなった。
結局、妹も親戚も母のことを一切放棄し、私が大阪に連れて行くことになった。

母に対する気持ちは筆舌に尽くし難い。
この世から真っ先に消えて欲しいと願った。



しかし今、認知症になり、以前の母の面影は全く無い。
いつもニコニコしている。
私の心が融けたのは、初めて母が口にした2つの言葉。

『ありがとう』『ごめんね』

認知症になるまで、母からこの2つの言葉を聞いたことはなかった。

そして、こちらの話なんて聞く耳を持たなかった母が、今は一生懸命聞いてくれる。
しかし残念ながら耳が遠くなり、ちんぷんかんぷんに応える。
それでも、私の目を見て話しを聞いてくれる母の顔は昔の鬼母とは違う。

子どもの頃にこんなお母さんと喋りたかったなぁ!

けれどこうしてお喋りができるようになったのも長生きしてくれてるからで。
長生きしてくれてるから、こちらが理解できることもある。

今は萎んでしまった風船みたい。
ハウルの荒地の魔女みたい。

無邪気に折り紙折ったり、ありがとうを連発しながらご飯を食べる母。

今日、88歳の誕生日。


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