O mio babbino caro(私のお父さま)②
小学生になって間もなく、
父に「ピアノが好きかヴァイオリンが好きか」と聞かれ、
オルガンで大変な思いをしているのにまた新しい楽器は嫌だと思い、「ピアノ!」と言った。
後で聞いた話だが、
私がよく風邪をひいて熱を出すのは、集中力が無いからと思ったらしく、集中力をつけるために楽器をやらせようと思ったのだそうだ。
ほどなく我が家にアップライトピアノがやってきた。
年長の途中で、一軒家に引っ越し、
6畳一間から急に旅館みたい(当時の普通の日本家屋。今なら古民家というのかな)な家になったのでとてもはしゃいだのを覚えている。
カワイ音楽教室は卒業し、今度は町のピアノ教室に通うことになった。
小1の6月、ピアノ教室に初めてご挨拶に伺った。レッスン室にはグランドピアノが2台並び、傍に応接セットがあり、
そのソファに座らせてもらってお話を聞いた。
先生は、香水のとても良い香りがした。
最初の2年間は、ピアノはその先生のアシスタント先生に見て頂き、ソルフェージュ、聴音、リトミックなどは生徒たちみんなでやって、とても楽しかった。
2年生になったある日、
今度は家にグランドピアノが来た。
調律師さんは、「ピアノの上でお昼寝できるねぇ。」なんて言いながらピアノを丁寧に調律してくれた。
(その調律師さんには、昨年亡くなられるまで55年間お世話になったのでした。)
1、2年生で譜読みの仕方を教わり、3年生になって『ソナタ』というものを弾かされ、初めて発表会にも出た。
ソルフェージュや聴音には、クラス分けというものがあった。
これに関しては練習が要らないし、得意分野であった。
気がつけば周りはとても上手な子ばかり。
私は譜読みは遅いし、練習もしないので、練習曲などは皆から遅れるいっぽうだった。
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日曜日にレッスンがある時は、父が必ず付き添う。
発表会のためのリハーサルがある時などは、評論家みたいになる。
父は一切他人と比べない。
一人一人の特徴を言い、それが結構的を得ている。
私の演奏にも厳しいことを言ってくる。
高学年になってくると、父も社会的に忙しい地位になり、帰宅が遅くなることが増えてきた。
私はそれをいいことに怠けた。
そして…バレる。
夜10時くらいに帰ってきた父はいの一番に「練習したか?」と聞く。
もう遅いから弾かされる心配ないと思って、「したよ!」と嘘をつく。
すると「じゃ弾いてみろ」という。
練習していないのがバレてそこから2時間は弾かされる。
夜中でもお構いなしだ。
父はピアノの脇に横たわり、目を瞑りながら聴いている。
変な音を出すと、思い切り床を叩く。「もう一回最初から!」
何度も続く。
やがて父の方が疲れて寝てしまう。
こんなことは日常茶飯事だった。
しょっちゅうこうなるんだから、
ちゃんと練習してたらいいのにね!
今は強くそう思う。
何しろ怠けものであった。
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