親の離婚と再婚と私のHSP③
高校には誰一人として知ってる友達がいなかった。
友達を作ることに必死だった。それと今までなかなか出来なかった事をやっちゃえというどこか吹っ切れた部分もあり委員会や部活など積極的に活動するようになった。
継母は厳しくすることが育児であると、本でも読んだのか知らないけど長電話すれば時計を持って現れ、日曜日は母が仕事だったので夕飯当番をさせられ、門限は18時。
日曜日友達と遊んでいても夕飯の支度のために早めに帰らなくちゃならないし、学校帰りの寄り道もみんなより先に帰らないとならず、学校祭の準備で18時近くまで居残りしていた時には職員室に電話が来て先生に今すぐ帰れと言われたりした。友達には「付き合い悪いよね」と言われたりもしたし、男女入り交じって友達同士で泊まりでキャンプに行く話があったけど猛反対されて行けなかったりした。
反抗期と反発の中でもうまくやらなければならないとずっと我慢していた。ある日父に「(新しい)お母さんと上手くいかないから別れて欲しい」と言ったことがあるんだけど「俺が好きになった人だからお前が我慢しろ」と言われた。
そこで今まで保っていた何かがプチンと切れたような感じで「この親ダメだ」と絶望した。
本当は短大とか専門学校に行って保育士になりたかったけど就職することにした。そしてすぐこんな家出ていってやると決めた。
そんな最中、父が新しいマンションを買うと言い出した。社宅から出てそこに引っ越すことになった。ひと目で気に入ったという4LDKの新築マンション。3人家族で住むには豪華すぎた。そして母親に「マンション買ったから進学しても学費出せないからね」と軽く言われた。
そもそも進学させようというつもりさえ無かったんだと更に絶望は深くなり、完全に親を信頼出来なくなった。
私は何なんだろう…親って何なんだろう。
子供は親を選べないし。自分で稼がなければ誰も助け出してくれない。息苦しい中で、高校を卒業し、就職してお金を貯めて一人暮らしすることにした。
1人で不動産屋に行き、部屋を決めてきた。両親に「ここの家を出ていきます今までお世話になりました」と話した。
私のことなどどうでも良いのだろうと思っていたけど両親とも泣いていた。「何泣いてんだろこいつら」と思った。
勝手に部屋を決めて引越しも友達に手伝ってもらった。
そこから何年も親には連絡しなかった。
~④へ続く~
#HSP #家族の物語 #ひとりっ子 #継母 #親の再婚 #一人暮らし
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