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旅に出ます。探さないでください。

約1ヶ月キャンピングカーで旅に出る。この数年、旅に出るのは何かに窮している時が多かった。頑張って疲弊して、もう旅しか癒しがない瞬間もたくさんあった。「旅に出ます。探さないでください」は、私のお家芸でもあった。笑 だからこんな晴れやかな気持ちで旅に出るのは、なんとも久しぶりだった。10日1人で、10日英と一緒に、最後に森ちゃんも合流して家族で旅をする予定。各地で乗り込んできたり会ったりする人は何人もいるけれど。

携帯を置いていくつもりだったが、カーナビがなくて仕方なく連れてきた。でも、このタイミングでしかこんなに長い間、携帯ともおさらばできないと思うから、今日からこの子はカーナビさんと思うことにしている。写真は妹に借りた10年前のデジカメで撮る。映像は撮らない。SNSも当面アップもしない。携帯に見入って、今ここからちょくちょく離れるのは疲れる。だから、「今ここ」しかない世界に身を浸そう、と思う。

昨日用事があったのと、練習を兼ねて少し先に予定していたルートの前に車を走らせた。プレ旅のスタートだ。車を借りて「行ってきまーす」と伝えて、細い道を走らせ始める。自分の体感と実際の車線の位置関係を確認して、車の大きさと動きの感じを探る。物が移動しちゃうからと、色々詰めた荷物たちが最初の右折で見事に躍り出て、あちゃーと思いながらも、心はその失敗よりもずっと浮かれたところにいるような気がした。

怖い。不安。心配。それは、一人旅でいつも感じるそれだった。全身がそれに包まれて、緊張しながら私は必死にハンドルを握っていた。それは、27歳で初めてバックパックを背負って、オーストラリアに降り立った時のあの青くて好ましい感覚でもあった。こんなに大人になっても、そういう旅のドキドキを感じられることを、とてつもなく嬉しく思う。知らないことを知っていく、この緊張感を、それでもにやけてしまうこの口元を、私は何度でも味わいたいと腹の底から思う。

車を走らせたのは3時間ほど。だけど、その緊張からか、想像よりも疲れて広くて大きいサービスエリアに止まって、少し後ろの席に寝転んだ。運転直後にフルフラットのベットに飛び込める喜びも、暑い車内に開けた後ろの窓から滑り込む涼しい風も、全てが最高としか言いようがなく、なんとも言えない開放感に包まれた。眠れはしなかったけど、20分くらい微睡んで外にでた。

すごく景色の良いポイントなのに、携帯は持たなかった。デジカメも持たなかった。私は何も持たず、展望台に行き、その景色を眺めた。その景色は壮大で美しく、一瞬私は目を閉じた。風と光と景色に飲み込まれて、抱かれる。写真も動画も撮らない、ただそれだけのなんてことのないことで、私はどこまでも自由だった。今この瞬間を自分のためだけに使ってる。誰かにシェアすることも考えずに時間を使うことの贅沢さに、頭がクラクラした。

永遠みたいな一瞬のあと、静かに来た道を引き返す。あぁ旅に来たな、と思う。旅が始まった、と。今日までの数週間は、毎日日本地図を眺めた。こんなに地図など見たことなかったなと思うほど毎日、各県だけではなく、通っている道に着目して見つめた。四国に続く本州からの道が何本どこにあるのか。知らずに死ぬ人生もあっただろう。でも、私はそうではない人生を選んで生ている。いや、独立やコロナという巡り合わせも相まって、こんな人生へと辿り着いている。半年間キャンピングカーで旅をしたい、と切望した私に訪れたのは、1ヶ月前に妹夫婦がキャンピングカーを買ったというニュースだった。

人生は旅だ。引き返すことはできない。その長か続く人生で、でもその実、現在(イマ)という時しかないことに気づいた時に、人は変わることができる。それは過去の呪縛や、未来への焦燥からの解放だと思う。でも人生の面白さは巡り巡って、やっぱり過去と未来があるということなのだ、と思う。だから、こうやって私は2歳の頃の私を、その時の父と母が見ようとしたものを、自分の家族のルーツを、見ようとしている。あの時の私には見えなかったものを、少しでも広く、深く。それが人生の面白さだと思うのだ。

最近、人生のハイライトはもしかしたらもう終わっているのでは?と思うことがある。生まれるという大仕事の喜びから、愛することと愛されることのピークをほとんど全てを3歳くらいまでに終えるのではないかと。

あれほど愛することも、愛されることもないほどの愛の日々。生まれてから1か月で倍の体重になるくらい、あれほど背が伸び容姿が変わり続ける変化の日々。「あーあー」としか言えないところから言語を習得して、激しく泣いて笑って言語と非言語を交えたあれだけの表現をできる日々。自分の手に気づき、自我が芽生え、自分と外を知って、あれだけのスピードで自分を発見していく日々。

ピークを超えてるなんて、そうであったら悲しいと昔の自分なら思うだろう。でも今の私は、そんな余韻みたいな後世のつもりで、だからこそ愉しく生きたいなと気楽に思う。だからこそ、なんでもできるな、とも。とにかく人生の奥深さと面白さとに目が離せないと思っている。

実は、未来のオファーが重なり、新しい動きに少し心がくすりと動いている。未来の兆候が、確かにある。それはいつでも希望だと思う。過去を巡り、未来と出会う、そして圧倒的に現在しかない、私の旅がもう始まっている。皆さま、行ってきます。SNSは少なくとも2週間くらいはお休みします。たまに、メッセンジャーは確認します。いつもありがとう。愛を込めて。

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