忘れてしまうもので、人生はできている。
怖いとか、寂しいとか、悲しいとか、そういう気持ちを私は嫌いじゃない。それらがなくて、楽しいだけの人生なら私はむしろ死んでしまうな、とさえ思う。
ずっと同じじゃいられないこととか、誰しもに別れがあることとか、1人で生きていくこととか、そういうことを見ないふりするよりも、それを理解してなお、誰かと一緒にいたいと強く思って、その瞬間を愛して、別れや終わりを恐れず受け止めて、しっかり傷ついて前に進んでいく。そんな裸で生きる彩ある人生を、ぎゃーぎゃー言いながらも、私はきっと愛している。
6/1を迎える1週間前。私は星のや軽井沢にいた。毎年恒例の家族旅行。もう5年目にもなるだろうか。いつも、同じCRAZYというフィールドで激しく働いていた私たち夫婦は、毎年ぐったりと何もせず、この時間を過ごしていた。子供が産まれると、何もしないは難しいが、それでも家族のやすらぎの時を過ごしていた。
今年はというと、私はこの数年で最も忙しい数ヶ月の、どピークに私はいた。毎日朝3時、もはや朝でも、明け方でもない真っ暗な夜に、最少のボリュームの目覚ましに飛び起き、数分その眠さとだるさに葛藤しながらも体を起こして、スマホのあかりを頼りに着替え、まとめておいたPCセットを持って、子供に気づかれないようにそっと部屋を出る。
頭上には星空が広がっていて、虫の声に包まれて、あぁ日本で誰もいないとは思わないけど、少なくともこの星のやでこの時間に起きて仕事を連日しているのは絶対私だけだ、と思いながらお風呂に向かう。お風呂に入るわけではなく、そのリラックススペースで朝まで仕事をするためだ。
追い込まれると人は、初心を簡単に忘れる。「なぜ1月にリニューアルしたWEBサイトを、また6月にリニューアルすると言ってしまったんだろう。」、「そこになぜ無理やりにでもライターをアサインしなかったのだろう(全文自分で書くことにしたんだろう)」、「なぜクラウドファンディングをやると決めてしまったんだろう」、「なぜここまでの金額を目指したのだろう」、「なぜこのタイミングでメルマガ...?」など、と。
ありがたいことに私は、ほとんど自分で決めた仕事しか生涯したことがない。自分で撒いた種しか回収したことがない。だから頑張ってきた。「自分でここまでやると決めた」、以上の動機は私の世界においては存在していない。猪子さんを呼んだイベントで彼は、「ほぼ全ての大事な意思決定は、美意識でしている」と言った。なるほど私も例に漏れず、大変かどうかよりも、それをする意味があるのか・それがどんな未来を作るのか、が私の決断を支える美意識だ。
きーんと張り詰めた夜がある。それは最も必死な時には訪れない。ほんの少し余裕が生まれた時に、やってくる。クラウドファンディングを始める前の1週間。とにかく、怖かった。これを世の中に発露することが。結果が出てしまうことが。想像される周囲の声が。私はネガティブな人間だと思う。そういう記憶があるのだ。シミュレーションしてしまうのだ。最悪を。過去の記憶を。
恥ずかしいけれど、37歳になっても私は、小さなことを気にしてしまう。「この人はこう思っていないだろうか」という想像に忙しい。顔つきを気にして周囲の表情に怯えている。かと言って、行動は大胆だし、細かくない大味な挑戦をするから(笑)、そんなに弱気だと見らえれることも、それを知る人も少ない。実際の私は本当に小さい。でも、消えない自信がつくことも、中学生の多感な時期の傷ついた記憶が消えることも、30代を迎えて諦めた。
目を向けて焦点を当てたところに想像が及ぶのが私だ。それを気にしながらも、未来や目先のアイディアに目を向けると、たちまちそこに可能性が溢れ出す。「こんな風になっていくと面白い」、「これをやる意味ってこういうこと」。同じ世界で、同じものを見ても、他の人に見えないものが私には見えると思っている。だから、ネガティブも見えてしまうけれど、私は、目を見開くことをやめない。私は見つめ続ける。自分がやるべきことを。自分が見たい未来を。自分の人生を賭けてもいいと思うほどの仕事を。
大胆なのに臆病で、気にしいなのに行動は大味で、傷つきやすいくせに捨身で...そんなチグハグな自分と付き合ってきた。そして、37年間という年月がたった。昔よりも自分のことを理解している。知れている。仲良くなっている。旦那は私に言った。さきちゃんは努力して学び続けているからね、と。いつでも怖くて、不安で、少しでも良くなりたくて。毎日反省して。ダメだと落ち込めば、早起きしてプランニングして読書して...そうやってここまできた。
きーんとした夜。それは、最初の勢いの意思決定の後に訪れる怒涛の日々の、その後悔さえ襲ってくる行動の日々の合間に、訪れる。それは、静かに1人で、もう一度覚悟を決める時。「まだ辞めることはできる」、「これをやらなくても死ぬわけではない」、要は「こんなに大変で、不安で、本当にやる?」という問いと向き合う時。じゃあなんで悩むのかと思うけれど、私はあいも変わらず大きく息をして、遠くを見つめて、決まって「やる」と自分に答える。
そして、クラウドファンディングが始まった。誰も信じていないことを、1人で信じて、それを掲げて、多くの人を巻き込んで、1人で不安になって、本当に泣きながら行動し続ける。その終わってしまえばギャグみたいな日々を超えて、怖かった6/1があっけなく、まだまだやりたかったことの時間切れの中でスタートした。
そこからは一瞬の出来事だった。記者会見を終えて、目標だった3000万円は48時間かからず、1000人の先輩は3日を迎える前に、達成してしまった。1週間を過ぎて、5000万円の直前まできている。あれだけ悩んでもがいて葛藤したのに...それはそれは鮮やかすぎて、実感が追いついてこない。やってよかったという安堵だけが今は私の中にぽっかりある。そして、伝える人がいすぎて途方もない、無数の感謝。
森ちゃん(旦那)が文章を久々にFacebookで私のことを投稿してくれてた。(よければ全文見てね!泣いちゃうよ。笑)
プロジェクトに感情が芽生え、
そのエネルギーが飛んでいくのを隣で見ていた。
彼女は、いや、彼女も誰も一人では何もできない。
発言一つにも、あれやこれや、みんなと同じように先にも後にも考える。
怖いと口にするし。できないんじゃないかとネガティブにもなる。
それでも、結局諦めない。
何かを起こすということは、そういうことだと思う。
みんな誰かに支えられていて、誰かを支えている。
周囲の方が私のことをきっと理解していると思う。私はというと、自分に振り回されて、毎日を忙しく生きている。環境に影響を受けて、両親に翻弄されて、過去に囚われて、でも過去を超えながら、変わらない自分で、でも理想の自分になろうともがき、努力を続けている。10代も、20代も、30代も、その努力のど真ん中にいる。
誰もが違う人生を歩んでいると思う。設定が違うゲームをしている。親や環境というみんな違う制約条件の中で、このひとつの世界・同じ時代を生きている。人生を生きるということは、ある意味その自分の持つ制約条件を、ユニークネスとして楽しみながら、クリエイティブに未来を拡張させるということではないだろうか。誰もが、不運であり幸運である。そんな、ある種平等な世界を生きるんだ。私という、唯一の視点で。
「そんなに裸で捨て身で怖くないの?」とよく言われる。でも、自分で生きるご褒美は、こんな人生の甘くて苦くてすっぱい味わいだ。本当に面白いほどに、思い出はいろいろあるけれど、人生というのは本当のところ、大半が忘れてしまうものでできている。だからこそ、忘れたくない。味わいたい。私という唯一無二の存在に起こる、この日々の痛みも悲しみも葛藤も喜びも。
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