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だからエントリーのときはカメラをしっかり押さえましょうって話。
バックロールエントリー(船の縁に腰掛けそのまま後ろに落ちる形で海に入るエントリー方法)の際に「カメラ気をつけてください」とか「カメラしっかり抑えて〜」と何度言われたことだろうか。
何度も言われてるしわかってるって!と心で思いながらも「はい!」と元気だけは良い返事をするのはいつものことだった。
100本を超えてだんだんダイビングにも慣れてきた頃。
このときもそんなやりとりをし、いつも通り背中か
初めてゴマモンガラに遭遇して襲われかけた話。
私がダイビングをする上で最も恐れていた海中生物、それはゴマモンガラである。
沖縄とかに行くと危険生物の一覧に必ず載っていていて、目がギョッとしてたらこ唇から犬の歯みたいな立派な歯が覗いているお世辞にもかわいいとは言えないあいつだ。
繁殖期に縄張りに入ってきた者はどこまでも追いかけ回し、甲殻類をも噛み砕くことのできる鋭い歯で噛みついてくるとか‥
載せられる写真がないので知らない方はぜひ検索して
水中ライトが開かなくなって焦りまくった話し。
「バッテリーを取り外さないと持ち込めない」
そう告げられたのはダイビング旅行帰りの空港での保安検査場だった。
初めて飛行機に乗ってのダイビング旅。
行きの検査の際はなぜだか指摘されなかったので、水中ライトのことなんて気にも留めていなかった。
今までバッテリーを取り外す必要がなかったので、開け方がわからない‥
そう伝えると、さすが南の島の保安検査官!
回せば開くと教えてくれた。
だけどやってみ
カメラセッティングの進化と重すぎて中性浮力が取れなくなった話。
私がダイビングでカメラ(olympus tg6)を海に持ち込むようになって2年弱。
コンデジの強みの一つがコンパクトさだと思うが気がつけば完全に失われてしまった。
ということで今回の内容はこちら💁♀️
カメラ購入から今のセッティングにたどり着くまでダイビング用にカメラを買おうとしていた頃。
ちょうどコロナの給付金(1番最初の全員一律10万円ってやつ)が付与された。
ありがたくその給付
水中カメラはTGしか使わないと誓った理由
TGとはオリンパスから出されているダイバーのほとんどが使っていると言っても過言ではない超優秀なコンデジである。
水深15メートルまではハウジングなしでも使えて、カメラ自体に防水が施されている上に何より顕微鏡モードこれがすごい!!
ミリ単位のウミウシもバシッと撮ることができる。
私のようなズボラな人間ほど海ではTGしか使っちゃいけないことを痛感したのには2つの理由がある。
1つ目の理由は長年
ぶっちゃけシェルドライってどうなん?
※以下シェルドライスーツ=シェル、シェルドライ
マスクの次に買ったダイビング用品がドライスーツだった。
ドライスーツの首の圧迫動きにくさが苦しくて、マイドライなら快適に潜れるはず!と思ったからだ。
そしてなぜシェルにしたかというと、ダイビングを始めた当初はなるべく濡れたくない、なんなら夏でもドライで潜りたいと思っていたから。
保温性がないなら夏はインナー薄くして潜れる。
そう思っていた。
ドライスーツとの戦い
ダイビングスキルもままらない経験本数7本ほどの時にドライスーツの購入を決めた。
マスクの次に買ったのがドライスーツ。
全て講習でしか潜ってない、おまけにボートダイビングに挫折しAOWも取得できていない時にだ。
ここからドライスーツとの戦いが始まった。
主な内容です👇
最初にマイドライスーツを使用したのは購入して1年ほど経ってから。
新品キラキラのドライスーツにワクワク💓しながら袖を
AOW取得への道!完結編!
前の記事の続編です。
ボートダイビングで挫折した翌日にビーチダイビングで2本潜り講習を進める。
だけどボートダイビングで2本は最低潜らなければならないので結局AOWを取得できないまま帰路に着く。
そして‥そのときなぜかドライスーツを購入することに決める。
潜れもしないのになぜ🤣
こうしてなにがなんでもボートダイビングを克服しなければならない状況に🙄
帰りの長い道中は前日の恐怖から「
早速挫折!AOW取得への道!
OWD取得後のダイビングは4ヶ月後のAOW講習のときとなった。
OWD取得後にすぐに申し込むと安くなり器材レンタル無料になると言われて申し込んでいた。
4ヶ月ぶりのダイビングは桃太郎の大きな桃がどんぶらこーどんぶらこーと流れてきそうなほど荒れた海。
初めてのボートダイビング、初めてのドライスーの上OWD取得以来でお久しぶり。
器材セッティング🙄?
そんなの覚えてるわけない。
なぜなら
わたしがスキューバダイビングを始めた理由。
わたしがスキューバダイビングを始めた理由について。
それは三十路記念にライセンスを取得しようと思い立ったからである。
遡ること10年ほど前に20歳記念にスカイダイビングをグアムで体験。
その時に30歳になったらバンジージャンプをしようと決意。
しかしそれは28歳の時に人生のモヤモヤから当時日本で1番高い場所から飛べる茨城県の竜神大吊橋から飛び降りフライングで実現してしまう。
30歳を目前に控え