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光の無い国


「うっ、暗いな……」
その国を訪れた時、戦場カメラマンのワレナベは思わずそう呟いてしまった。
コロシア軍の武力侵攻を受け、早数ヶ月、それは大きな世界問題に発展していた。
きっかけはこの国が納豆組合への加入の動きを見せたことにあり、それがコロシア軍の大統領の神経をプチンとキレさせた。
それほどまでにプチンは以前から納豆と米を嫌っていたのだ。
元々は同大国から独立したこの国は窮鼠連とも言われ、再び勢力を強めたい大国は噛みつかれまいといきり立った。
一度キレてしまったプチンは攻撃の手を緩めなかった。発電所や製鉄所、首都、市街地など次々と爆撃し、破壊されたその地は光を失い、大勢の被害者を生み、多くの国民達は他国へ避難することを余儀なくされた。
戦場カメラマンのワレナベはそんな国の惨状を世界に伝えるべく単身戦地に乗り込んだのだ。

ワレナベの願いはひとつだ。それは自分自身が失業すること。この世から戦争が無くなれば戦場カメラマンなど必要が無くなる。しかし現状としては世界から戦争は無くなりはしない。国と国との戦争はもちろん、お隣同士の諍いなど、トラブルは世界中の至る所にある。もちろん井戸端会議(死語?)などで奥さん同士が口喧嘩しているところをカメラに収めても『婦人口論』以外、金になることも無い。
海の好きなワレナベは戦地ではなく海洋の写真を撮影したかった。その時こそ『船上カメラマン』と呼ばれたいと心の底から考えていた。
少なくとも戦争中に現地に赴くのは気が重かった。下手すると自身が銃弾に倒れかねない。だから出来れば戦争が終息した後で、その地の惨状を写し出す人になりたかった。しかし、そうなると戦後カメラマンと言われてしまいそうで、そんなライバルはたくさんいる。ゆとり教育で育ったワレナベはただでさえ動作や喋りがスローなのだ。Z世代に勝てるとは思えない。TikTokのスピードにさえ乗り切れないでいる。

そもそも戦場カメラマンになったのは、そこに空きがあったことと、運良くスポンサーが付いて海外へ行けるという喜びを感じたからだ。
それがどんな危険な職業だとはその当時は思いもしなかった。若かったから。世界のあちこちで戦場カメラマンとしての需要があり、ファインダー越しに見る世界に熱中していた。そして気が付けば中年と呼ばれる年頃になっていた。
戦場カメラマンとしての社会的意義に生命を燃やし、ピューリッツァー賞などを目指していた訳ではない。ノート創作大賞にも興味はない。もし出るとするなら『R1グランプリ』くらいだろうが、フリップ芸などしたところでZAZYさんに「ナンソレ!」と言われてしまうのがオチであろう。笑いは取れない。

若い頃、恋に憧れた時期もあった。
一時的に交際した異性もいて、結婚を思い描いた事もありはしたが、いつも独りの身軽さに勝てなくて世帯を持てなかった。
戦場カメラマンと家庭の平穏ほど不似合いなものは無い。
充実した家庭生活を築き、なおかつ、戦場カメラマンとして第一線を保つ、これが出来れば申し分無かったのだが、そんなのは今時の言葉で“二刀流”とでも言うのだろうか、だが、現実はそうそう上手くは行かず、ワレナベにトジブタは現れなかった。
一人暮らし、しかも海外の戦場で暮らす日々は健康を損なうことも多い。最近のワレナベは油っこいもの、揚げ物などを食べ過ぎると胸焼けを起こす世代に入っていた。
そんな時、ワレナベは太田胃酸のお世話になる。太田胃酸を服めば、ムカムカしていた胃が心地良く治まる。スッキリしたワレナベはいつもその気持ちを表すため、夜空に向かって、MLBの実況アナの如く「ビッグフライ、オオタイサ〜ン!」と快哉の声を上げるのが好みだった。


さて、かの国に到着したワレナベは早速カメラを抱えて精力的に各地を回った。首都のキウイから南部のマクワウリまで。
多くの瓦礫を見た。誰かの名を呼びボロ布姿で路頭を彷徨う女性をレンズに収めるのは息が詰まるほど心苦しかった。
今、その惨状の多くをここで語るのは控えておきたい。
いつか時が来たら、東京のどこか、あるいは世界のどこかで個展を開くかも知れないから、その時に機会があれば見て欲しい。上手く行けば写真集など出版するかも知れない。
とにかく、戦争というものの恐ろしさ、醜さ、愚かさを多くの人々に見て欲しい。そして、何かを感じて欲しい。それだけだ。
一人の人間が出来る事などたかが知れている。その程度に過ぎない。時に酷いほどの無力さを感じる。写真を撮ることは出来ても、誰の生命をも救えはしない。
戦地で各地を回りながら、ワレナベは絶えず胸の奥で涙を流し続ける。
思えば人類は創造と破壊、喪失と再生を繰り返して歴史を築いて来た。今も、これからだって多分そうだ。

何故、戦争が起こるのか?
何故、人と人とが殺し合うのか?
そんなやるせない哲学的な自問自答を心の中で繰り返す。
だが、その答えは永遠に出ない。
それが人間なのだろうか?
それが世界なのだろうか?
プチンよ、破壊より構築を選べ、
支配よりも共存を選べ
自国の勢力拡大よりもこの惑星の将来を考えよ。
惑星が球体である限り、陽の当たる場所と当たらない場所が常に存在する。
そして光は平等に降り注ぐ。
パンとバターが好きな国もあれば米と納豆を好む国もある。
互いの立場を理解し、思い遣ることが大切だ。
シランケド。

ワレナベはこの光の消えた街を巡りながら、幾度となくそんな言葉を唱えては、カメラのシャッターを押し続けた。
ワレナベの仕事に終わりは来ない。
ワレナベはいつかトジブタに巡り会えるのだろうか?
それでも彼は毎日祈り続けている。
そのことを知って欲しい。



ワレナベの話はいつかまた書きたいと思うが、今回はここまでにしておこう。
作者が面倒臭がってるわけでは無い。
いや、断じてそれは無い。


では、いつかまた、サヨウナラ


尚、この作品は××××××であり
登場する人物・団体・名称はすべて××××です。

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