さよならを教えてという作品程夕闇が持つ妖艶さを最大に引き出している作品もないのかもしれない

さよならを教えて…語るまでもない、エロゲーが衰退して、今も現存しているエロゲーメーカーは一般と混じりつつある現在の時代、もしかしたらこのゲームは(悪い意味で)エロゲーの中で1,2を争う知名度の作品なのかもしれない。
子供の頃からネットに入り浸っていた私からすると、嘗てから色々と物議をかもしていたしそれがまさか、令和になった現代まで語り継がれる作品になるとは思っていなかった。
三大電波ゲーの中で最も異質な雰囲気をまとっている今作。嘗ての私もこの作品の持つ妖しい魅力に惹かれていた。と言っても、私は当時未成年であり、いつか大人になってから触れよう触れようと思っていたのだがこちらの作品も例にもれず様々な事が積み重なり、現在まで先延ばしになってしまった。
ただ、それはある意味で正解だったのかもしれない。ビールを飲むのには適齢の年齢があるように、この作品をしっかり味わおうと思おうとすると成人してすぐに触れてからでは、恐らくドン引きして流していたかもしれない。
まぁ…私自身も子供の頃からネットに触れていた弊害か精神をちょっとヤってしまい、だからこそこの作品の描写に共感することができた。


さて、前置きもこれぐらいにしてこの作品の感想を述べていこう。今回、感想と述べたのは考察をしようにも今の時代既に先人が考察しきっているし…もう一つは、今の時代を生きている私たちオタクが嘗ての名作に触れて考察しても、それは先人の知恵に届かず早い話がコピー品にしかならないからだ。
この作品に触れる前の私の感想は…まぁ、異常なゲームだろう、と思っていた。触れた後も異常なゲームだという感想は変わりないのだが、少なくとも世間一般に言われているイカれてるゲームというほどひどい作品でも無かった、というのが率直な感想だ。
最後のシーンはよく分からないが涙が出てしまったし、まさかこのゲームで泣いてしまうとは思わなかった。(もしかしたら余りにも怖すぎて泣いてしまったのかも)
まぁ、YOUTUBEのやつらだとかは事実を誇張して表現するし、それを聞いた人が(プレイしてなくても)アレヤバいゲームだ、とかゲームカタログだけ見て(このシーン)とか異常、だとかそればっかりが独り歩きしているようでならなかった。
今回この感想を書こうと思ったのも、まぁ…今の観点から見たまとまった感想というのも余りネットになかったので、若者の代弁者として書こうと思った次第だ。
さて…と、どこから話のきっかけを作ろうかと思ったが、タイトルの夕闇というものに着眼して、前半部分と後半部分、そして個人的にストーリーについて感じたことを順々に描いていこうと思う。

本筋

この作品は白と黒…序盤の天使と怪物からも分かるように、相反する2つのものを徹底的な対比として描いている。これは別に天使と怪物だけでもなく、例えば(一方的にレイプをしたりする)主人公である男と(それを享受し続ける)ヒロインである女、現実の世界と妄想の世界、だとか、だ。
ただ、それなのにも関わらずこの作品は夕暮れというものをテーマに使っており、プレイヤーが触れている間は常に朝でもなく夜でもなく、常に夕暮れである。
この作品で唯一、朝と夜の協会が曖昧になる夕暮れという時間。朝とも夜とも区別がつかない、二元論の中で交わるもの。それを常に画面に映し出すという作品のテーマに矛盾しているようで、その異質さを利用していることに対して私は…驚いてしまった。いや、別にこんな暗い作品だからとかじゃなくて、前編の夕暮れは睦月の美しさを極限まで引き出していて、後半の夕暮れは主人公の現実と妄想が混ざり合っているもののたとえとして使われているからである。
この作品は全て相反するもの…と述べたが、現実と妄想を区別させるのは主治医であり、主人公視点から見ればどちらが現実で妄想か区別がつかないのである。
これは…文章にするのが非常に難しいがほぼすべてが対比されているこの作品で、主治医である一般的な視点から見れば主人公を妄想の世界から現実の世界へと引きずり出す(区別を付けさせる)のに対して主人公も様々なものに区別を付けたがる几帳面な性格なのだが、それが災いして混ざり合って姉妹精神が崩壊してしまった訳だ。
なのですべてを対比させているという事に対して矛盾しているようだが、この二つは矛盾していないと私は考える。

さて、では前編ではヒロインである睦月の神秘さを引き立たせるために夕暮れが使われている。この作品の最初は一応普通のエロゲーと同じ形式上で動いている為、違和感は少しあるもののちょっとおかしいエロゲーですんでいる。
天使=睦月であり、その美しさをより際立たせるために夕暮れが使われているのである。
この作品の面白いと思う部分はもう一つとして、思春期女性の魅力を最大限に引き出している点でもある、といえる。
本編でも主人公が述べていたが、それは恐らくだがこの作品の伝えたいテーマの1つではないか、と私は考えていて、この夕暮れというのは2つの混じる境界…つまり、少女と大人が交わる中間点としても夕暮れというテーマがあらわしているのではないか?と考えた。
この作品の数少ない普通の要素である序盤だが、序盤は一応教育実習生と生徒という形で進んでいく。そして彼女の出てくるたびに、会話の節々が本当に魅力的なのである。BGMも荘厳で、まさに本物の天使なんじゃないか?と思ってしまうぐらいに。
これを文章に表すのは難しい…正直なところ、BGMと夕暮れという雰囲気に流されているんじゃないか?と言われたら否定しきれない自分もいる。
ただ、どことなく幸薄そうな感じ、儚い雰囲気、柔らかそうな体、そしてどこか秘密を抱えていてそうで…それでいて、強そうな部分、これはこのゲームがエログロまみれで倫理観もクソもないゲームだからこそ表現できているとも言える。
また、彼女はうつ病という設定なのだが主人公が話しかけたから退院のきっかけになる…この辺りの一連の流れも残酷だと言える。
彼女がきっかけで、悪化する一歩になってしまったが、彼女はその日をきっかけに退院することになる。
唯一存在していて、もしかしたら現実世界へと救えるかもしれない存在は主人公のことを何も知らないのである。ただ…紳士的で優しい人。
本当は、一切そんな事は無いのにね。
この物語は正直…彼女の物語としてみると凄く丁寧で、美しくて、物悲しい…私が泣いてしまったのは恐らく彼女という存在がそれほどまでにまぶしく見えたからかもしれない。


後、これは補足として一応メンタルを遣った人からの視点で書かせていただきますが、実際にこのような施設で恋人を作る、というのは現実的にあるそうです。そういう場所で若い人が沢山いる場所はあまりよくないと言われているのもこの辺りの人間関係のいざこざが起きやすいから、と言われております。
これは余り夢も希望もない話ですが、先生方の中には作る事を優先させる方もいるそうです。それは作中の藪医者精神科医のいうようにそれが自己の肯定に繋がるからだそうです。
後…これももう一つ書いておきますが(恐らくこの視点からこのゲームを見る人は奇特なので)睦月は治って退院しましたが、だからハッピーエンドという訳でもなくうつ病はいつ再発するかも分からないので…もしかしたら、また彼と同じ施設に戻ってくることになるかもしれません。うつ病は治るのではなく、傷口を塞いで動けるようになる、ようなものですので。
そしたら、仮に戻ってきた場合もしかしたら奇跡的に主人公は回復するかも…ただ、どうなんでしょうね。言い方は悪いですけど主人公は屑に近いですし。万一彼女と奇跡的に(現実世界で)付き合えたとしても恐らくは彼女自身の過去の出来事と重ね合わせて睦月の容体が悪化することは火を見るよりも明らかでしょう。
まぁ…正直、あんな人を物としか見てない人が女性と…あ、すいません、言葉が過ぎました。


そして、本編の後半では混ざり合っているものの象徴として夕暮れが使われている。
自殺をする101の方法よりもよっぽど世界が混ざっていてどれが正しいのか分からなくなりそうだったが、そちらの考察は考察サイトに任せるとして、全体的なストーリーを評価させていただきたい。
正直、シナリオは万人に進めることは出来ないと私は考えている。まぁ…というのも、これを普通の人に勧めたとしてもドン引きされてしまうので。
ただ、ちょっとディープなオタクは触れてみたほうが良い作品だと私は考えている。
主人公は正直屑だが、屑だからこそどこかしら共感できる部分はあると言える。作中の睦月以外には主人公のネガティブなものを表現しており…深いオタクほど共感するのではないだろうか。(ちなみに私は4つ当てはまってしまいました。ヤバい、このゲームをプレイしていい人間じゃない!)
グロ描写と電波という部分だけが異常に独り歩きしているものの、それはあくまでこの作品のエッセンスでしかなく、本質は人間という部分の弱さではないかと考えている(後、闘病の大変さ)。
後は、全体的に陰鬱な雰囲気だからこそ数少ない明るい要素の夕暮れが明るく見えて、更に睦月を引き立たせているという…この辺りは私が睦月に傾倒しているからそう考えてしまうのかもしれないが、よく美少女ゲームなどで美しいだとか表現されているがここまで、キャラクターの美しさを際立たせた作品は私は初めて見た。
キャラクターを引き立たせる陰と陽を極限まで表したのがこの作品であり、今なお語られているだけの価値はあるともいえる。
さて…長くなったが最後は私なりのさよなら、という事の意味を交えて終わりにしたいと思う。
私が示すさよなら、とは主人公視点からみるとこの辛い世界からのさよなら、だと考えている。
ただ…彼は自殺する側の人間ではないと評されており、妄想世界とのさよならをしなければならないのだが、そうすると辛い現実世界と向き合わなければならず、それを……という無限ループに陥り、いつまでもさよならが出来ない、という意味だと思う。
また、睦月のさよなら、とはこれは自分自身の過去ではないか?と私は考えている。うつ病は常に自分の近くを漂っているもの、さよならしたくても一度取り付かれたら一生それに取りつかれて、おびえて生きることになる。
それに対してのさよなら、だと私は考えている。
そしてプレイヤー視点、私たちはこの狂気をいつまでも忘れることができない。
一度この作品に触れた人間は、ふとした時に、タイトルを見た時に、そして…この主人公たちと同じ境遇に陥った時に、この作中の出来事はいつまでも付きまとい…そう、もう私たちは二度と、この作品を知らなかった時に戻ることは出来ないのである。


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