昔は良かった、の再悪化形態初期は良かったについて語ってみる

以前懐古~~という記事を書いたが、今回はそれの最悪進化形態、初期は良かった、について私個人の視点で語ってみる。
はっきりと言えば私はこれに片足どころか両足突っ込んでおり、大抵どのコンテンツにおいても初期は良かったマンになりつつある。
長く続いているものほどこれに陥る、ドラえもんは例外だが、正直アレは新と旧で別ベクトルで評価しているので余り今回の記事には当てはまらない。
同じようなクレしんも初期の方が好きだし最早現状の絞り粕みたいなアニメで期待しているのはあいちゃん登場回ぐらいだ。


さて、ネットで度々現れるこいつらの正体、それを私個人…そして私自身がそれの権化なので私の視点から書いてみる。
その前に、このタイプには三種類存在しており
1 物語が永遠(かそれに近いもの)に続くか終わらないタイプ(アニポケやハンターハンター等)
2物語は続くものの区切りがあるタイプ(東方やジョジョ等)
3普通に終わるものの初期と後期で変わるタイプ(コードギアス等私は見てないがシードデスティニーもこれに入るのかもしれない)
これはあくまで大まかな分類であり、大抵がどれかと兼任しているものが多い。
例えばドラえもんなんかも大山ドラ信者は有名だがその中でも大山ドラ中期までで末期は別、という人もおり一概に分類をするのは難しい。
また作品によっては一期は好きで二期の最後以外は嫌い(コードギアス)というのもいるし、厳密にこのひょうに分類できないのもいる。
序にゲームも昔は良かった(スプラ等)もあるが、こちらも結局は上記と似たような理由なので今回合わせて解説させて頂く。

まず1だが、これは大抵キッズアニメ等が分類されるだろう。
アニポケアイカツプリティーetc…後はワンピースとかのジャンプ系、まぁジャンプも一種のキッズアニメに分類できるかもしれない。
まぁ私が好きなものは大抵2も兼ねているのだが、どうしてこういう事が起きるかというと初期は厳密に世界観を決めて決まったスケジュールで作成しているからテーマがブレない、というのが大きいのかもしれない。
アニポケの初期が面白い、は既に書いたので今回は省くが兎に角やたら長く続くアニメはこれになる。
アイカツやプリパラ等も私は初期が一番面白いと思っているし、イナズマイレブンもちょっと違うがこれに当てはまるかもしれない。

ぶっちゃけた話これらのアニメは初期と後期は完全に別物になる。そもそもこれらの物を全部見て評価している人が世の中に少ない上、最後まで残るのは大抵そこまでついてきているファンだから評価が崩れないというのもある。
よく偶にレビューなどでコレ誰が見てるんだ?というアニメがやたらと高評価な出来事に遭遇した事はないだろうか?例えば鬼滅ときらら系を評価すると大抵きらら系のが評価が高い。
じゃあ世間的にきらら系が人気かというとそうでもない、世の中のコンテンツは大抵見る人が多ければ多いほど1~5で3という評価に落ち着く。

このコンテンツはシリーズ物ほど悪化していき、少数のコア層しか見てない作品ほど高評価になりがち、というのは往々にして存在する。
これはキッズアニメでもろ当てはまってこんな一々レビューするやつ何かは全部見ないし見るやつは好きだからで星5を送る人が過半数だからこんな事態になる。

そして大抵これらのコンテンツは初期は念密に定めた世界観でキャラもそれに合わせているから面白い、と私は考えている。
いちばん有名なアニポケを例に出すと、初期は首藤監督の元世界観を子供向けとは思えないほどに厳密に考えていたのは有名だろう。
幾つかはアニメで拾われていない設定はあるものの、全て決めた上で取捨選択をしてそれを下敷きにしてアニメを展開して、サトシもその世界観に合わせた主人公として設定してある。
その上サトシが一切何も知らないから面白いのである。例えば今となってはポケモンゲットは当たり前だしピカチュウを酷使するのは当たり前だが
初期サトシはポケモンゲットも苦労していたしピカチュウもサトシにこき使われてるのは嫌がっていて戦わないという事も多々あった。
これはキャラが成長していないからこそ周りのキャラも違和感なく話に溶け込んでくる訳であって、話のバリエーションが広くなるとも書くことが出来る。
だからサトシが完全に成長した金銀以降は評価が高くなく、次に評価が高くなるのはある意味で禁忌だったサトシのリーグ戦を進めるという技を行なったダイパ編になるのだがこれは逆説的に言えば、初期では出来ないエピソードを盛り込んだから、と言えるからかもしれない。
ある意味でダイパは成長するサトシに合わせた世界観にして、キャラもそれに合わせたから評価が高くなったのかもしれない。
事実今見てもダイパ編のサトシは戦略的という面では進歩していたし敢えて最終進化をさせずにポケモンを使っていたりしたから(それでBFも優勝していたし)シンジとの間に説得力を生むことが出来た。

正直サトシ主人公はDPで完全に限界だったのだがBWで更に続投し、結果は以前に書いたように。
次に評価が高いのはサトシの手つかずだった恋愛面辺りを強調し、サトシがタケシポジションになったXYなのだがこれも初期では出来ない事を敢えてやったから評価が高いわけで。

最も有名なポケモンでこれだが、別にポケモンに限らずどれもこれも大抵はこれで初期は厳密に決める→やることが無くなった時期が黄金期→改革せずウケが良かったからそのままだらだらしてシリーズ終了が大半である。
次に私が大好きなアイカツを例に上げると、アイカツ一期は幼児向けとは思えない位にはシビアかつ丁寧に世界観が作られている。
最初から最後まで綺麗に物語が整っているし、まずいちごと美月の関係性からして相当練密に決めたのが伝わってくる。

まずアイカツというのは今では当然のように伝わっているものの当時では余りにもふわふわしすぎていた為、今のようなお遊戯会と化した対決とは違いはっきりと勝ち負けを付けるための舞台装置という面のほうが大きかった。
どうして勝負しないといけないか→アイドルとしての仕事を取るため
取らないとどうなるか?→どうにもならないけど最終的に辞めることになる
更に、世界観に対してより深みを出すために実在のアイドル関係のテーマを下敷きにしたのも成功した一つの理由だと思っている。
つまり、普段の練習→ライブ対決→結果 のプロセスが非常にシビアな世界観で描かれていたからだ。
ただし、それで終わらずに友達同士の摩擦等も描くことに成功していたし、だれ気味になる後半を完璧超人と描いていた美月の掘り下げに当てたのも良く出来ていただろう。
いちごが美月に近づいた結果、美月の苦悩をより近くで知ることになったのである。
ここで安易にいちごが美月にならなかったのも私はオモシロイと思っていて、いちご→美月は憧れていたが同時に美月→いちごも憧れていたのである。
私はいちごにはなれない、というのはこのアニメ一期のテーマだろう。

ただし、そんな世界観も二期で崩壊しなまじ二期が中途半端に黄金期だった為にアイカツらしさという良くわからないものに囚われた結果がコレ以降の迷走の要因だと思っている。
まぁ、アイカツの世界そのものが完全に崩壊したのは三期だったのだが。
三期は正直、余りにも酷いのだが一期のシビアな世界観は完全に消えており完全なお遊戯会になっていた。の割には人気が出ないひなきというキャラで無駄にシビアな展開をやりつつ主人公はコネとしか思えないような展開が続いていて非常に嫌な雰囲気だったのは覚えている。
Xで批判意見が出ることはよっぽど稀だし、三期は三期ファンに向けて作ればよかったものの無駄に旧キャラを出して主人公の踏み台にしたのがアレていたのは今でも覚えている。(スターライト学園祭)
そして四期は半年で打ち切られ、最後も予定調和のようなシナリオ(をさせつつ最早成長出来ないのに最後の最後で失敗させる無駄にシビアな話)でグランドフィナーレ。
何故か唐突にいちごとあかりでユニットを組み、ソシャゲシナリオで深掘りされるという良くわからない展開になり今もそのグッズは販売されているが最早遊ぶことが出来ないソシャゲで何故展開をしてしまったのか、私には正直理解しかねる。(ぶっちゃけて言えばあかりの同僚二人に人気で無さすぎたのが問題なのだが)

その後ほんとうの意味で世界観を一新したアイカツスターズは多少の問題点はあるものの、一期世界のシビアな世界観を下敷きにしてはいたものの、詰めが甘い部分はあったが全体を見た完成度は悪くなかった。
だが、余りウケなかったのか(アイカツらしさが無い、というのはスターズ批判の常套句)フレンズで稚拙な展開を始め、子供受けを狙ったのに子供に振り向かれていないという最悪のパターンでフレンズは終了した。
その後のオンパレードはぶっちゃけ殆どのライブは使いまわしだし話は面白くないしで売上のためにオールスターをやらされた感は酷く、後は皆様の知るとおりである。

プリパラも似たような展開になっており一期は友情・努力・勝利をテーマにしたシビアな世界観を展開していた。
曲もかなり質が良く、プリティーリズムの世界観を楽しさでカバーしていたけれど、それでも所々に暗い展開はあった。
それをらぁらがどうにかするのだが、これが非常に完成度が高い。ネタバレになるのだが最後がらぁらじゃなくて全員でファルルを起こすシーンはらぁらとこのアニメのテーマが噛み合っており、何度見ても感動する。

のだが二期以降は悪い意味で子供向け(これはアイカツも同じ)になり、プリパラのテーマは完全に崩壊気味。
これはアイカツもそうだが、無駄に口癖を優先したり(これはそもそもキャラが多くなると子供が覚えられないという事情もあるため仕方ないのだが)無駄にぐだぐだして成長がリセットされたり。(の割に一期を下敷きにしているのでちぐはぐな展開になる)
前半が完全に酷くてみんな友達のテーマを公式が完全に破壊していたのには絶句した記憶がある。
それで面白ければ良いのだが全体的に視聴者にフラストレーションがたまる話が多く、後半で漸く話は動いたものの結果的にそれもどうもしっくりこない。
ネタバレすると天才チームVS努力チームになるのだがまずこれがしっくりこないから作品のテーマ事態も良くわからないことになった。
後あじみの存在がヤバい。多分このアニメを見るの辞めた人はこの前半のぐだぐだ+あじみでトドメをさされたと思う。

私は二期でプリパラの視聴をやめた(アイカツは楽曲とCGが良かったため最後まで見たが、プリパラは悪い意味で曲も子供向けになってきていた)のだが三期まで見ると面白いらしい。

まぁ、その後なにかの園でアイパラを見てプリチャンまで見たのだが悪い意味で二期っぽかったので途中でやめた。
まぁプリティーシリーズは結局大人が見ても面白いのはリズとパラ一期だけなのかもしれない。
特にRLは本当によく出来ていて、7人+その他キャラ多数という明らかに無茶のある脚本だったのだが話数が明らかに足りずに尻切れトンボになったキャラはいたもののテーマ事態はブレずに伝えられていた。
正直RLこそ2シーズンかけてじっくりやるべきだったのではないか?と思わないでもない。まぁアレは好き勝手やって良いって言われたからああいう展開に出来たのかもしれないが。


私は女児向けアニメを専門で見ているので男児向けアニメがどうかは分からないが、唯一見直したアニメはイナズマイレブンである。
アレは面白かった、ただ改めて見ると子供の頃は二期は好きだったが今見ると二期はぶっちゃけ微妙だった。
三期は逆に派手さはなく、手堅くまとまっていたものの逆に一期と同じ問題を焼き直していたり、吹雪が完全に置物になっていたり等と結構残念だった記憶がある。
そもそもイナズマイレブンというテーマ事態一期で完全に回収した為最早やることが無くなったのかもしれないが、だとしてもイナズマイレブンはここまでの酷さではなかったので日野社長の脚本が叩かれているのは正直信じられない気持ちもある。

基本的にアニメの初期信者はこんな感じである。大抵が長くなるに連れて初期の世界観を壊すことが多い。
アニポケ何かは無印と新無印で完全に世界観が別物になるが、大抵最後はそうなるのである。


次に物語は続くものの区切りがあるタイプ。どちらかというとこれはゲームに多いので今回はゲームと関連させて記述させて頂く。

まず私は東方初期信者なのだが、正直東方は星蓮船までの貯金(下手したら星蓮船までやっているプレイヤーすら全体で見れば少数かもしれない)を今も切り崩して生きているようなコンテンツである。
まぁ初期信者とはいえもう嘗てのような熱意はなく、今では昔ほど興味がなく原作ゲームだけ買って機体梅をするぐらいのにわか原作勢なのだが、偶にいる東方初期信者の心境を語っているサイトは最早絶滅危惧種に近いのでここに記しておく。

東方原作信者には大まかに二分類する事ができて東方は花までの信者とそれ以外の信者である。
特に花までの信者は秘封倶楽部から西方の曲まで網羅している人が多く、ぶっちゃけ濃いオタクが大半である。(もう西方の曲とか知っている人のが少数でしょうね)
どうしてそうなるかというと、昔の東方は悪い意味で世界観が曖昧不定になっておりあくまで東方はZUNから見えるものを作っていた、というのが大きいと思う。
永までのキャラしか分からないから永までが好き、と原作テキストを読んだ上で永まで、では明らかに違いがある。
最もよく言われるのが昔の東方は何を言っているかが分からない、という意見。
特にコレが顕著なのだが昔の東方は本当に何を言っているかが分からない。元ネタWIKI等を参照して自分なりに翻訳して漸く意味が理解できる、と言ったものがかなり多い。
更に、これに輪をかけて初期作(紅は例外)は兎に角4の雰囲気が常に漂っているのが大きいと思う。
妖々夢はあの世、永夜抄は夜であり不死、そして花も地獄、とぶっちゃけ常に舞台となる場所が暗く淀んだ世界である。
その世界でZUNが書いた良くわからないテキストがこの世界に似た世界でありながら、明確に違う何かを感じさせる世界観を作成することに成功しているのである。

そして、これに輪をかけてこの世界観を深く掘り下げていたのは秘封倶楽部の存在だろう。
蓬莱人形もそうだが、今となっては最早厳密に決まりすぎているが、昔は東方という世界観は東方だけでは完結せずあくまで原作STGもZUNワールドの一部という見方が大きかったと思う。
蓬莱人形の暗い世界観に加えて、秘封倶楽部の明確に未来でありながら不確かに幻想郷と繋がっている世界。
ZUNが作り出した世界を音楽やZUNのホムペの一枚絵、更にテキスト等で間接的に触れている。
それら全ては一歩間違えば4んでもおかしくないという不気味な雰囲気、これが初期東方の醍醐味であり、今(はもう絶滅しているか?)でもいる厄介信者の心境である。

個人的に初期東方を最も表しているのが白月精であり、アレは不明瞭で幻想的な東方の世界観を漫画に落とし込むことに成功している。
霊夢の石渡り等、今はもう霊夢と言えばただの女の子だけれど昔は本気で何を考えているかわからないキャラであり、一種の神秘性があった。
これは全員がそうで、ある意味で弱肉強食の世界でありその世界を生きている霊夢と必死に生きている魔理沙。
これは香霖堂もだが、兎に角絵師に恵まれているというのもある。幻想的雰囲気を保つためか柔らかいイラストレーターが抜擢されることが多かった。
そして、萃夢想も語らずにはいられないだろう。
今となっては兎に角遊びにくい作品だが、アレが初期東方信者の行き着く理想的な東方だと私は考えている。
常に口悪く何言ってるか分からない世界観で、何か異様な出来事が起きている。
疑心暗鬼になりながら、兎に角暗い雰囲気で常に進んでいく。最後の登場人物が鬼なのは正に幻想郷、と言った形でその萃香からは今まで見えないキャラの生活が垣間見える、等々今でも不思議とやりたくなる作品である。
更に言えば、旧作との繋がりや西方との繋がりなど、悪い意味で明確にされていないからどこからどこまでが繋がっているか分からず、それが神秘性と幻想性を持つ世界観とか見合っていた。

まぁ、東方に限らず大半の作品は続編を作らなくてはならない、となった時点でテーマは崩壊するのだが。

次に語るのはスプラトゥーンだが、これも上と同じような理由で1が一番面白い懐古信者は今でも時々いる。
だがこれは懐古とかではなく事実で、スプラトゥーンは2,3と進むごとに劣化している。
スプラトゥーン1の魅力とはシンプルな操作性で、今までにはない体験も一つだが、それ以上に世界観の作り込みも一つだと思う。

スプラトゥーン1は失敗できないIP(3を見れば分かるが、正直あの出来でも売れるのである)だから、綿密に極限まで世界観を構築している。
スプラトゥーン1の世界観はゲーム的観点と外の観点で2つあるのだがまずはゲーム側から。
まずスプラトゥーンというゲームは当時誰も知らないゲームだったことに加えて、今までその手のゲームをやったことがない人がターゲットだったから今以上にヒーローモードからやり始める人が多かったと思う。
いや、私の体感なので分からないが今は購入即ガチマだが、当時はガチマが無かったことも加えてオフライン→ナワバリバトルを交互にやっていた人が多いと思う。
ただイカが撃ち合うゲームに見せて実はアナウンスでしかないと思っていたシオカラーズが実はヒーローで、ゲーム内のファイルを集めていくと実は想像以上によく考えられた世界観だった、の二弾落ちでこのゲームは面白い、とプレイヤーに印象付けたのである。

そして、外の観点ではプレイヤーもゲームに参加している、というある種のネットゲームのようなものもこのゲームがウケた要因の一つだと思う。
今となってはガチマ、フェス、ステージ改修は最早当たり前だが当時からしたら段階的にそれぞれが開放されていき、デカラインはユーザーの不評故改善されたりとプレイヤーもゲームの世界観に入り込んでいる、というのが今以上に大きかった。
武器も何が出てくるのか分からないワクワク感に加え、衣装も追加、当時のユーザーからしたら何もカニもが新鮮だった。
いや、それは1からやったプレイヤーだから23もそうなんじゃないか?と思うが、私はコレに加えてゲームが良い意味でバランスが壊れていたのもあると思っている。

ゲームというのはバランスが良くなれば良くなるほどつまらなくなる、と私は考えている。
無論、3のリッター一強は論外だが逆にすべての武器をリッター波に強くしたのが1である。
初代は悪い意味でカジュアルゲームの側面が強く武器はサブスペにコレつけたら強くなるだろwみたいなノリでつけられた武器が大半である。
それはそれで産廃みたいなサブスペをつけられた武器はご臨終だった(ボールドにポイセン等そもそもどうしろっていうねんみたいな)が、悪い意味でステージにバリエーションが多くボル7ならワンチャン引ける可能性もあったしそういう武器を使いこなせる人がかっこいい、というのもあった。
この時代リッターは異常に強く、私はタチウオで6人リッターになったのを覚えているのだがじゃあリッターが一強かというと逆で、確かに強いもののサブスペはリッターが存在することが前提で作られていたため(後は今ほどリッターの練度が無かったのも合った)短射程は塗ってスペシャルでぶっ飛ばす、今で言う地雷戦法で十分に補えた時代だった。
マッチングも今以上に厳密化されている訳ではなかったのでどこかで穴を付けば勝てるし、勝てなかったら次と良い意味で切り替えが楽なゲームだった。
相手の長射程がぶっ壊れているがこちら側もゲームバランス度外視の武器やギアだった為に今よりストレスは溜まらず、ぶっ壊れにぶっ壊れを押し付けるハートフルバトルだった。
特にノヴァやローラーは長射程に対抗するならコレぐらい強くなければならない、と言った感じであり事実コレ以降弱体化サれ続けており3では最早マッチするだけで相手にスクスロを引くから辞めてくれ、と悪い意味で多様性は皆無になった。

更に、ステージにバリエーションがありすぎており良い意味でクソステが多く、強い武器が全然違うというのもあるだろう。
初代は特に追加ステージの多くにギミックが採用されていたりして、あくまでスプラトゥーンに存在する街等でナワバリバトルをやっているという側面が大きかった。
正直マップの半分以上が何かしらの欠陥を抱えており、永久出禁を食らったシオノメばっかりが話題になるがホッケやヒラメは酷すぎており、こういうクソみたいなルールでは長射程が何も出来ないから相対的に短射程も強かった。
タチウオアロワナリッターはこのゲームの一側面だけであり、それ以上に何も出来ない事が多々合ったのが1だ。
更にこのゲーム、上のクソステクソルールとSPが噛み合わさると本当に何も出来ない事が起こり、ヤグラバリアが有名だがこんな感じで射程で負けていてもSPの壊れを押し付けたりステージの欠陥を利用すれば推し勝てたりと今以上にワンチャン引ける試合は多かった。
初代ぐらいだろう、SPを初回で貯めることが地雷にならないのは。
それを許せるぐらいにマッチもルールもガバガバであり、下手したらそれしか勝ち筋が無いということも合った。

スプラトゥーンをガチでやるのはあくまで一部であり大多数はカジュアルに楽しむ、これがスプラトゥーンであり2以降に失われてしまった要素だ。
だからスプラトゥーン1はS+99までしかなく、強い人達は固定を組んで対抗戦をやったりしていた。
今で言うXP至上主義ではなく、S+99のカンストが目標、という今で言えばバカにされそうな事に皆全力でやっており、そんなものルールもごちゃまぜで運次第なんだから心の何処かじゃ価値なんて無い、と思っていた。

スプラトゥーンを壊したのは他の誰でもない運営だろう、2で世界観は広がったものの無駄に競技向けにした結果本来のカジュアルによったゲームは破壊され武器ごとの役割を厳密に決めて立ち回らなければならなくなった。
そしてXPの導入により、1の時は明確に分けられていなかったものの強い武器と弱い武器の差が数字によりはっきりするようになった。
そしてワンチャンを引く立ち回りは運営により弱体化され、抜け道はなく全員が一律した立ち回りでレートを書けて戦わなくならなければならなくなった。
それは3で悪化し、2の時点でスプラトゥーンに似た何かになりつつあったゲームは3に置いて最早崩壊した。
1で強いサブスペは2でつけない、2で(ryを繰り返した結果3は最早どう使えば良いのか分からないサブスペをつけられてしまった武器が多数存在する。
そしてミラーマッチのせいで端的に言えば最強武器1つしか存在しない、それ以外は編成自己という極端なゲーム性にまでオチてしまった。
私は今でも1信者だが、それは全てにおいて爽快感とバカバカしさを失い、悪い意味でユーザーと運営の信頼関係が崩壊したからだと私は感じている。
世界観も付け足し付け足しで魅力度は皆無(そもそもハイカラシティに近いなら1のステージを出すべきだろう)、ステージ含めてスプラトゥーンだったマップは最早戦うためのただの舞台、武器追加にやたらと躊躇い、そのくせゴミのようなものを押し付ける、今のスプラトゥーンに似た何かをやっているのはXPにこだわりを持っている一部の人だけなのかもしれない。

次はポケモンだが、ポケモンもポケモンで難儀なゲームである。
私は純粋な過去作信者という訳ではなく一応SMまでプレイしたものの、剣盾からついていけなくなった派閥である。
ポケモンはポケモンでアニポケとは別ベクトルで問題を抱えており、まぁ…果たしてFRLGHGSS信者を初期信者と分類していいのか分からないが一応記載させて頂く。
ゲームがクリエイターの作品で無くなる時、それは最早作り手の意思は存在せずただただ金稼ぎの道具として利用されるときである。
もうポケモンは出さないと何千人規模で飯を食えなくなるから出さなくてはいけない訳でありこんなゲームが面白くなるわけ無いのである。
上のスプラトゥーンも同じで、作ってる側も面白いとは思っていないものの出さないとご飯が食べられないから出さざるを得ないから出した、といっても過言ではない。
ポケモンがポケモンとして造り手側もプライドを持って作っていたのはBW2までだろう、特に金銀世代は凄かったと私は思う。
難産に次ぐ難産だったが結局その本質はどうすれば続編にふさわしいか?を極限まで考えていたからだろう。
ぶっちゃけ続編なんて適当に作っても売れるのである。ポケモンほどの大規模なら尚更、90匹も没にしなくたって、コレほど人気だったし子供なんてそんな違いなんてわからない。
ただ、それでも体験版からかなりの量を没にして作り直し、カントーまで行けるようにして尚且つ、バランスも荒削りながら整えたこの作品を私はカントーの一部しか再現してない手抜き作品と評価することは決して出来ない。
そしてこの時代、アニポケも手を抜いていなかったし関連作品であるポケスタ金銀はただの外伝作とは思えないほどの力の入れようだろう。
やりこみ要素以外にモーション残り用、ミニゲームや資料の充実など最近のゲームが忘れてしまったものをポケスタ金銀は取り入れている。
正直金銀まで信者の気持ちは分かる気がした、これを体験してしまったらそれ以降のゲームが浅く見えるのも仕方ないし私自身も後年になるにつれてそれをはっきりと理解している。ポケモン黄金期と呼ばれるだけ合って本気で作っていたのがこの時代だ。
ポケモンの完全版については諸説あるが私はありだと思っている。正直な所最近は最早完全版を作ってくれ、と私は思ってしまう。
今でも語られているエメラルドやプラチナ(ダイパではない)は完全版だし、完全版が出なくなるからと言って完成度が高い作品が出るかと言われると否、だろう。
特に結局完全版は出なくてもDLCで出しており、そっちはそっちで別ベクトルの問題(ゲーム本編の微妙だった部分は手つかず)を抱えているんだからさもありなん、といった形である。
昔は昔でポケモンサイクルに合わせるため、とクリエイターのこだわりを両立したのが完全版だと私は考えている。
結局今でも語られるのはクリスタルでありエメラルドでありプラチナなのである。
金銀ルビサファダイパが好きな人なんてあんまりいないし、ポケモンは完全版を辞めてから何かがおかしくなった気がする。
良くBWからポケモンはおかしくなったと言う人がいるが私からするとXY…更に言えば剣盾からじゃないか?とは感じている。
BWは問題点はあるものの今考えるとストーリーに力を入れたり全部新ポケにしたり、新しい何かをやろうとした形跡は合った。
特にBW2は余り語られないものの作り込みで言えば凄まじいほどであり、たかが最後のおまけ要素のためにドットを打ち込み直し、ポケモン対戦に関係ない部分まで作り込んでいる。
たかがポケモンなのに、こんな部分まで作り込んでいて明らかに制作者の力の入れようが伝わってくるだろう。
XYからは明らかに終盤が手抜きであり、明らかにZを作ろうとした形跡は合ったもののSMに以降、SMはUSUMで補完したものの何故か力の入れ具合はちがく、完全版なのにSMの方が良かった、という謎の意見も出てくる始末である。
そして剣盾からはもう、私の知っているポケモンじゃない、を悪い意味で地で行っており新ポケはこの辺りからポケモンっぽくなくなった気がする。
まぁポケモンらしさは主観になるので省くが、御三家全員が人形になる、これが全てである。
毎年出さなくならなければいけなくなったから、最早推敲している時間はないのである。取り敢えず出して出してを繰り返してゲーム部分も取り敢えず完成させる。ぶっちゃけ今の時期にこの規模のゲームをこんなタンスパンで開発するのは無茶に近い。ゲーフリは開発力が低いと言われているがこんな滅茶苦茶なスケジュールで形にしているのは(別の意味で)日本を代表するゲームクリエイターだろう。だから開発周期が短いせいで最早ポケモンに力を入れるのは不可能だろう。よくスクエニになると言う人がいるが最早極端から極端である。
ネットはコレに限らず01論争が多すぎて嫌になる。開発周期を検討するに対しても10年新作でなくなるとか意味不明なことを言っている人がいたし。
まぁ、新規作品は子供に向けているから、というのであれば私はもうターゲットから外れているので大人しく引きこもって懐古厨をしているのだが時折懐古を狙っていて雑なのを売っているのがもうヤバい。
ORASは何故かエメラルドの要素を削っておりエピデルよりもこっちが問題点に挙げられるべきだと思うが語られることは少ない。
バトフロよりも追加マップや再戦が出来ない方がよっぽど問題点であるし、何故わざわざ完全版の前の作品をリメイクしたのかが理解に苦しむ。
2バージョン商法もHGSSは出来ていたし最早プライドは無いのだろう、と行っていた矢先にとんでもないものが発売されたのだが。

最早語るまでもないブリリアントダイヤモンドシャイニングパールである。
まぁ酷いとか通り越して最早意味不明な出来ではある。私は買っていないが、そもそも買ってはいけない気がするし。
グラフィックは百歩譲るとしても根本的に中身がヤバい。何故かダイパ基準のリメイクをしておりダイパの問題点も悪い意味でそのまま。ORASの問題点がエメラルドの要素が無いことなのだが、それを通り越して凄まじい出来である。
ORASはああ見えてエメラルドの要素が無いこととエピデル以外は重ねいい出来ではあるのだが、今作は目に見えてヤバい。
上の問題点に加えてバグだらけで、売れないと判断したのか発売初期に電ぽけ配布で明らかに初動だけ見ているし。
ポケモンでこんなの見たくなかったが、現在のポケモンを表していた騒動だったしいつかはこうなると思っていたからそれがBDSPで起きただけだろう。
正直中古ショップでプラチナの方が高いのやべーと思うんだよな…ありえないだろ。
ほんまに新規はこれ楽しんでいるんだろうか?仮に楽しいとして10年五名作として語られるのだろうか。クリスタルエメラルドプラチナにBDSPとSVは名前を並べるのだろうか。
本当に子供をバカにしているのは造り手なのではないか、今どきの子供は無駄に知識をつけているからゆっくり実況で過去作のポケモンの半端ない作り込み10選とか見てすぐ批判してくるし。
果たしてこれを見て育った世代は10年後ポケモンはいいゲームだったとなるのか、私にはわからない。(そもそも子供消えてる説もあるし)

嫌ならやるな、ポケモンは子供向けなので私はもう永遠に懐古だけ見て生きているが…本当、ポケモンの昔は良かったは事実であるだけに悲しい。

私は型月のゲームはやっていないものの、時折FGOで炎上していたのを見ていたが上の理由に当てはまる気はする。
私はこれからもやる気はない、どうせやっても昔のFATEすげー、まほよ2を出せ勢力になるのが100%目に見えているので。

最後にバンドリとプロセカも書いておく。
これは終わりのない物語であり、上のやつとはまた別ベクトルの問題をはらんでいる。
というかソシャゲシナリオの問題点は悪い意味で一年目で全盛期を迎えて、それ以降薄めたカルピスが継ぎ足し継ぎ足しで出てくる問題である。
Roseliaのシナリオが面白かったのは正直一年目であり、二年目以降はユニットの売りである不仲さ(だと思っている)が消えて私的に微妙。
やべーやつらが集まったやべーバンド感は薄れて、何か普通のユニットになった感、それでも面白いのはRoseliaというユニットが奇跡的にバンドリという枠を超えて完成度が高かったからだと思っている。
プロセカも25のユニットは面白くて好きだったのだがピークはユニストで終わっておりイベストは(上のRoseliaと違って解決させるとユニットのコンセプトが崩壊するからか)上よりも更に薄めたカルピスで兎に角暗くて何も変わらないという事が多発している。
ソシャゲは終わらせるとどうしようもなくなるから、終わらせられないのだがそれが25と兎に角相性が悪くて運営も兎に角引き伸ばす方向でしか話を作れない気がした。
瑞希は特に顕著で話す話さないを延々と繰り返していて、それがリアリティあるかどうかは置いておいても結局話さないという方向で悪化したという最悪な方向にシナリオは進んだ。
えなかなはそれなりに進んでいるものの、最大の問題はまふゆだろう。
終わらせられないのはソシャゲの宿命だがこちらも悪化させる方向で引き伸ばすという方向に出た。
ヘイトタンクを外部に委ねているのは良いと思うが、現状だと平行線上で会話が噛み合う気はしない。
今後どういう着地地点になるか分からないが、当分完結はしなさそうだし余りにも引き伸ばしすぎた結果運営側もストーリーを把握していないという事態に直面した為、考察するのはまだまだ先になりそうである。


結局シナリオが良いソシャゲってのは大抵これである。ソシャゲは大抵シナリオが破綻する。それは終わらせられないからである。偶に勘違いしている人がいるがソシャゲは良いストーリーを書くために運営しているのではなくどうすれば金になるかを考えた結果良いストーリーを書くことが最善と判断したから書いてあるのである。
そしてソシャゲの問題点として新規は入るのが困難になる問題がある。特にバンドリをプレイして気付いたが後からプレイする層には配慮されていないと感じた。
まぁこれはいずれプロセカも直面するのだが、ソシャゲのシナリオはメインでかなり勧めてイベストで小出しにするせいで、毎日とか毎週とか読むのは楽しくても後からまとめてプレイするととてつもない久通に襲われるという事態に直面する。
そしてソシャゲはそのシナリオ単体でもシナリオが完結せず、特にカードを引いたことによって読めるシナリオ等があり同じシナリオを読んでいるのに理解力に差があるという事態に直面する。

これにて私の記事は以上である、一部初期作品を超えた記事もあったが折角だから書いてみることにした。
本当はナルトの一部信者やDBZ信者も書こうとしたが、ジャンプは引き伸ばしがあり正直今回のテーマからはそれる気がしたから外した。
特にDBは最早終わらせられなかったというのは有名な話だし、デスノも悪役がカツのはよくない、というのもあり結局そのテーマで話しても引き伸ばしが良くないに陥りそうだったからである。
また、上の3だが私は別段そうは思わなかったというのもあるし該当する作品は異常に少ない気がする。(私が知らないだけ?)まぁギアスが中盤中だるみするのは事実だが、ぶっちゃけアレよりつまらない作品のほうが多いし。
偶にいる初期作品程面白い信者、その人達はよっぽど中身を見ているのである。
だからこそ中身を見すぎているから些細な変化にも気付き、最近の~~はつまらないという感想に陥る。
まぁ、初期がつまらないとそもそも人が寄り付かないからある意味で正解なんだけど。



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