10分1000字創作 これからとこれまでの話

17時間労働。それが過去の私より通達された一つの命令、試練だった。
創作者は皆創作に身投げしなくてはならない。創作者は皆、己の創作と常に向き合わねばならない。創作者は皆、他者への愛よりも創作に愛を持たねばならない。過去の自分、というのは常日頃僕の脳内を支配している言葉たちだった。
僕の脳内を支配しているのはぼんどりあーー硬く、古い表現で言えばボンドリアンで、彼は僕が創り上げた司令塔であった。それは二重人格とはまた違い、僕の理想とする存在そのもので、よく僕が理想としない行動に移ろうとすると、僕が彼に提出した行動企画書を燃やされ「忘却・秘密の穴」にその燃えカスを捨てられるのがオチであった。
さて、ぼんどりあの話はこれまでにしよう。問題は時間、17時間労働のほうだ。私の平均睡眠時間は7時間であり、1日24時間からそれを引いた値が17時間ということなのだろう。…笑わせてくれる。こんな量、こなせるわけがない。朝時間ぴったりに起床し、身支度をしながら創作プロットを考え、パンを咥えながら新たなる意見と創造の角で創造のために衝突する。そして、手の痙攣が止まらなくなり、結局自分の感情もとい理性的な創作に明け暮れる。文面に起こすとまあメルヘン・チックだ…やはりできっこない。でも、やるしかない。このからだはサブカルチャー…いや、それともまた差異を持つーー「ボンドリズム」と呼ぶべきだろうか、とにかくそれに侵されているからだ。

「こうしている間にも、にゃるらは創作している」

この言葉一つで表現できる、中身のまったくない、とりわけナチズムのような、それはにゃるら文学反動主義でしかなかった。
この反動…すなわち、嫉妬心にて生み出されたこの原動力は、今や有頂天に達し、私の闘志を熱く燃やしてくれている。しかし…からだのほうはと云うと、そうではない。動かない、動かないのだ。やはり17時間というのは相当な時間で、脳にも、そしてそれに連動するからだにも当然負荷がかかる。嗚呼、しんどい。だが、やらねばならない。
ちなみに補足でいうと、この文は自動記入法で完了されている。私の提唱する哲学の一つに「知性を超えた文学」というものが存在する。
それは、表現できる幅を乗り越えた感情は、知性すなわち理性すら超越し、最終的に人間の情熱に帰還するというものだ。
人間の情熱。それは、知性よりも卓越していて、かつ生まれにくい。しかしながら、この自動記入法ではそれが完了する。素晴らしいだろう。あゝ、時間が来てしまったようだ。それでは、また。

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