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そこにいなくなるということ。

死ぬということ。
その人が書くカレンダーの予定が、もう更新されないのだということ。
冷蔵庫の味噌が食べ終わらないまま、ずっと残り続けるということ。

ばあちゃんが、あっという間にこの世からいなくなってしまった。
お葬式が終わったとき、雨が降り出した。
みんなが帰れるまで、雨は降らなかった。最後まで、ばあちゃんらしいなぁと思った。

雨の匂いがして、なんだか懐かしい気持ちになった。目を閉じると、今でも声が聞こえてきそうな気がする。

年齢で言えば長寿、それでも、いまだに信じられないのは、本当に元気な人だったからだと思う。
そして、本当に元気だったからこそ、終わりが完璧だったことにさらに驚く。

遺産の相続は、何年も前に、娘である私の母と息子である母の兄に話をしていたらしいし、遺書も書いていたらしい。
自分のお葬式のためのお金も用意していたし、遠方から来る人の足代(!)まであった。

自分が高齢になったとき、自分がいない未来を想像して、ここまでできるだろうか…。

亡くなる1週間前、ばあちゃんが倒れた日。たまたま九州にいた私はそのまま会いに向かった。
すぐ病院に行って、温かい手を握る。昏睡状態なのは悲しかったけど、ちゃんと、鼓動を感じることができた。

その後、お兄ちゃん、従兄弟、たくさんの親戚が心配してお見舞いに来た。
今思えば、ばあちゃんは、ばあちゃんを大切に思う人たちが十分に会える時間をくれていたようにも感じる。

そして、倒れてから6日後。日曜日の朝、私は東京で訃報を聞いた。
すぐに熊本に帰って、ばあちゃん家へ。冷たくなった頬を触って、あぁ本当なんだって思った。

死ぬって不思議だなぁって思った。月並みだけど、本当にそう思った。いったい何が、違うんだろ。だって本当に、元気だったんだもん。

冷蔵庫の中の使いかけの味噌とか、メモが書いてあるカレンダーとか、ほんとにほんとに愛おしかった。

顔を見るたび、写真を見るたび、骨になったとき、私こんな気持ちになるんだ、と自分が驚くほど涙が出てきた。

遺影の前で、目を閉じた。どんな言葉を送ろう。

いつも見守ってくれてた。思い出なんて思い返せないほどあるし、そんなこと、言わなくてもきっと伝わってると思った。目の前にいたら、言葉にしないと伝わらないけど、今もう目の前にいない人には、なぜか、言葉にしなくても伝わってる気がした。

頑張るから、見ててね。

自然と浮かんだ一言は、自分への言葉だったと思う。
そのとき、ばあちゃんは不変の存在になったんだと思った。ずっと、みんなのそばに、わたしのそばにいる。ただただ、そう思った。

誰かの人生をドラマにできるのは、
当事者ではなく他人。

これは、ある本の論評で見た言葉なのだけど
本当にそうだと信じている。
だから、私が知る、ばあちゃんのドラマを誰よりも大切にしようと思う。



と、いうわけで初note、
忘れたくない記憶。

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