5年前のバス事故のこと
ちょうど5年前の今頃、カンボジアは連休(プチュンバン)で、海が綺麗なケップという町に向かっている時、友達と一緒に乗ったバスが、死者も出る事故に遭った。
そんな出来事を思い出すこともなく、日々を過ごしていたけれど。
先週渋谷で、カンボジアに住んでいた頃の友達と久しぶりに飲んだ。飲みながらあんなことがあったね、こんなことあったね、と話してとても懐かしくなった。
そして、私たち2人が遭遇したあの出来事もちょうど5年前の今頃だねと話をして、たまたまだけれど、なんだか不思議なタイミングだなぁと思った。
あの日、本当に突然の出来事だった。
プノンペンを出発して1時間くらい経った頃。
私たちが乗った大型バスが乗用車と正面衝突、バスは川に落ちて横転。
斜めになった車内に川の水がどんどん入ってきて、ドアが開かない。
あ、もしかして、このままだと外に出れない?と思った時に、誰かが窓ガラスを割って、バスの乗客はみんなそこから脱出。ほんの数分の出来事だけど、長くて苦しい数分間だった。
私は頭を打ったので、衝突した瞬間の記憶が曖昧なこと。
友達のサンダルが片足なくなってたこと。
何も持たずに出た私たちの荷物を、親切な誰かが外に出してくれたこと。
ようやく外に出て見えた光景で4〜5人は即死していることがわかったこと。
事故の後、あの日の光景が夢に出てくる夜がつらかった。
乗客に私達以外の外国人はいなくて誰にも英語は通じず、そんな中で警察や救急車は、来れても3〜4時間後位と聞き、途方に暮れそうになった。
血だらけの人がいる光景は本当に苦しかった。
片言のクメール語でどうすればプノンペンに戻れるかをいろんな人に尋ねて回って、バイクタクシーと、全く知らない家族の車を乗り継ぎ、1〜2時間かけてどうにかこうにか病院にたどり着いた。
不安すぎる帰り道、全く知らない家族のおばあちゃんがくれたココナッツゼリーを食べながら、車の中で2人で泣いた。あの味忘れられない。
生きててよかったとか案外人って死ぬんだなぁとか、そんなことを思ったり、
でも別に、言うほど思わなかったり。
事故に遭っても遭わなくても、生きてるのも死ぬのも、きっとちょっとした違いなんだと思う。
カンボジアで暮らしてた頃のことはよく思い出すけれど、夢のような遠い記憶になってきて少し寂しい。だけど、人生でとってもとっても大事な時間だったのです。
日常の心地よさ、東南アジアの独特な匂い、四季がないこと、新卒で社会を知らない私にとっては1日1日がとっても長かったこと、
5年前なんてそんなに前のことでもないのに、あの頃の日常がぜんぶ遠い昔のことのように思う。
懐かしいね。ソカホテルにて。
なすちゃん、たけまり、写真映ってないけどあやちゃん。本当に本当に貴重な、同い年の在住仲間。今でも仲良くて、それぞれの場所でみんながんばってるからいつも尊敬してる。
そんなことを思い出しながら、その5年後の今日はというと
決して特別ではない、よくあることを集めたような1日。
お昼は友達と、近所の美味しいらしいカレーを食べに行った。からくてからくて、私は半分も食べられなかったけれど、楽しかったのでヨシである。
その後少しお茶して解散し、新潟は長岡へ向かう。
新幹線では疲れが溜まっている代表が隣で寝ていて、私はパソコン仕事をしたり、つらつらと思いついた文章を書き始めてみる。
長岡駅について、さらに移動し山古志村へ向かう。
山の中で目的の仕事をして、空いた時間で、最近東京に引っ越してきた兄夫婦にお土産を買う。
仕事が終わって長岡駅の近くで代表とラーメンを食べた。
相変わらず頼みすぎるので食べきれなくて、気付いたら新幹線の時間になり、走ってギリギリ間に合う。
東京に着いて、最寄駅から家に歩いていると、超近所に住んでる友達と道端で会ったので立ち話。私たちは頻繁に会うけれど、たまたま会うとなんだか嬉しい。ちょっと喋って、解散。
なんでもない1日も、なんでもなくなかった1日も、
毎日きっといろんなことがあるね。
日常って、たまに振り返ると本当に積み重ねで、
特別なことがない時こそ大切だなぁと思うのです。
なんだかそんな1日を、残しておきたくなったので
つらつらと書いてみました。
2020.10.13
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