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変化するときに必ず通るところ

次のステージへ進む時、そろそろ変化の時だなと感じ始めると、自分の中で今の状態に違和感が少しずつ出てきて、動き始めなければならない感覚や何か根底から整え直していくことの必要性、本能的に変化の兆しみたいなものだったりを感じ始めるようになる。

でも、このキャリアチェンジする時、次のステージへ進む時、根底から捉え直し再構築していくとき、その状況は一旦安定を欠いた混乱状態に陥ることになる。

混乱はこの先を信じていれば楽しみなんだけど、前進をやめたらこの混乱から抜け出せなくなるのではと不安で、本当に自分にできるのかと疑う気持ちが出てきたり、あとどれくらいいけば出口に出るのかがわからない、そのうち本当に出口はあるんだろうかとか、そんな気持ちにもなる。

次に具体的に何をするかも決めないまま、でもまずは自分のあり方をいちばん大切にするということを優先すると心に決めて、会社員を辞めた私はその直後の1年間はまさにこの混沌の状態だった。

漠然と見えているものに向かって進み始めた、ありったけの勇気を出して、

(いや本当は勇気を出せなかったからもうこれ以上我慢できないというところになる、自分の中が満タンになるまで待ってたから、自分を抑え切れなかったという言葉が正しい感じだったけど)

思い切って「えいっ!」と飛び込んだはいいものの、何か勘違いしていたのではないだろうかとか、本当にできるんだろうかとか、そういうことも頭をよぎりながら、それでも向こう岸にたどり着こうと必死で手足を動かして、向こう岸があとどれくらいのところにあるのかもわからないまま、掴みたいものが掴めない感覚の状態でひとりでその糸口を掴もうと考え動きを繰り返す時間だった。

自ら安定を捨てた、混沌の状態。

でも考えてみれば、これは当たり前で、ものごとの変化には法則がある。この視点で見ると、小さい花も大きな視点で見る時代の流れも、全てのものは変化し続けていて、ある安定した状態から次の安定した状態に進む時、それらは一旦、それまでの安定の状態を打ち消し否定する状態をどんな時も必ず経ることはいつの時も事実だ。

このコロナの状況も同じだし、

国も年代も関係なく、安定した時代から次の安定した時代に移行するときには必ず、その前の時代を打ち消す戦乱や革命の時代など、傷つき血を流す混乱の時代を経る。

幼い子供と親という守り守られる安定した力関係が成立していた親子関係から、大人と大人という対等な人間関係へと関係が変化するとき、前の安定状態を一旦壊す必要があるために混乱の反抗期を経る。

家のお片付けをしようと思ってクローゼットの中のものを一旦全部出すと、片付けているはずなのに部屋は一旦大変な混乱状態になる。笑


それでもどの時も、その変化が表面的な小手先のものではなく、根本的な解決をはかったり、根底から見直して整理し構築し直そうとするときほど、時間もかかるし一旦散らかる感じも大きいし、ときに痛みも伴うしで、何だか前に進もうと思ってきたはずなのに、全く自分は進んでいないような、むしろ現状を見ると後退してるんじゃないかという気持ちにさえなる。

前の安定した状態から抜け出して次の新しい秩序ある状態を目指すときに生じてくる、絶対に通過する必要のある混乱というフェーズ。当たり前だけど突然次の安定状態には飛べなくて、そこにたどり着くまでに必死で泳ぎ続ける必要のあるフェーズ。

それでも、これだったらいっそ前の方が良かった、、とかには私はならなかったのは、人に支えられていたことも大きかったと同時に、その変化を自分で望んでそれを選ぶとき、この混乱状態を通り抜けることへの覚悟はできていたことも大きかった。
この状態を経なければ対岸に渡ることはできない。頭でわかっていても、心は別。不安と恐怖とそこから派生してくるイライラとモヤモヤと葛藤。そんなものを持ちながらそれでも前に進むことをやめない、そうまでしてやりたい理由は何かを自分ではっきりさせておく。

そうしてそこを通り抜けて獲得していったものは大きいし揺るぎない。

綺麗事じゃなくて、何か「自分を信じて!」みたいな曖昧な精神論ということでもなくて、今はもうこのことを確信を持って言える。

この、子供の頃から教えられてきたようなこと。
それが本当にそうなのか、私はずっと確信を持ちたかったんだなと、本当にそうか自分で確かめたかったんだなと思う。

その状態が前進状態でしかないこと。考えまくって動いて進んでるからこその状態なんだと。むしろ安定なんて感じることの方が後退なのかもしれないこと。

何を選ぶも選ばないも正解もない。
全部、いつだってやめられる。
目の前には好きで自分が選んでしてることしかないということをいつのときも噛み締めていく。

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