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何をやるか以外にもう一つ考えるべきこと

漠然とやりたいことがあって、それがはっきりとは自分の中でわからなくて、

とにかく今目の前に見えている道をこのまま行くことではないということだけははっきりわかっていて、自分が選ぼうとしているこの先に何があるのか(もしかしたらないかもしれない)わからないけど、

だからこそ、もう一歩を踏み出して行こうと決めて踏み出してから、動いているうちに、私は自ずと本能と嗅覚で自分が求めているものがある場所に来ているということを自覚していくようになっていきました。

哲学や思想を教える教師の道や営業、経営、ビジネスの道を選び取ってきた中でブランディングに出会い、これまでやってきたことが自分の中でつながっていく、裏付けが取れていく感覚。
自分がやりたいことはこれなんだと次第に明確になっていく。

(自分のやりたいことが明確になっていった記事はこちら↓↓)

それでもその道に踏み出していくために改めて必要な最後の一歩が踏み出せない。
もう手元に材料は全て揃っている状態なのに、その最後の最後のところで足がすくんでいる自分がいて、

やりたいことがわからないから走り出せないと思っていたけど、私の場合はそれだけじゃなかった。

やりたいことが明確になった上でなお、最後にさらに立ち現れてきたいちばん大きな壁、、自分の超えなければいけないどうしても超えたいと思っている壁。もう一つステージを変えていくためのラスボス、、

ここに気づき始めて足掻いていくようになったのが、今年2020年2月、3月頃でした。(なんだかもうすでに自分の中で過去のことになりつつあって、その頃の繊細な感覚を忘れていってしまいそうだったから今書き残しておこうと思います。)


(今年2月、子供の3歳の誕生日前にと家族で石垣島へ行ったこの頃。
旅そのものは楽しくて幸せな時間だったけど、この頃は出口を探して心の中は悶々としてたなぁ。なんか表情にも表れてるかな笑)↓↓


4月からいよいよイロドリブランディングの「社員」として本格的に創業者の村本彩と一緒に「この事業を」やっていくんだというところが自分の気持ちの中でも明確になっていって、それに向けて準備を進めていく中で、この頃たくさんたくさん丁寧にお互いの考えや想いを擦り合わせ、話をしていっていて。

そんな中でぽろっと言われた一言。


「遠慮せずさっこ色を出して欲しいの」
(※「さっこ」は私の愛称)


はい来たー。それですよねと。笑
もうね、一瞬でわかるというか、この一言こそが私の30年にわたるテーマだなと。
来たよラスボス、、ってかんじで笑


「人がその人自身を生きる」を生み出していきたいと、なぜ私はこんなにも思うのか、というところは何よりも自分自身がそこに対して渇望していたというか、欠落していたというか、飢えていたというか、それまでそうではなかった自分が現実にいて、そうありたいという気持ちが強くて。

いよいよ自分がそこを体現していくフェーズに来てしまったという、ここを今超えなければ、ここから先には進めないということもよくわかっていて。

で、多分ずっと私はここに至るまでに自分の逃げ道を断つように無意識に自分を詰めてきていて、「さあ整いました、あとははいどうぞ行くだけですけど何か?」っていう状態のところにまで自分を連れてきていて、ここの課題に向き合わざるを得ない道を選び取ってきたんだとこの時自覚していった。

この時立ち現れた私の中のラスボスの正体、、
それは幼い頃から気質的に生まれ持ったものと経験とが自分の中に作り上げていった自分を守りぬく術だった。これ以上傷つかないように。自分が損をしないように。かつ人に不快な思いをさせないように。みんなが笑っていてくれるように。結局自己保身でしかなかったこれらのもの。
(ここは長くなるのでまた次回。)



自分の想いから溢れてくるものを持って、その「自分で生きていく」ということは、まさに「自分色を惜しみなく出していく」ということ。

自分の意志で自分の思いから人生を選び取って自分の人生に自分で責任を取っていくこういう生き方は、時に苦しいものだと思う。誰のせいにもできなくて、全て原因も結果も自分が引き受けるということだから。

人に委ねて、人に考えてもらって、人から「正解」を与えられて、それに従って生きることはとても楽だし、傷つくこともないし、守られていて、そこから抜け出したい理由が特になければそれはそれで幸せなのかもしれない。

それでも、結果的にそのラスボスを超える一歩を踏み出せた今、それまでの30年にわたって何かから自分を必死に守り続けてきてどこかうまいことやってきて傷つかなかった私より、私は今よっぽどマシなところにいると心から思えるし、ずっと来たかたったところにやっと来られたと思うし、ここに広がるこの世界はまさに生きてるー!を感じられる場所だ。

鎧も何もつけてない、ちゃんと素っ裸の自分でいる。
仕事だからじゃなくて、自分の真心として向き合っていける。
そのほんとうの姿が露呈した自分の状態で一つ一つ向き合いながら前進する。
本心で思うことに進んでるからこそ、ちゃんと傷つくことができる自分でいられるし、ちゃんと落ち込むことができるし、だからちゃんとクリアしたら立ち直ってほんとうの前進ができる。

自分の想いを起点に生きていくことは、こういう側面があることを知ることと、それでも自分がそっちの方を選ぶ理由があることを自分で知っていることが、必要なんだと思う。

何をやりたいのかを考えると同時にこの「どうありたいのか」をはっきりさせてそれをあえて選んでいることを自覚することが必要で、そこには肩書きや立場や働き方が何であるかは関係ない。

私はこれを自分の中でよりクリアにしていく過程の中で、そのために自分が超えていくべきラスボスの正体があらわになっていき、ずっと頭の片隅にあったこれと、初めて正面から対峙していった。


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