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風姿花伝「誠の花」

「誠の花は、咲く道理も、散る道理も、心のままなるべし。されば、久しかるべし」

『風姿花伝』の44、45歳の心得の候にある言葉です。『風姿花伝』では、人生の段階を7段階に分けて説いており、そのうちの12、13歳を「時分の花」とし、世阿弥はその年代の美しさに、最大級の賛辞を贈っています。

しかし若さゆえの「時分の花」は、年頃を過ぎれば散ってしまう一時的な花であり、生涯を決める美しさではない。故にこの年代には、しっかり稽古をつけることが大切だとも説いています。

のちに迎える44、45歳は、人間においての「誠(真)の花」。若い頃とは違い、他者から見ても舞には衰えがみえる頃ですが、しかしそこで密やかに咲き続ける「花」こそが、「自分」という人間の本質「誠の花」であるといっています。

またこの時期には、後継者の育成に励むようにとも伝えており、「ワキのシテに花をもたせて、自分は少なく舞台をつとめよ」とも。つまり「後継者に花をもたせ、自分はひかえめに」との意です。「自分の限界を知る者こそが名人の証」といったところでしょうか。

その後の50歳以降については、父の観阿弥を尊び書いたと思われる、こんな言葉があります。

「能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり」

晩年期の観阿弥は、数々の演目を若手に譲り、自身はやさしい所を少な少なに演じただけでした。しかしその芸の奥深さは、ますます見惚れる程だったといいます。真の花を咲かせた花木は、高齢の老木になっても、花は散らずに残っていた。これこそ老骨に残る花の証であり「真の花」なのだ。父の能を尊ぶ世阿弥の声が聴こえてくるような一節です。

樹木希林さんが残された「時が来たら、誇りをもって脇に退け」という言葉を、重ねて思い出しましたね。

久しぶりにひらいた『風姿花伝』でしたが、このたびも、世阿弥が残した言葉の奥ゆきに触れ、あらためて、自分という花木の完成について、じっくり考えてみたくなりました。大切にしている一冊です。今日もいちりんあなたにどうぞ。

ヤマボウシ 花言葉「友情」

秘すれば花なり


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