八尺さまは頑張った


 八尺様は2chの怪談に登場する怪異だ。高校生の頃、八尺様を読んでとても怖かった記憶がある。修学旅行で夜、怪談会をしようということになって、沖縄の古い民宿でクラスメートが読んでくれたのだ。その雰囲気もあって、すごく怖かった八尺様だけど、今になって思うと八尺様はとても頑張ったんだと思う。大学に入って色んなことを勉強していくうえで、僕は八尺様が好きになった。そのことについて書いていこうと思う。

 

 道を歩いていると、よくお地蔵さんを見かける。

 僕の住んでいるところは地蔵信仰がかなり篤いのか、昔ながらの漁村がそのまま住宅地になったような街だからか、やたらとお地蔵さんが祭られてある。お地蔵さんというのは地蔵菩薩のことで、観音菩薩や弥勒菩薩、文殊菩薩など菩薩さまの中の一人だ。

 そうすると菩薩さまとはなんぞや。という話になるけど、菩薩さまの説明は難しい。本来は仏教において悟りを求めて修行する人のことを指すそうだけど、じゃあ、僕が悟りを求めて修行をすれば菩薩かと言われると、誰も僕を菩薩さまとは読んでくれないだろう。観音菩薩や地蔵菩薩など今の日本では神様みたいなニュアンスがあるから、菩薩にもそういったイメージがある。

 よく似た言葉で如来というのがある。大日如来、阿弥陀如来、薬師如来。如来というのも神様の呼称くらいのイメージだけど、この如来と菩薩の差を考えれば菩薩の姿が見えてくる。


 まず、如来というのは既に悟りを開いて、輪廻転生から抜け出している。だから、阿弥陀如来は西方浄土に住んでいるし、薬師如来は東方浄瑠璃浄土に住んでいる。そのため僕たちのような輪廻転生の中にいる人を直接救うことはできない。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』でお釈迦様は蜘蛛の糸を使って罪人を助けるけれど、あれも極楽浄土にいるために直接手を差し伸べることができないのだ。

 一方、菩薩はまだ輪廻転生から抜け出していない。お地蔵さんは地獄に歩いて行って、罪人のかわりに罰を受けるし、観音菩薩もよく女の人に化けて、人前に現れたりする。菩薩さまは本当はもう悟りを開いて輪廻転生から抜け出してもいいんだけど、衆生を救うために六道にとどまっている。

 たとえるなら、放課後、居残りしてた二人の生徒がいて、菩薩ちゃんはもう課題は終わったんだけど、隣の男の子がまだ頑張ってるから、その子の課題を手伝ってあげてるみたいな感じだろうか。

 とにかく、菩薩はそんな感じだ。じゃあ、地蔵菩薩と観音菩薩にはどんな違いがあるかと言うと、観音菩薩は祈りに反応して衆生を助ける。観音様はじっと助けを求めにくる人を待っているイメージがある。

 一方、お地蔵さんは歩き回る。困ってる人がいないか、ぐるぐる歩き回るのがお地蔵さんなのだ。だから、道の辻々にお地蔵さんの石像があると、今日もお地蔵さんは歩き回ってるんなと、ありがたい気持ちになる。


 しかし、仏教が普及するまで、町の辻々にはもっと違った神様がいたのだ。

 宇治拾遺物語集にこんな話がある。

 今は昔、道命というお坊さんがいたのだけれど、このお坊さんは声が良くて、お経もたいへんありがたい感じがした。このお坊さんは和泉式部ちゃんという彼女がいて、よく和泉式部ちゃんのもとへ通って行った。

 朝起きて、和泉式部ちゃんの家でお経を唱えてると、汚いおじいさんが庭先に立っている。「何の用だ」と聞くと、「ありがたいお経が聞けて感激だ」と言う。「お経は毎日読んでいるぞ」と言うと、おじいさんは「いつもは綺麗な身体でお経を読むから帝釈天など強い神様が聞きに来るため、自分は近寄ることができない。今日は身体を清めず、汚い身体でお経を読んだために帝釈天が聞きにこず、自分もお経を聞くことができた」とおじいさんは語った。

 このおじいさんは名もない身分の低い神様だったから、帝釈天などがいるときは近づくことができなかった。

 こういった身分の低い神様も、仏教が来る前は、各農村で、信仰の対象になっていたのだろう。だけど、仏教が伝来したことで神様はグローバル化の憂き目にあって、滅ぼされてしまった。街の商店街が、ショッピングセンターにとってかわられるようなもので、道の辻々にお地蔵さんが立つ前には、本当はそれぞれの土地、それぞれの村が個別に信仰の対象を持っていたのだ。

 話を八尺様に戻そう。

 八尺様も道々に立つお地蔵さまによって封印されていたという。これもその土地にいた神様が地蔵信仰に取って代わられたことを意味しているのだろう。仏教の普及によって多くの神様が名前を失い、仏教に滅ぼされたなかで、八尺様はインターネットの中で復活し、全国に知られる神様になった。

 これは大変なことだと思う。きっと八尺様は頑張ったのだ。地蔵菩薩の封印から抜け出して、人を怖がらせ、(最近はえっちな誘惑もするようだ……)、再び信仰を勝ち得たのだ。僕は八尺様に「よくやったね」と言ってあげたい。


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