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Summer Sloth/気怠い夏への誘い

8/22(木)関内Venus
“Summer Sloth vol.3”🏝🐠
https://www.venus-hk-j.com
横浜市中区太田町2-27
ザ・バレル飛高ビル4F
045-228-8559

加藤咲希(Vo)
浅川太平(Pf)

1st 19:40, 2nd 21:00, 3rd 22:20
MC+TC Gentlemen¥5000お通し付, Ladies¥4000お通し&1drink 付

気怠い夏、と題して、終わりゆく夏をテーマにした、もしくは夏に聴きたい、夏を彩る曲たちだけを集めました。クリスマスみたいなもので、1年に1度しかできない企画。ゆったりとメロウなボサノヴァとジャズ、ポップスのオリジナルアレンジ、オリジナル曲で構成されています。

例によってSummer Slothについて、いささか不穏なプロローグを。

私は季節の中で、圧倒的に夏を愛しています。『悲しみよ こんにちは』でも『異邦人』でも『太陽がいっぱい』でも、太陽の光をたっぷり浴びて殺人が起きるのは真夏の盛り。

何年か前の8月、当時大好きだった、自分の人生の全てだった人(誰かが自分の全てだというような、そんなふうな恋愛をしてはいけないとわかっていても、なぜかいつもそうなってしまいます)と海に行きました。この旅が終わったら二人は離れないといけないことはわかっていました。それでも私たちは海に行った。人生には、生活には、瞬間しかないからです。時間なんて幻想なんです。

私はレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を持っていきました。この本を貸してくれた彼は神経質な人で、砂がついたら嫌がるのをわかっていましたが、でも今の気分にぴったりなのはこの本しかないのだから、持っていくしかありませんでした。

旅は終わり、世界は終わりました。あのとき確かに私はいちど死んだのです。何よりも恐ろしいのは、私たちは誰かに殺されたわけではなく、私たちは、私たち自身の愚かさによって殺されたのです。

世界が終わる前のあのきらきらした気持ち。私たちは若くて、美しくて、仲睦まじくて、愛を分かち合い、愛を広げ、世界の全てから祝福されていました。まるで世界の頂上にいるような、恐ろしいほどの幸福感。私は考えていました、こんな幸福は恐ろしい。こんなに幸福であったならば、明日死んでしまうに違いない。そして予感どおり、私は死にました。だからそんなことは決して考えてはいけないのだと、よいヴィジョンだけを持って生きていくようにと、今よりも何年か年若い私に伝えたい。想像できることは現実化してしまうのだから。

生まれ変わってやってきた新世界でもいろいろなことが起こります。病気や肉体の死、嘘、裏切り、欺瞞、前世の記憶の悪夢。世界の戦争、自分の中の戦争。

平時に音楽家ができることは何か?音楽を奏でることです。有事に音楽家ができることは何か?音楽を奏でることです。

あの美しかった前世を音楽の中で再現してみようと試みました。私たちが生きていたあかしとして?或いはただもういちど、あの感覚を味わおうとして。今でもあのときどうしてあんなに完璧だったものが壊れて/を壊してしまったのか意味がわからないのです。

そうしてできた曲がLilla Flicka名義の”Heavenly Blue”という曲。私が曲を書くときは、たいていメロディと歌詞が同時に出てきます。この曲もそうやって出てきました。最初からコードが鳴っている曲もありますが、この曲にはどんなコードを紡いだらよいのか、わかりませんでした。歌詞とメロディ以外ではビートの感覚だけは最初からありました。そこで、歌詞とメロディとリズムパターンだけを新音楽制作工房の面々に伝え、ここから曲を構築してもらえないかと打診しました(新音楽制作工房は『岸辺露伴は動かない』の劇伴等で活躍する音楽制作集団です)。

工房の田島浩一郎さんがビートのデモ(ここでは声以外の要素、バックトラックのことを指します、音楽業界人にとって「ビート」は大きく分けて二つの意味を持ちます。ひとつは曲におけるリズムセクション、もうひとつは主にDAW、コンピューターで作ったトラックのことを指します)を聴かせてくれたときに私はほんとうに驚きました。

このHeavenly Blueはアレンジではない。私が想像し得たHeavenly Blue以上にHeavenly Blueだったのです。かなしみも、美しさも、予感も、不穏も、複雑も、調和も、不協和も、夏の日差しも、波の音も、汗も、生も、死も、花も、Heavenly BlueがHeavenly Blueたるべくして過不足なく正しい分量だけが入っている。仏像を彫る仏師は、素材に仏を刻むのではなく、すでに素材の中にいる仏を彫り出すだけなのだと聞きました。完成に向かう過程では、エンジニアの向啓介さんの手腕によって、夢の世界の輪郭がさらにはっきりと馴染んでゆきました。

そして去年2023年の夏、Summer Sloth vol.1を開催するときに、Heavenly Blueをアコースティックアレンジでやってみようと思い立ちました。Lilla Flicka名義での歌手活動はしばらくしていないので、Heavenly Blueを加藤咲希名義のジャズオリエンティッドなライブにも取り込めないかと考えたのです。

田島さん作のオリジナルを聴いたピアニストの浅川太平さんは、あっさりと、これはピアノとボーカルだけでアコースティックにもできる曲だと言いました。私はこの曲をジャズライブに馴染ませる為に、元は日本語で作った歌詞に対して、意訳する形で英語詞をつけて歌うことにしました。英語詞もするする出てきました。「”持っている”作品/It’s got what it takes」とはそういうものです。

そして本番。私はこのときも心底驚きました。田島さんはたくさんの楽器や音色やエフェクトを駆使して、まるで彼岸にいるかのような、あのとてつもなく美しいトラックを作って下さり、今度は浅川さんはピアノひとつで、私が想像し得る田島さん作のHeavenly Blueのアコースティックヴァージョンの遥かに上をいく、極上のHeavenly Blueを即興で奏でていました。

いつもそうなのです。以前から何度か言及していることなのですが、私には、周りに天才しかいない、という才能があります。音楽理論の師匠にして新音楽制作工房の長、菊地成孔さんに言われたことがあります。「加藤さんには構造的な欠陥がある」。これは、私は歌ったり曲を書いたりするけれども、流暢に楽器を奏でることもなく、かと言ってDAWを駆使して電子的にバックトラックを作ることもないので、音楽活動をする為には必ず誰かとのコラボレーションをする必要があることを指しての発言です。

私には構造的な欠陥があり、その代償として、埋め合わせとして、神の采配として、周りに音楽の天才しかいないのかもしれません。必要なものは全て与えられるというのはほんとうなのでしょうか。だとしたらどんな苦しい生にも救いは用意されているのだと信じたい。願わくば、全ての人の心の中の戦争が終結しますように。

今回のライブ、Summer Sloth Vol.3でもHeavenly Blueをまたアコースティックアレンジで歌います。そしてセットリストにはこの曲を中心に、死にそうに幸せな曲や、過ぎゆく夏を歌った曲や、もう終わってしまった恋の曲を散りばめました。

ビル・エヴァンスは”Kind Of Blue”のライナーノーツに「修練を持って整理されたロマンティシズムは最も美しい類の美」だと記したそうです。ブルーには種類があります。これは天国の青。再び、正しい分量のかなしみを奏でてくれる浅川太平さんとのデュオで臨みます。

結局、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』は返しそびれたままです。

【追記】
本日、アラン・ドロンが亡くなったとの報道があったようですね。R.I.P.

Lilla Flicka名義の”Heavenly Blue”はこちらでお聴きいただけます。
https://youtu.be/fB8ru4Uikf0?si=FxfEKODOhxA-eDiq

サブスクやCDはこちらからどうぞ。
https://big-up.style/mfD9KEBcKs

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