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虚史平成(サコ)

平成14年、2002年。
サコさんがアイシンシーホースに所属することを決めた後押しをした人物が他でもない…ボクだったんですよ!!!!

まずね、ボクとはじめちゃんの関係性から話しようか。あっ、はじめちゃん言ってもわからんか。
だいたいみんな「サコさん」とか「ケンちゃん」とか呼ぶんだけど、ボクはね、「佐古賢一」の「一」から取って「はじめちゃん」って呼んでたんですよ。
でね、はじめちゃんもボクのことを「ジューク」って呼んでね。普通いないですよボクのこと「ジューク」って呼ぶやつなんて。
だいたい「魁」か「河合塾」やもん。
よほどなんかはじめちゃんの中でその呼び方がしっくりきたんでしょうね。
はじめちゃんとボクが出会ったのは大学生の時でした。
当時、はじめちゃんはバスケに忙しくて正直ほとんど講義なんて出てなかった。
んで、ボクはいまこんな感じやけどわりとしっかり講義には出てる方でね。
たまたま、はじめちゃんが講義に出席した時にボクが隣に座っていて、はじめちゃんの方から
「ごめん、ちょっとノート貸してくれへんか〜」って声かけてきよったんですよ。
ボクも断る理由も特になかったんで「わかった〜」言うて貸してやったんですわ。
そこから卒業までずっと仲良くて、たまに飲みに行ったりもして、酔ったはじめちゃんから一晩中熱いバスケ話されたこともありましたね。
卒業後、ボクは普通に就職してサラリーマンやって、はじめちゃんはみんな知ってるとおりいすゞ自動車に入社して華々しい活躍してたわけで。
ただ、順調やと思っていた矢先、そう平成14年に「ギガキャッツ」が廃部になるんですね。
もうボクもはじめちゃんも当時いい歳よ。
お互い1970年生まれやから32歳の時やね。
ボクはいまだに独身やけどすでにその時はじめちゃんは結婚もしてたしね。
はじめちゃんはその時、一般就職する道とギガキャッツの残ったメンバーチームで将来的にプロを目指す道、そしてアイシンシーホースとしてプロになる道の3つあったわけ。
そりゃもう悩んでましたわ。
ある日、はじめちゃんにあれどこやったかな…
たぶん新宿の焼肉屋やと思うんですけど、そこに呼ばれて、肉焼きながら「なぁ、ジューク。俺どうしたらいいかな?」そうボクに問いかけてきたんですよ。
そこでボクは言いました。
「俺はプロなるよ。俺はサラリーマンやめてデンマークに行って、バックギャモンのプロ選手なるよ。俺にはその勇気はある。はじめちゃんは逆にどうなんや?」と。
ボクもサラリーマンやりながらね、バックギャモンってみなさんわかります?戦略的双六みたいなゲームで国内のトップランカーだったんですよ。
んで、デンマークで新しくプロリーグができるからって呼ばれて、安定したサラリーマンの道を捨ててプロバックギャモンプレイヤーになることを決めたんです。
その話は決まったばっかりではじめちゃんも知らなかった。
それ聞いて、はじめちゃんは涙流して。
「ジュークすげぇよ。俺も心決まったわ。プロバスケットボーラーになる。アイシンシーホース行くよ。」ってそっとボクに告げたんですよ。
そうして、はじめちゃんは世界選手権で主将を務めてボクはデンマークのプロリーグで殿堂入りするっていうお互い切磋琢磨し合いあって行くんですね。
これが真相です。

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