大切じゃないなら
こういう時に聴く音楽は決まっている。
隣でただただ弾いていてくれている、そんな感じがいい。
いきなり議論を開始するのは悪い癖なのかもしれない。
整理されてない断片を投げられて、全体を想像するのは恐らく難しい。
それでも、
自分の存在の大きさとか行動の正しさに怯えている私にとって、勇気が持てて、投げかけられるその瞬間がベストなんだと、結果としてベストにするんだと、急ハンドルをいくつも切りながら話を紡ごうとしてきた。
大抵最初はうまくいかない。
そして、最近は大体がうまくいかない。
コミュニケーション能力には自信がある。
正しい事なら、かみ砕いて、広く正しく、伝えることができる。
私の抱えるこの気持ちが正しい範疇なのか、許される事なのか、日々悩み飲み込んできたこの気持ちを、思い切って、思い余って外に出すとき。
体裁を取り繕う余裕がないだけだ。
この10年、色んな事を教わって、色んな事を削ぎ落してきた。
自分の気持ちとか、価値観を基準に考える力が衰えていた。
「穏やかにこの場で生き延びる」選択を続けて、楽しいこと、わくわくすることをすっかり忘れてしまっていた。
でも、私の状況は目に見えないところで、大きく変化している。
今私の周りにいてくれる、目には見えない、だけど血の通った温かい言葉をくれる人たちの言葉で、今まで抑圧していた自分が溢れてきている。
必要以上に卑下していた自分自身を、いたわりたい気持ちが。
罪悪感と、劣等感と。
それでも自分を大切にしたいと。
だから、全部じゃなくてもいいけど、私のその思いは理解してほしいとそう思っていた。
「正しいよ」
そう言ってくれる人がいることを知ってしまったら、
「自分の事ばかり」「我儘だよ」
言葉の重みが変わってきている。
当たり前に我慢してきた私が正しかったというなら
これからも、限られた自由の中でしか生きられないなら。
ほんとは要らない。
決まった形の、色の私が大切で
ゆがんで、色あせて、なおも変化したがる私が嫌なら
大切じゃないのなら捨ててくれたらいいと思う。
でも悔しいかな、思ってるだけ。
「今の協力で納得いかないなら、俺は協力しない」
「どれだけ大変なのか、実感したらいいよ」
実感して、その先に何があるの?
「ごめん、私には無理だったごめんなさい」
そう言わせたいの?
「働いてお金稼ぐって大変だね、いままでありがとう」
って言わせたいの?
私は「世間知らずだ」って言いたいの?
私の気持ちを削いで、狭いところに縛り付けて、何がしたいの?
「思い切り仕事をする」事さえ、当たり前ではないという事を知らないのは誰?
それができない人に「感謝だけを求める」こと
「楽を選んでいる」と無意識で卑下する態度
気付いていないのはどっちなの?
「生かされている事実」を鏡使って見せつけられて
私は笑顔でいられるほど素直ではない。
苦しい。離れたい。
今はこの気持ちをちゃんと噛みしめたい。
だからここに残す。
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