アイデアが降ってくる桃源郷はどこにもないことに気づいた私と、ドナウの真珠
--10年前--
初めて見た、ヨーロッパの建築様式。
知らなかった、乾燥で髪が凍りかけて、ツンと目の奥まで冷える冬の寒さ。
初めて会う、鼻の高く、目と髪の色素の薄いひとたち。
初めての景色に、初めての顔かたちをした人たち。みんな目がでかくて、鼻が高くて、二重だ。あの頃のわたしにとって、新鮮さしかなかった。
ここには、大学の卒業旅行で来た。
はじめましてのドイツ人や韓国人と一緒に安宿ドミトリーの同じ部屋に泊まって、2段ベッドが4つ、ぎゅうぎゅうに配置されてるところで。ベッドに座りながらおしゃべりした背景が、今もまぶたの裏をひっくり返すと出てくる。
英語も大して話せないのに、偶然部屋が一緒になったそのひとたちと3日くらい一緒にいて、夜な夜なトランプをしたりしていた。
どうやって会話していたんだろう。全く思い出せない。多分、現実はほぼニヤニヤ薄ら笑いと、いくつかの単語、そしてアイコンタクトだったんじゃないかと思う。でもそうは思わせないくらいの、深い話を朝まで語ったぐらいの親密さを、楽しさを思い出す。
22歳の、ヨーロッパ初旅行。
何もかもがはじめてで、わたしは目を輝かせていたと思う。
アルファベットの標識を見つけただけで、写真を撮っていた。つまり、ものすごい回数写真を撮った。
写真の中のわたしは、目の奥が、表情が、キラキラしている。旅の間じゅういつでも、とてもワクワクしていて、一緒に旅に来た友達と、ずっと笑い転げていた記憶がある。
見たこともない大きさの偉そうな石像の横で変顔をしたり、公園で当時流行っていたCMの◯富士のポーズをしたり、文字通りの「箸が転げてもおかしい年頃」だった。
就職する前の最後のとき。私たちは、私は、狂ったようにこの国の、旅の、その時間の虜になった。
--現在--
今、わたしは32歳で、フランスに住んでいる。
あの頃にはまったく、1ミリも想像しない形で、10年後を迎えている。
鼻の高くて目の色素の薄いひとたちと毎日やりあっている。郵便局で仕事に必要な荷物が届いてないと主張し、色使いが素敵なカフェでストライキについて議論を交わし、美しいオスマン建築のアパルトマンで暮らし、家でパソコンで仕事をし、上の階のうるさい住民に、文句を言っている。
あのときのわたしからすると、全く予想してなかった日々だ。
想像上にもなかった未来。
あの旅行のあと、わたしは大学を卒業し、大阪で音楽業界に就職し、その5年後にフリーランスライター、その後フランスでもライター、それから、バイヤーとして、株式会社を設立→そのバイヤーを辞める。←イマココ、だ。
そんなわたしが、また、ブタペストに来た。10年ぶりに。
フランスに来てから、この地で生きるために必死で、とりあえずコネ・スキル・語学ができなくてもできるオンラインショップを初めて3年。なんだか盛り上がってしまって、夢中になって、会社まで立ててしまった。
たくさんのことを学んだバイヤーの仕事で、私はとても成長したと思うし、お金で何かを諦めることのない、わりと自由なパリでの生活を3年で手に入れた。
いま、次のステップに進みたいと思ったところだ。
今回は、新しい仕事を何か始めようと思い、アイデアをもらいにきたのだ。
どの国に行こうかな、と思ったときに、10年前にはじめて行ったヨーロッパの国に行けば、「初心に帰る旅」って感じでなんかかっこいいんじゃないかと思った。本当に、就職する前の初心に戻れるんじゃないかと思った。
ただ、ブタペストの空港に降り立ち、迎えに来てくれたタクシーでホテルへ向かうまでの街の景色を車内からみて、まったくなにも、懐かしく感じることができなかった。寂れた感じで、逆に気持ちが落ち込んだぐらいだ。
どこの国も、フランスだって郊外はそんな感じだ。特に空港ってたいがい市街から離れているところに位置しているから、寂れている。
そのあたりの思い出は全く記憶にないし、だから、その当時の記憶がパズルみたいにカチッとはまって「うわー!ここ来た来た!懐かしいー!」などとはならなかった。
多分泊まっていたエリアが違ったことも大きかったが、あの頃は多分、電車の切符の買い方もわからないのでジェスチャーで質問したり、ハンガリー語で親切に道案内してくれる人に必死にいいタイミングで相槌を打とうとしているとか、新しい体験をするのに夢中でだったんだと思う。何気ない景色なんかの、細かいところをを覚えていない。
結論から言うと、今回は散々な旅だった。
10年前に出会った数々の親切な人たちはどこにもいなくて、寒い国特有のコンサバティブな国民性をたくさん見た。
ヨーロッパの国々は全て残らず、見知らぬ人に話しかけたらウィットに飛んだ冗談と共に、陽気に返事をしてくれると思っていた。
そんなことなかった。
返事が、「No!」だけのこともあるんだ。心が冷えた。
極めつけは、3日目に胃腸炎になった。
この土地の食べ物が合わなかったのか、ホテルの朝食バイキングを食べ過ぎたのか(多分後者)、ずっと胃もたれがしていて、3日目についにどこにも行きたくないくらい胃が痛くなった。
今回は一人旅だったし、しかも「薬を持っていたら病気になる準備をしているようなものだ。」と謎の迷信を持っていた私は、薬すら持っていなかった。
夜中に腹痛で目覚めた私は、数時間我慢していたが、とうとう眠いのに痛くて寝れない状況が耐えられず、フロントにコールした。
電話口には「もっと気効かんのかい」としか思えないサービスを滞在1日目から披露していた男性が出た。嫌な予感しかしなかった。
「とてもお腹が痛いのですが、薬かホットミルクは持っていらっしゃいませんでしょうか。」
なるべく丁寧に言ったつもりだった。でも返って来た答えは、
「いいえ。」の一言。
できないなら、それは了解する。
きっと、きっと、ホテルのサービスマニュアルや、ルールがあるのだろう。
でも、体が弱っているときに労わりの言葉がないのは、思ったより辛い。
「いいえ。」の一点張りなので、「他に何か解決法を知りませんか?」と言うと、
今度はちょっとイライラしたような口調で「いいえ。持っていません。夜中なので何もできません。タクシーで病院に行ってください。」
極めて正論だが、求めていないときの正論ほどナイフなものはない。
確か彼は、電話口の第一声で「May I help you?」言っていたが、何もヘルプしてくれなかった。
日本のおもてなしは世界では特別、普通ではない。こんなことは、海外暮らしが長くなるほど知っているつもりだったが、こうも辛辣にされるとは。
動けないため、長時間無駄にポツンとでかいホテルのベットの上にいた私は、昔ここを一緒に旅行した友人に、またブタペストに来ていることを伝えた。
10年の時を越えた彼女は、去年の夏の暑い日に、可愛い女の子を出産したばかりだ。子どもには、彼女らしい名付け方をしていた。とても、美しい名前。
私は胃が痛いので時々、彼女も子育てをしているので途切れ途切れに、懐かしい想い出話をLINEで送り合った。断続的にやりとりをする中で、「飛行機の中でさ、これ見たよな。」と、彼女がこんな写真を送ってきてくれた。
これは、その当時に見たものだ。10年前の、2010年2月の新聞。
乗っていた飛行機の座席ポケットにあった、新聞広告。
「まず自分が、楽しいかどうか。」という、キャッチコピー。
その当時主流だったSNS「mixi」に彼女が載せていて、そこにログインして、写真を引っ張ってきてくれた。
ちなみに私はmixiのパスワードを忘れ、さらにIDにしていた大学のメールアドレスが消滅したため、ログインできない。
当時の私たちは、バックパック旅行だった。行く先も、次の日泊まるホテルも決めてなかった。
何も決めてなくて、行きの機内で「てか行くとことかどうする!?早く決めなきゃ」とツッコミどころ満載のタイミングで焦っていた。
そんな時に、この文字が飛び込んできて、私たちはハッとした。
「まず、自分が楽しいかどうか。」
せっかく楽しむために旅行に来たのに、焦って、スケジュールを埋めることに気を取られていたことに気づいた。これでは、本末転倒だ。
このキャッチコピーが刺さりまくった私たちは、旅の間、それを合言葉のようにして、wifiのない時代「地球の歩き方」の本一冊で慣れない土地をカタコトとジェスチャーで渡り歩いた。
「まず、自分が楽しいかどうか。」これを毎日合言葉にしていた。結果、とっても楽しくなった。ずっと、笑っていて、そうだ、あの時もお腹が痛かった、笑いすぎて。
「自分がまず、楽しいかどうか。」長らくそんなことは封印して、がむしゃらに働いていた、頑張る教だったわたしには、10年の時を越えて、このキャッチコピーからまた学ぶものがあった。
そのキャッチコピーを見て、少し元気になった私は、辛い状態のままではあったが、少し症状がよくなったその隙に、ブタペストの絶景と言われる国会議事堂を、わざわざ見に行った。
夜の気温はマイナス5度なのに、電車を乗り継いで、正面から拝める対岸まで。
遠くからなのに、私は目が悪いのに。彫刻の細部まで精神が宿っている建築様式が見えて、惚れ惚れした。一切妥協のない、塔の先端。ライトアップされてそのディテールが際立ち、さらに、ドナウ川の水面に反射していた、その建物は、美しかった。圧倒された。
心身やられて打ちのめされていたそんな時でも、ドナウの真珠は美しかった。
わたしは多分、この旅に期待していた。
環境を変えれば、仕事の素晴らしいアイデアが自動的に降ってくるだろうと、無意識に環境に期待していたと思う。
そんな魔法みたいなことないって、今までの自分はとっくに知っていたはずなのに。どうして急に駆け上がろうとしたんだろう。
今までで一番好き!と思っていたぐらいだったハンガリーは、人の冷たさと腹痛で灰色の思い出になったし、画期的なアイデアなんて、この寒空の下からも、広いドナウ川からも、どこからも出てこなかった。
ただ、いつまでもまどろんでいられる37度の温泉と、ドナウ川沿いに佇む国会議事堂がよかった。普通に「観光旅行」だった。
旅が終わり、パリに戻ってきてわたしに残ったのは、旅に出る前に2ヶ月間、毎日ウンウン唸って考えていたアイデアたちだけ。
別に画期的なアイデアがポンっと出てくる桃源郷はどこにもなくって、やっぱり、地道に毎日努力を積み重ねていくしかない。
「まず、自分が楽しいかどうか」を問い続けて、それを見つけて、さらに仕事にしていくのは、思ったよりむずかしい。
それっぽいことを見つけるのは簡単だけれど、本当に自分が好きなことを見つけられて、それを毎日の優先事項にできて、なんなら仕事にできている人は、どれくらいいるのだろうか。
わたしなりの「自由なはたらきかた論」それは、今日も明日も、ただ毎日を積み重ねて、自分が何が好きか、自分が何を楽しいと思うか、真摯に向き合い、発見していくだけ。
それが、本当の意味での「自由なはたらきかた」につながると思う。
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