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誰かの期待に応える人生はもう終わりにしようじゃないか。

ここ最近何か自分の中で大きく足を引っ張っていることがありました。リクルートを退職して、誰かのためにではなく本音で自分のやりたいことのために時間を使おうと決めたはずだった。そして、自分の守りたいクライアントさんのために仕事をして、好きなだけピアノを練習して・・・という人生を歩み始めた、はずだったのに、いつの間にか、「誰かの期待に応える」道をまた歩み始めてしまった自分がいました。

誰かの期待に応えるためじゃなく、自分の人生を生きるんだ。

そのことに大切な親友のおかげで気づかせてもらえたので、この大切な気持ちをいつでも思い出せるように、記事にしておこうと思います。

「かかってこい」とファイティングポーズをとっている自分を手放そうよ

ここ最近のことも含めて、自分のエネルギーがうまく発揮されていない時のことを振り返ると、「誰かの期待に応えようとして、疲れる」という現象があったと思います。

幼少期から「頭いいね」「勉強できるね」と言われて育って、いざ大学受験に向き合った時にその周囲の期待に潰された受験生のとき。
バイトとかサークルの仕事とか、人のためのタスクを詰め込みすぎて苦しくなって突然実家に逃げ帰った学生時代。
妻として母として明るく元気にいないといけないと思いすぎて自分の本音を抑圧しては爆発して夫を狼狽させたこと。

こういう状況の時に、実家に帰ったり、映画を見たり、好きな音楽を聴いたり、しばらくぼんやりしたりして自分を取り戻し、またその同じコトに向き合い直した時、「よし、今度は大丈夫!かかってこい!」と、いつやってくるか知れない絶望や大変なこと、乗り越えるべき壁に対してファイティングポーズをとっている自分がいたことに気づきました。

つまり、

誰かの期待に応えようとして意に沿わない行動をする

疲れて、一旦避難

また戻ってきて、かかってこい!と思いながらまた誰かの期待に応えるアクションをする

このパターンを繰り返していたということ。常に、かかってこい!と構えているから、そりゃ絶望やら大きな壁やらを引き寄せてしまうわけだ。

一方で「かかってこい」と構えているからこそ、その構えがなければ出せなかったエネルギー値を叩き出し、乗り越えられた壁もあったとも思います。でもそうじゃなく、もっと軽やかに高いハードルを超えていく在り方が、必ずあって。私は軽やかに壁を超えていく生き方を選びたい。

この重い足枷、誰かの期待に沿うための「かかってこい」を手放すためには、それに代わるエネルギー源、それに代わる自分への報酬、動機を見つければいいのですね。

私にとっての報酬は「ピュアな自分」

人生がこういう状態だったら最高だなと思える状態を言語化してみると、
自分が心の底から大好きな人・大好きなコトに常に囲まれていること。

言語化してみると至極当然のことなんだけど、「心の底から」というのが私にとってはすごく大きなポイント。自分の本音で、本心で、一点の曇りもなく、そう胸を張って言える、めちゃくちゃ「ピュアな自分」を保っていること。

こういう状態だと、誰に期待されなくても、誰かに褒められなくても、まっすぐに自分自身のエネルギーを最大限発揮していられると思いました。それは「かかってこい」と構えている自分とは全く正反対。

上記のような状態を保つことって、意外と複雑で、自身の主体性が必要なことだと思います。承認欲求中毒の中にある時は、ちょっと油断すると、「すごいね」「えらいね」など人から称賛されること、期待されていると自分が思っている方向にマインドは奪われがち(さらに厄介なのは、期待されていると思い込んでいるのは自分だけで、相手は何も期待していないことの方が圧倒的に多いこと)。人からの称賛に喜ぶ自分を見つけたら要注意。そういうときは本当に自分の本音に沿って行動してる?というチェックの目を自分に向けたほうがいいですね。

私の場合は、常に心の底からやりたい、大事にしたい、と思えていることで自分を満たしている「ピュアな自分」をずっと保つことそのものが、「かかってこい」に代わる報酬になり得ることに気づきました。

誰かの期待に沿う自分を抱えて、それを手放したい人は、

  1. 誰かの期待に沿った行動をしているときに鳴り響いているセルフトークは何?(例ー「かかってこい」とかw)

  2. 一方、誰かの期待に沿わなくても、誰にも褒められなくても、自分自身の力が最高に発揮できるのはどんな時?(例ー心の底から大好きなコト・大好きな人に囲まれて「ピュアな自分」でいるとき)

  3. そのときをいつでも思い起こせるアファメーションはどんなもの?(例ー「それ、ピュアに心の底からやりたい?」と自分に問うてみる)

こんな問いに向き合ってみるといいかもしれません。

そして、わたしにとっての「ピュアな自分」これをもう少し具体化してみると、大きく分けてここから書くような3つのアイデンティティがあるなぁと思います。

【ピュアな自分1】新卒採用の仕事をしてるわたし

私の社会人人生は、新卒採用のキャリアが一番長いです。その中でも心の底から主体的に力が発揮されるのは、

  • 経営者が新卒採用に異常なまでの執着を抱いている

  • 自社に応募して下さる学生さんたちを候補者(会社のための機能)とみなさず、才能に溢れる有望な未来を背負った人間として対峙する姿勢を持っている

  • 採用活動で自社の宣伝はしない(けど、そこに究極的にこだわっていくことが結果的に最強の自社PRになる)

  • 事業を通して、もしくは採用活動そのものを通して、世の中に対して「善きこと」をお届けしているという実感が持てる

こんな条件の時だと思います。リクルートで一番パワフルに仕事をしていたのがこういう時期だったと思うので。すなわち上記のような企業さまが私にとっては守るべきクライアントさんだし、そういう企業様に対してであると一番価値を発揮できると思います。

▼ちなみにリクルートでやっていた仕事はこんなこと。「人の力で、世界は変わる」。これがわたしのピュアな採用担当者としてのアファメーションでした。


【ピュアな自分2】ピアノと向き合うわたし

ちょうど1年前の今頃、突然、ピアノと再会しました。ああ私こんなにピアノが弾きたかった!こんなに自分の中に音楽があった!って、すごく感動的な再会でした。

そのピュアな自分にとってピアノは「友達」だと思います。いつでもそばにいて、なんでも話せる親友のような存在。時々喧嘩したり、もう知らない!ってなったりするけど、それでもまた戻ってくる。そしていつでも、泣きそうになるぐらいに自分を癒し、励ましてくれる存在。

ただここ数ヶ月の自分は、何かピアノに対する向き合い方が徐々におかしくなっていることにも気付いていました。何がおかしいのか、随分考えて考えて考えた末に今日思ったこと。それは、「リクルートやめてピアニストになることを目指すなんてすごいね!」のような周囲からの声に踊らされて、いつしかピアノを、フラットな「友達」ではなく、自分の人生のストーリーを彩るアクセサリーのようにみなしていたかもしれないという、恐ろしすぎる認知のバグ・・・。最低すぎる、クソすぎると思いました。まじでゲロ吐きそう、反吐がでる。ほんとに最悪。

そんな最低最悪クソな自分にはいますぐさよならして、また純粋な「友達」としての関係をやり直すつもりです(今まで、本当にごめん!!!!でも友達として再会した時の感動は本当に真実だったと思ってる!!!許して!!!)

【ピュアな自分3】プロコーチとしてのわたし

コーチングとは何か、プロコーチとは何か、というと、理論的な説明はいろいろありますが、私にとっては、
自分の大好きなことを人生のど真ん中に据えて勝負する人にとっての最強の相棒がコーチである
と定義しています。

大好きなことど真ん中で勝負するからこそ、軽やかに結果を出せるし、他の誰にもできなかったイノベーティブな仕事を軽やかにやってのけることができると信じています。その過程では苦しいことや地獄をみるような絶望もある。それでも、世界中のすべての人を敵に回したとしても、私だけは何があっても絶対にあなたの手を離さない。そのまっすぐな思いでコーチングセッションをしています。

そしてコーチとして私の才能が生きるのが、相手が本音で話しているかどうかがすぐにわかるということ。これは何によってそうなっているのかわからないけど、とにかく「本音である」「ピュアである」ことを自分自身大事にしているからなのか、そうじゃない人を見るとすぐにわかります。

そしてもう一つ。いるだけで場を明るくする力があること。これもなぜかわからないけど、私の機能が何であれ、また何者としてその場にいるかを問わず、いつでも発揮される才能です。

コーチングでは本音のゴール設定をして、地獄も見るかもしれないけど突破して理想オブ理想の世界を、コーチとクライアントで共に創ります。その時にここまでに書いたような私の才能が直接的に生かせることに、コーチングスクールで学び始めてから気づきました(こういう才能、あったらいいけどたいしてなんの足しにもなんないなーなんて思ってたけど、コーチングを学び始めると、この才能がまっすぐ生きる職業がこの世に存在したなんて!と驚きましたw)

「毎日が新しい日!」というアファメーション

ここまでに書いたことは、今日、コーチ仲間であり大切な親友との対話を経て気づかせてもらったことで、いつも目の覚めるような発見を周囲の人にもたらしている彼女に心から感謝したいと思います(彼女は口癖のように「おはよう!」とよく言っている。自分のあるべき状態に向かって目を覚ます人が、彼女の周囲で頻発するからだと思う)

そんな彼女はいつも「毎日が新しい日!」とも言っています。やっちまったなと思っても、また新しい自分でやり直せばいい。私これで大丈夫、って思えるためのアファメーションなんだそうです。

私も彼女の言葉を借りて、毎日が新しい日!今日も心の底から大好きなことで満たそう!と心に刻んで、最高の毎日を過ごしていくつもりです。

こみぃ、本当にありがとう。

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