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人間として自然なこと

去年泊まらせてもらった、ラダック人のおばさんの家遊びに行ったとき、おばさんに会うなり
「さきは去年よりも太ったね〜!」
と言われた。

日本ではそんな風に言わないから少しびっくりしたが、当然彼女に悪気はなくニコニコしている。

太ったり痩せたりすることは人間として自然なことだから、きっと髪の毛伸びたねと言うのと同じ感覚なのだろう。

日本では、タブーと思われている年齢を聞くことや、相手の老化を指摘することもラダックでは、「人間として自然なこと」として捉えられている。

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ラダックから日本に帰ってきてからすごく感じることは、日本には広告が非常に多く、しかもそれに影響されすぎている人が多いということだ。

街を歩けばどこかしこに広告が目に入る。
きれいなお肌のためのクリーム、
小顔に見せるためのメイク技術本、
サラサラの髪の毛のためのシャンプー、
ダイエットのためのサプリメント、
アンチエイジング用の商品

「人間にとって本当に必要なものなら、宣伝しなくても使ってるから。。。」と心の中で呟く。

モノが飽和状態の社会の中で、宣伝によって人の消費欲をむりやり掻き立てないとビジネスが成り立たなくなっているのだろう。だからこそ多額の宣伝費をかけて人間の欲を引き立たせようとしているのだ。
そして、それらに影響され、宣伝によって無理やり生み出された欲をコントロールできずに消費行動に出ている人がどれほど多いことか。

人間として自然なこと、
老いること、
太ったり痩せたりすること、
髪の毛が痛むこと、
そもそも自分自身が生まれ持った変えることのできない身体そのもの

そうしたごく自然なことに逆らうような商品の数々とその宣伝に囲まれた日本の生活はどれほどストレスが多いことか。

ラダックの中心地レーには少しずつこうした広告が増えてきている。しかし、肝心要のターゲットとしているラダック人たちのほとんどはそれを真に受けていない。

メイクをしている人はほとんど見かけないし、深いシワを刻んだお年寄りの顔は本当に美しい。

こうした人間として自然なことをちゃんと理解しているからかラダックの人びとは本当に優しい。色んなことに対して非常に寛容である。

人間が人間として自然に生きられるラダックの環境が日本に暮らす私には羨ましく思えるのだ。

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