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「ストレスは自分が作るものだよ」

ラダック滞在中に、ゴミ捨て場を訪問した。

ラダックの荘厳な景色の中にゴミが広がる。いつまでもゴミの道が続いていて、風が吹くと色んなものが舞い上がり、景色がカラフルになる。野良犬や野良牛が不健康に太った体でゴミ山の中から食べ物を探している。

この景色を見て、あまりのショックに言葉を失った私は、ラダッキーの友人に話しかけられても反応ができなかった。

頭の中には色んな疑問が浮かんでくる。

どうしてこなったのだろうか。
このゴミは誰のゴミなのか。
この現状をどうしたらいいのだろうか。

心安らぐ場所、本当の豊かさがある場所、そんな風に捉えてきたラダックの裏側。「懐かしい未来」と美しく表現するには、あまりにも醜い景色が目の前に広がっている。

ゴミ山の帰り道に食堂に寄ったが、食欲を失った私は食べる気持ちになれなかった。

ラダック人の友人はそんな私を見ながら諭すように話し始める。

「サキどうしたんだよ。やけに静かだなぁ。全然食べていないじゃないか。ショックだったんでしょ、あの景色。でも、それをストレスに感じたらダメだよ。サキはいつも考えすぎて、自分でストレスを自分の中に生み出している。そうする意味はある?」

彼はいつもそうだ。私がストレスを吐き出すといつも、「ストレスはやめなさい。」という表現をする。
これまで、私はストレスは自分ではなくて周辺の要因によって自然に発生するものだと思ってきた。だから、ストレスはやめられないよ!って反発してきた。

でも、彼の考え方を少しずつ理解し始めている。

「ストレスは自分が作るもの。」

そういえば、日本に暮らすラダック人がある時、「ストレスってなに?」って聞いているのを見て驚いたことがあったなぁ。

きっとラダックの人たちは自分の心の安定を自分で保つことができるのだろう。だからあんなに心のゆとりがあるのではないか。

ラダック人の友人もゴミ山を訪れたのは始めてだったらしい。あの光景になんとも思わないほど彼の心は鈍感でないことを私は知っている。それでも、それを静かに受け入れて、ストレスにしない彼は、いつもと変わらない表情で振る舞うのだ。

現状を知ってそれをストレスに感じたところで問題は解決しないでしょ。じゃあ、なんでストレスにするの?

単純のようで、深いこの思考回路を私は尊敬してしまう。


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