夢想を楽しむことと現実を生きること

自分が絵画や音楽などの芸術鑑賞を好んでいるのはどうしてだろうと思っていたが、先日クラシックのコンサートを聴きに行って一応の答えらしきものを見つけたので覚え書きしておく。

芸術鑑賞を通して見える、頭に浮かび上がる情景が好きなのだ。

例えば、シベリア出身の音楽家が作った曲から、なんとなくスラブを感じて帝政ロシア時代の舞踏会の情景を浮かべたり。SF小説を読んで遥か未来の、よく分からない日常風景に思いを馳せたり。

実際には行ったこともない、体験したことのない世界をイメージして、それを楽しく思っているのが、自分が楽しんでいる芸術鑑賞の正体だった。

だから、漠然と教養のある人間になりたいと思っている理由も判明した。浮かび上がる情景を、もっと鮮明で美しくしたいのだろう。鑑賞する対象の作品がいかに素晴らしいものであっても、知識、教養のない人間がイメージできる情景は乏しいし、自らの限界がその情景の限界だ。素晴らしい夢想をするためには、自信の知識と教養を素晴らしいものにし続けていかなければならない。

ところで今ボクは困っている。知識を増やして、芸術を鑑賞し、沸き起こる情景を楽しむ。この一連の流れは、きっと限界が訪れてしまう。今後もたくさんの絵画や音楽や小説、またはまだ知らない芸術に触れ続けていくつもりだけれども、それを通してだけで情景を描く力を育み続けられるだろうか?

ボク自身の人生経験を豊かにしないと、夢想が広がらなくなる時がやってくるのではないか。きっとこの先も、この最大の趣味を楽しみ続けていくためには、何よりも避けたかった、他人と積極的に関わるということをしていく必要があるのではないか。

そう考えると怖くて仕方なくて、昨日の夜からずっと怯えている。きっとこんなものは10代の頃にみんな知ってて、とっくに乗り越え終えているのだろうなと思うと、とても悲しいが、それはもう仕方ないこととして。

これから先、どうしよう…

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