自分を幸せにするゲーム
私はずっと、自分を幸せにするゲームをやってきた。
色々な困難(のように見えたもの)を経て、そのゲームはクリアしたように見える。
「こんな風に生きたい」と思い描いていたように生きている。
でも、ゲームというものはクリアすると終わってしまう。
私を幸せにするゲームをクリアした私の生活は、実はちょっと退屈だったりもする。
突然ですが、「退屈」と「幸せ」の相性についてどう思います?
私はね、「幸せ」って、退屈なものであることも多いと思うんですよ。
「平穏」「穏やか」「何事もない日常」
とかって言い換えれば、「幸せ」と親和性高いですよね。
でも、そんな、「退屈な幸せ」に飽きたときに、自分で自分を一回不幸にしようとすることがあるらしいんです。
そこから帰ってくることで、幸せを「再体験」しようとするんでしょうね。(気持ちわかるなー。)
私もそういう時期ありました。
というか、そういう時期があったからこそ、今の、刺激の少ない平穏な日々を、「幸せ」と "認識"して"満足"できるようになったのかもしれません。
とはいっても、ゲームをクリアしたら次のゲームを始めたいじゃないですか。
それで思いついちゃったんですよね。
「人を喜ばせるゲーム」はどうだろう。と。
これを思いついたとき、ちょっと感動したんです。
何でかというと、昔の私は、
「自分を幸せにするゲーム」をプレイしてないのに
「人を喜ばせないと」と思ってたんですよね。
だから心に無理が出ちゃったんですよね。
幸せにする順番は、「自分」が最優先だと今ならわかりますがね。昔はわかりませんでした。
だから、今、
「暇だなー、あ、そうだ。」
という軽い感覚で、
「人を喜ばせるゲーム」に手を出そうとしているこの感覚が、軽やかで、なんか嬉しいです。
誰かが喜んでくれたら私も嬉しいし、最高じゃないか。
このゲーム、ハマりたいな。
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