私は誰?あなたは誰?ここはどこ?

梵我一如

古代インド哲学ヴェーダでは神と自己は一体であると説いています。

それを実践して示すのが聖者の役割です。

はじめから一体であるなら、わざわざそんなことを説いたり実践したりする必要はありませんが、分離を錯覚した自己が生きる世界を実在と確信している人々のために、聖者がスタンバッています。

神と自己は一体であるというシンプルな定理は言葉では理解できても、実践するのは、この世界が実在であるという確信を打ち砕かない限り不可能です。

神と分離した自己に最適化した人々の確信が強固になればなるほど、それは不快な目覚めとなります。
それは何の予告もなくいきなりやって来ます。
その確信を打ち砕く聖者は、悪魔だと思われるでしょう。

戦争や天変地異などで物質は破壊されますが、確信は物質ではないので、直接破壊できるものではありません。

自己の中にある神に気づくだけでよく、何かをすることで達成されることではないということです。

梵我一如の実践ガイドとしてラマナ・マハルシは次のように説いています。

Q4. 真我の実現はいつ得られるのでしょうか?

A4. 見られるものである世界が取り除かれた時、見るものである真我は実現されるだろう。

Q5. 世界が実在として存在している時でさえ、真我が実現されるというとはないのでしょうか?

A5. ないだろう。

Q6. なぜでしょうか。

A6. 見るものと、見られている対象は、ロープと蛇のようなものである。
錯覚である蛇という知識がなくならない限り、実体であるロープという知識は得られない。同じように、世界が実在であるという確信がなくならない限り、実在である真我の実現は得られないだろう。

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