誰をも責めない
「わかってない」って言葉は嫌い。
「わかってる」人なんているのかい?
それぞれバラバラな基準による相対的な判断と「評価」
「わかってない」に込められた評価とは、「批判」「責め」
「わかってない」って、本当は素敵なこと。わくわく楽しい。
「わからない」から生きているのよ。生きれているのよ。
「わかってない」なんて当たり前なことを利用して人を責めるのは
「なんで生きてるの?」と責めるようなものだ。
「生きている」と「わかってない」は同義語だ。ある意味でね。
私の世界を誰もわからない
私の表現の一つに、「伝わらない」というのがある。
できたら私の世界について知ってもらいたい。
だって面白いから(笑)
まぁ、私の面白いがみんなの面白いじゃないから
だから「伝わらない」のだ。
『面白いのになぁ。面白さ共有したいなぁ♪』
そんな思いからの「伝わらない」だ。
『どうしたら伝わるかなぁ』と考えることはあるし、
『伝え方を工夫してみるか』と試してきたが、
『私の伝え方が悪い』とは思っていない。
伝わらないのは、私の責任ではない。
相手の責任でもない。誰をも責めない。
当たり前なのだ。
その上で、何かを感じとる人と心が触れ合うことを楽しみに
表現することを選んだのだ。
「伝わらない」相手に「伝えよう」としているのではない。
「伝わらない」のが当たり前だから。
「伝わらない」のは、悪ではないのだよ
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