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2024.3.16 今年初の富山てるてる亭・立川志の輔独演会♥



完売~
お若いお写真~

■だら~ず山下さんによる「前説」


てるてる亭久しぶりで、師匠も早く出てきて喋りたいと今準備しとるちゃー。
私も早くてるてる亭でやりたくて、夢にまででてきたてるてる亭!だけど夢の中でも滑ってた(;・∀・)
皆様にお願いがあります。携帯やスマホの電源は切ってください。切るのがわからない時は私が行って切りますからねー。これだけ言っても昼は鳴ったちゃ!夜の部の皆さんは一致団結して鳴らさないでくださいねー。
※夜の部は鳴りませんでした!!だら~ず山下さんは富山弁だったけれど、記憶する気で聴いていなかったので標準語でお届けしております…。

■みどりの窓口

今年はじめてのてるてる亭公演です。
皆さんご存じのように1月は地震で公演ができず、2月は建物が使える状態ではなく、公演が出来なかったので、3月から再開となりました。

ここ、てるてる亭も、大きな被害がありました。壁が落ちたりして使えるようになるのか。どうなのかという状況でした。
クラウドファンディングもしなければいけないだろうかというような状況でしたが、北陸銀行さんがそれしないでもいけるようにしてくれました。
そして内側の酷い所は人力でなんとかしなければなりません。これもボランティアスタッフの方ががんばって、使えるようにしてくれました。
それはもう感謝感謝でしかありません。
そしてここに足を運んでくれた全国から集まってきているお客様にも感謝です。

1月は私はPARCO劇場での一か月公演があります。
だからすぐには行けないし、どうしようもできない。
なにもできないけれど、なにか伝えることが出来ればと、PARCO劇場で(延べ)1万2千人を超えるお客様に落語の前に、遠く渋谷の空からですが、能登や富山に復興を応援する拍手をしてくださいと言って、1分くらい拍手をしていただいてから落語に入りました。
落語家を40年以上やっていますが、高座からお客様に激励の拍手をお願いしたのは初めてです。
毎日ニュースを見ても、何も変わらない、そんな1日ではなにも変わらないのは分っていても、どうしたらいいのかと考えていました。
※この拍手をお願いしている間、志の輔さんはずっと深くお辞儀をしたままなのです…。私もPARCO劇場で8回この拍手に参加して、全力で拍手をしていたけれど、あの姿の志の輔さんを見るのは切なかったなあ。

今日楽屋に来たら、スタッフが16:38に時計を止めていてくれました。
1月の地震の時、私は●●の稽古場のマンションに居ました。
そしたら、ゆーらゆらと横揺れがしたので、また東北の方の余震なんだろうか、かわいそうになあと思っていました。
そこに電話が掛かって来て、すぐにテレビを見ろと言われて、テレビのニュースをみました。
そしたそこには能登や私の故郷の大変な姿がありました。

今日は、物販での販売は全て義援金として寄付する予定です。もしよければ、そういった気持ちでお買い物をしていってもらえると嬉しいです。

やかんというのは談志が得意にしていて、談志ならではの捻りがあったものです。
古典というのはもう完全にできあがっているようなもので、あれを変えるといっても、なかなか難しいものがあります。
その点新作は自由があります。

私の新作落語で「はんどたおる」というのがあります。
今の世の中ではちょっとやりにくいかもしれない話です。
でも落語の世界では、そういうのはないと思いたいです。
どういう話かというのをやると長くなるので…簡単に言うと
2400円以上買ったらはんどたおるが貰えるというので、余計なものを買ってしまう女性心理とそうではない男性心理の話で、全ての女性がそういうわけではないでしょうが、多いでしょうという話です。そこで夫婦間の考え方の違いに新聞屋が勧誘に来てひと悶着という感じなんですが、今新聞の勧誘がこないでしょう。
そうすると新聞屋ってなに?ってなって話が進まなくなるんですよ。
そういうところが新作落語の弱さでもあるんです。
なので、新聞屋ではなくピザ屋を登場させることになりました。この話は私の処女作の新作落語で、誰がなんと言うと傑作なんです。

私の新作落語で「みどりの窓口」というのがありますが、今日は新幹線が敦賀まで延伸しました。
新幹線が富山に開通になったのは8年前。
その時前日にあちこちのテレビ番組にでて、明日から富山開通ですねーっていうレポーターをしていました。
そして翌日東京から富山に乗るという仕事があったので、富山から最終の飛行機で東京に帰って翌日始発に乗るために戻りました。
JRではどこのテレビ局がこようが、開通の始発の切符なんて融通してくれないわけですよ、色々なテレビ局がチャレンジしてKNBだけがチケットを確保できた。
富山駅ではなくて、西富山駅でチケットを買ったという。チケットは何処の駅で買っても同じなんだけれど、より並んでいる人が少ない駅に並ぶという、一種の知恵でしょうな。それで確保できたのが、3人席のB席ですよ。
当日は駅に、撮り鉄という人たちが沢山いて、駅員さんが「押さないでください。下がってください。」とアナウンスしていました。
ホームにはカメラマン、私の隣の席にはディレクターがいて、絵面的には私がA席の窓際の方がいいわけですが、なんかカメラマンが視線で私に替わって貰ってください言ってくださいという…、もちろん私はそんことは言いたくないですよ。誰だって窓際に座りたいじゃないですか。
私のことを知らない人だとして、席を替わってくださいと言ったら「なんて失礼な奴なんだ」と思われるでしょうし、もし私のことを知っている人だとしてもやっぱり「なんて失礼な奴なんだ」と思われるでしょう。
結局ディレクターがA席の人に事情があって席を替わって貰えませんかと伝えたところ、快く席を替わって貰いました。
そして窓際に座って、ディレクターとカメラマンがホームに居て、さあ出発するぞとなっても、人が沢山詰めかけているので、なかなか出発しない…。
ホームを見ると人が凄くて、発車しようにも発車できなかったんでしょう。出発のベルが鳴り響いても出ないんですよ。でも中に乗っている人間は出ると思っているので、でもでないという、中の人間たちだけが前にでる気になったといっても時間にしたら数秒でしょう、そのあとすぐに新幹線は発車して、富山に到着しました。
それまで富山に来るには越後湯沢駅で乗り換えをしてほくほく線に乗り換えて●時間、それが、東京から富山まで●時間…(ここで志の輔さんなんか乗車時間が違うということに気がついた)
ちょっと!時間間違えたの気がついたら、すぐ教えろやーあんたらー。

昔、おふくろが言ってた。新潟から頑張って走っているんだって。東京から長野までは東日本管轄で、長野から富山までは西日本が管轄になるちゃ。
その後、JR西日本の偉い人が言っていたのが、東京から長野までは街が多いから、速度制限があるが、新潟は田畑だけなのでそこから最高速度をだしているんだと。
おふくろの言うことはあってたっちゃーいうことだ。
長野では北野芸術館や戸隠館で落語をやってます。今日は戸隠の青年団の方が楽屋にきました。

私達は新潟県に感謝しなければいけませんよ。新潟県は駅が3つもあるのに、かがやきが止まらないのに走らせることを承諾したんですよ。
もしかしたら、新潟県は工事を払わなくていいとかそういうのがあったのかもしれませんがねー。

それにしても、みどりの窓口もJRが余計なことをして金沢まで延伸して、次は福井かよ!ついこないだ金沢用に直したというのに。敦賀まで延伸して、これからは京都や大阪から来られる人も増えるかもしれない。今日も遠くは京都から、また東京からも、あちこちから沢山きていて、客席の半分くらいは県外の方だと聴いてます。

まあ、3/16の敦賀延伸の日にみどりの窓口を聴いたことがいい思い出になればいいなと思います。

みどりの窓口は敦賀まで延伸したバージョンでした♥

~仲入り~

■メルシーひな祭り


(開口一番に志のぽんを)あれを今年の秋に真打にするために、あちこち連れて歩いていますが、どうも空回りしているようで、あれでいいのかという感じです。

さて…ヒアルロン酸。
ヒアルロン酸の注射を二本。左に一本、右に一本。
ああ、まあ注射の話なんて聴いていても気持ちがいいものじゃないでしょうが、ちょっと聴いてください。
これがないと、びっこひいて歩いていて…まあ職業病のようなもなのかもしれませんな。

あと、さっき富山への新幹線開通は8年前と言いましたが9年前でした。

一昨日、毒蝮三太夫さんの米寿のお祝いに呼ばれました。88歳ですよ。元気ですなあ。
毒蝮さんは昔ウルトラマンで嵐隊員をしていて、その頃は「石井 伊吉(いしい いよし)」という名前でやっていました。
その後、うちの談志が笑点の大元となるものを作って、勝手にやめて行ったんですが、その時の座布団運びに石井を使おうということになって、でも名前が石井伊吉じゃだめだ、毒蝮三太夫にしようといって、その後ラジオやったりして人気者になって行ったんですよ。
うちの談志が、あれは変わった奴だ!変わっている俺が言うんだから間違いない、奴をを注視しておけと言われたものです。
まあ本当に変わった人で、森永コーラスという白い飲み物がありましたよね?あれのお披露目の会のゲストで呼ばれて、「これってカルピスと同じですよねー」っていって、会場をシーンとさせたとか。なかなか言えませんよ、森永コーラスの前でカルピスなんて、カルピスの方が有名なんですから…
88歳なのに毎日15分くらいの生レポーターやって、本書いて、元気だなあ。

全日空寄席というのがありましたが、今全日空は自分たちのことで大変でそんな寄席なんてやっている状況ではありませんが、来年からまたやるんではないかという感じです。
海外の公演は色々なところに行きますが…マレーシアからシンガポーㇽまで陸路で移動しようと思っちゃいけませんねと、マレーシアからシンガポールへの入国審査場での人種について語る志の輔さん。SNS的には難しい話題なので、それは割愛いたします。志の輔さんは日本人は礼儀正しいと仰いますが…。

それはさておき、志の輔さんの生家は新湊の立町の銀座ともいえる場所にありました。
大きい道路のT字路の突き当りにあった実家をあるとき移動しろと話がきた。建物を建てるから斜めに移動しろと。
結局斜めに移動して、実家のあった場所は上がマンションで下がコミュニケーションセンターになりました。
そこの杮落しにも呼ばれて、私が来たのではなく、私の家に皆さんが来ているんですよっ、ここは私の家だったんですよというような枕をした覚えがあります。
正月の地震の時も実家の親族はではコミュニティセンターに避難しているというのを聴いて、ああ建てておいてよかったかなあなどとも思いました。

~雑談~

この場所でできることに本当に感謝感謝です。
北陸銀行さんやボランティアスタッフにも感謝ですし、こういう中でも来てくださったお客様にも感謝です。

新作を2本というのは初めてかもしれません
いつも新作と古典なので、そういうのもいいかもしれませんな。

来月は北日本新聞さんが、オーバードホール中ホールで落語会をやりたいので、最初に出て欲しいといわれたので、そちらで公演をするため、てるてる亭はお休みです。
私の後に、6月に談春とか三三くんとかが出るようです。
昔は富山に東京の落語家が来るなんていうことは考えられませんでしたな。
昔は談志ですら300人を満員にするのは難しい時もありました。
それが今では2000人、3000人での公演があります。
寄席もにぎわっています。
5月からまたてるてる亭を再開していく予定ですが、予定です。

気を付けておかえりください。


演目♥
こんなところに志の輔さんが…!

♥🐰の感想


三ヶ月ぶりの富山の志の輔さんは良かったー!
志の輔さんご自身もたくさんたくさんお話されたいのかなーって感じた。富山での志の輔さんは凄く自然な感じに見えて、県外人は大変羨ましいでござる!
今回は運よく「い列」の16番だったので、志の輔さんが上手を向くとご尊顔ありがたし!という位置でした。よーきーとしか言わんぞ、今日の私は。
この距離で志の輔さん拝めるのは富山位だよなあ。でも、今回の志の輔さんは仲入り後の頭に少しだけ富山弁だったけれど、あとはいつもの標準弁でした。
ただ、最初の地震の話とかてるてる亭の状況の話だったから、富山弁ではなく標準語になったのかもなあとも考えた。
今回も半数が他所の人であるということも仰っていたので、気を使った可能性もある。

今日はアンケートに桜の付箋がついていて、なにかなー?と思っていたら、師匠への一言を書いて、桜の木を満開にしてください!という趣旨でした。(そしてまたろくろ首のイラスト書いてしまった私!!)いや、あの首を長くして待ってましたっていう…。
桜の木の写真撮り忘れてしまったけれど、またそのうちてるてる亭のHPにアップされることでしょう。

ちなみに開口一番は志のぽんさんだったんだけど、うーん微妙(;・∀・)

あと、今回も志の輔さんは「私の高座を無断録音して、YouTubeに違法アップロードしている」人について静かにお怒りでした。ほんまに、人の権利を侵害してまで満たしたい承認欲求ってなんやねんと思います。

次の志の輔さんは4/1でーす♪


また遊びに来てな~(・∀・) 待っとるちゃ。