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ずっとずっと声が小さい人生

先日美容室に行ったら、担当してくれた美容師さんが私の声量に合わせて(?)、だんだん小声になっていってちょっとウケた。

それくらいに私は声が小さい。声が小さいのに加えて声も低めで、声質も中途半端で通りにくいタイプ。

小学生の卒業式で声が小さくて居残りさせられたり、中学生の部活で声出しできなくて怒られたり、バイトで「いらっしゃいませ」が小さいと怒られたり、新入社員研修で叫ばされたり(以前書いたよ)……、
小さいころから今までずっと、声が小さいことで度々指摘を受け、たまに強めに怒られたりしながら生きてきた。
最近だと、祖父の耳が遠くなって、かなり大きい声を出さないと会話ができなくなってしまったことがつらい。
周りの人にも祖父にも「もっと大きな声ではっきり話して!」と言われるのだけれど、そういう指摘がされるのが一番嫌だし、私にとっては出そうと思って出せるもんでもないので、祖父の前ではただの「ニコニコして頷くマン」になっている。

あらゆる場面で強制矯正させられても、声がでかくなったことはないので、私の中で大声を出すことは「頑張っても無理なものは無理」という類いになっている。最大出力でも「大声だね」とは言われないのだから、もう仕方がない。

小さい時に声が出せなかったのは、恥ずかしさや自信のなさがあったと思うけど、今はそんなのない。だって「声小さいぞ」で怒られる方が恥ずかしいし、人並に大声が出ないと困ることもある。声が小さくていいことなんて何もない。ただただ、大声の出し方が分からない。でっかい楽器を吹いていたこともあるし、肺活量はあると思うんですけどね。なんで声が出せないのかこっちが知りたい。ちなみに声が出ないから歌も気持ちよく歌えない。


声で悩んだことがない人は、すごく気楽に?簡単に?「声小さいね」と言っているのだと思うのだけれど、そう言われるとなんだか人格まで否定されてる気がしてきてしまう。場合によっては涙が出そうになる。

「姿勢を正しましょう」とか「目を見て話しましょう」と同じような感じで、かなり簡単な項目として「大きな声でハキハキ話しましょう」が設定されていると思うのだけれど、そんなの人によってはできないだろ!!!!と思っている。目を見て話せない大人がどんなに多いことか。一緒じゃん。開き直っているわけではないし、すんません…とは思っている。ほどほどにしてほしいよね。


この話に限ったことではなく、自分は誰かに「私にできたのだから、あなたにもできるはずだ」とは言いたくないなと思う。(できないってことは、あなたはどこかで努力を怠っているのでしょう)の意が含まれている気がするので。前職の上司にも言われましたけど!!!人間が違うのだから、できることは違うし普通とかないよね。思ったとしても、伝えるなら「一緒にできるようになりましょうね」でいい。どうしてもできないなら、補填し合えばいいと思う。私が甘すぎるのかもしれないが…。



ちなみに、私が大声を出せないことと関係あるのかないのか分からないが、急に大声を出すタイプのお笑いに弱くて、おいでやす小田とかザコシショウにめちゃくちゃ笑ってしまう。子どもが急に大声で「電車だ!!!!」って叫んだだけで爆笑してしまったこともある。
私はボイトレとかに行った方がいいのかもしれない。


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