見出し画像

望もうが望むまいが君が望む表現は永遠に叶わない

2002年9月26日に
ドリームキャスト版の『君が望む永遠』(2002 DC)が発売されたので、
ドリームキャスト版の『君が望む永遠』が20周年になりました。

なぜいちいち「ドリームキャスト版」とつけているかというと、
パソコン版が2001年8月3日に発売されているからで、
「君が望む永遠」というタイトル自体は
すでに21年を超えていたりします。

君が望む永遠』を想い出すたびに、
「時間は人にとって最もやさしくて残酷なもの」だと実感させられます。

なぜなら、
ストーリーが急展開する部分のことを、
「ゲームは1章と2章にわかれており、
1章が終了するとオープニングムービーが流れます」
とあっさり説明しているからです。

セガサターンの頃にはあった自己審査的な倫理表記が存在せず、
まだCEROがない時期の作品ゆえに、
君が望む永遠』にはパソコン版にはあった
エッチな表現という救いがないままに、
人々をひたすら悩ませる残酷なゲームだったのです。

2003年5月1日に発売された
プレイステーション2版『君が望む永遠 Rumbling hearts』(2003 PS2)
のパッケージには、
「この想いは生まれ変わる いつかきっと優しさに生まれ変わる」
とあるため、
表現面で生まれ変わるほどの変化があるかのように見えました。

しかし、
君が望む永遠 Rumbling hearts』も
CEROがない時期のプレイステーション2の作品ゆえに、
君が望むエッチな表現は永遠に叶うことはなく、
多くの君はただひたすらに悩まされ続けるのでした。

CEROがあったとしても、
エッチな表現があってもなくても、
君が望む永遠』も『君が望む永遠 Rumbling hearts』もただひたすらに
人々の気持ちを重くするゲームであることには変わりないので、
レトロゲームで時間が止まってしまっている人は、
どちらかをプレイして時計の針を動かしましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?