見出し画像

ヨネザワにはキングを見極める先見性があった

1992年12月28日に
史上最強のクイズ王決定戦SUPER』(1992 SFC)が発売されたため、
史上最強のクイズ王決定戦SUPER』が30周年になりました。

「史上最強のクイズ王決定戦」は
「TBSテレビ“ギミア・ぶれいく”でおなじみ」の企画で、
史上最強のクイズ王決定戦SUPER』はそのゲーム化作品でした。

ファミコンでは1991年に
ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦』(1991 FC)、
1992年8月に
ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦2』(1992 FC)
が発売されているため、
史上最強のクイズ王決定戦SUPER』は3作目となります。

「史上最強のクイズ王決定戦」はレギュラー大会が9回行われていて、
水津康夫氏と西村顕治氏の2人のクイズ王が誕生しています。

ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦』が発売された時点で、
水津康夫氏が3回クイズ王になり、
西村顕治氏は2回しかクイズ王になっていなかったため、
クイズ王になった回数からすると
水津康夫氏の方が適しているように思われるのですが、
ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦』のパッケージ裏面では
西村顕治氏っぽい彼がクイズ王として
「かかってきなさい」と堂々とした姿を見せていました。

2作目の『ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦2
が発売される頃には、
水津康夫氏と西村顕治氏は
共に3回ずつクイズ王になっている時期なのですが、
やっぱりパッケージには西村顕治氏のようなキャラクターが
起用されていました。

しかも、
パッケージ裏面では「まだまだっ」と煽ってきていて、
しっかりキャラクター化されていました。

そして、
史上最強のクイズ王決定戦SUPER』が発売される頃には、
西村顕治氏が4回目のクイズ王になったことから、
パッケージの背景に馴染むほどに西村顕治氏みたいな顔が印刷され、
西村顕治氏はまさに
テレビゲームの「史上最強のクイズ王決定戦」の顔として
定着したのでした。

1作目の『ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦』が発売される
直前の大会のクイズ王が西村顕治氏だったとはいえ、
西村顕治氏(っぽいキャラクター)をイメージキャラクターにした
発売元のヨネザワは本当に先見性のある会社と言って間違いありません。

だからこそ、
ヨネザワは1994年にセガ・エンタープライゼスの傘下に入り、
セガトイズとして「ムシキング」の展開を
関連玩具で盛り上げることができたのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?