【夢小説】「水面に浮かべた一生分の真っ赤な告白を」

 まりんと出会って4か月の時が過ぎた。
 8月に入って、一層暑くなってきた頃。
 夏の大三角の下、僕らはいつも通り、二人で初めて出かけた先の水族館で買ったペンギン型のランタンを照らしながら学校のプールサイドに腰かけてごはんを食べていた。
「んー♪ 肉うま!」
「はぁ……まったく……毎日毎日フライドチキン、フライドチキン、カレーパンにフライドチキン……何度腹を下せば気が済むんだ? もう少し野菜を摂って――」
「あーはいはいはいはいだるだるだるだる」
「人の話を聞けッ!」
「聞いてるもーんっ ぴっぴろぴー」
「なっ、くっ……! 水飛沫を飛ばすな! 静かに入れ人魚のくせに!」
「あー! はい、極秘情報の漏洩でーす。やめてくださーい。通報しますよー」
「自分でバラしたんだろうッ!? 半ば強制的にヒレを見せつけて! バラせば地上に居られなくなると脅しをかけてッ!」
「えぇ~? なんですかぁ~? まりんが居なくなっちゃったらぁ、寂しいってことぉ~?」
「がっ、ぐッ……! ぐぎぎ……!」
「あははっ! うんうん、ぐぎぎだねぇ~まりんちゃんが居なくなっちゃったら寂しいねぇ~」
 大声を上げて笑っておいて、どの口が極秘情報とか言うんだ、まったく。
 呆れてプールサイドに腰かけ、まりんの食べ散らかしたフライドチキンと包装紙をビニール袋に片づける。
 足先でちゃぷちゃぷと漂う水面のひんやりとした感覚を感じながら、飛沫のついた眼鏡を拭いて、プールの中を元気に泳ぎ回るまりんの姿を見る。
 コーラルピンクの長い髪。ターコイズブルーと深い空色のヒレ。
 最初は照れくさいからと見せようとしなかった、人魚の世界で着ているという普段着ももう見慣れたものだ。
 いつもなら25mプールをあっという間に10周は回って、飛んで跳ねて、死体のフリをしてぷかぷかと流れてきて、人の足をひっつかんで水中へ引きずり込むところだが……。
「ぷあっ! はぁっ、はぁっ……なんかぬるくね? 最近暑いからかな~」
「だろうな。煮えるなよ」
「はぁっ、はぁっ……はぁ? うるさ、煮えないわ」
 最近のまりんは、たった7周半でプールサイドに帰ってくる。
 明らかに様子がおかしい。
「はぁっ……はぁっ……ふぃ~」
 夏休み前のまりんならこの程度泳いだだけでは息が上がることなど万に一つも有り得なかった。
「おい、まりん」
「え? なに?」
「………………いや」
 言い方にわざとらしさを感じない。まりんは僕に隠し事をしているつもりはない。
 本人が気付いていないのだ、急激な体力の低下に。
 ちらりとビニール袋に仕舞いこんだフライドチキンの残骸たちを見やる。
 一つを食べきって、もう一つに口を付けたところで放置。買ったのは8つ。
 出会った頃のまりんなら5分で平らげていた量だ。
「えぇ? なーんだよ」
 まりんが、僕がふざけたのだと思って笑いながら聞いてくる。
「いや。夜空に似合うと思ってな、まりんの可憐な姿が」
「はぁ? 良い良い良い良い。要らない要らないそういうの」
「ハハ、それはそうだ」
 「なんだし、だる」、と。
 出会った頃の内気で控えめ、大人しい性格のフリをしていたまりんからは想像出来ない様で笑う。
 ブブ、と鳴ったスマートフォンにはまりんの番犬からのメッセージが表示されていた。
『まりんさんの事で話があります。日中、屋上で』
 
 ………………。
 
 …………。
 
 ……。

「……遅くないですか」
「うるさい。どこぞのお姫様をプールまで連れて行ってから何だかんだと付き合わされた後なんだ、大目に見ろ」
「フン……」
 翌日。
 まりんへ、学校へ用事がある事を伝えたら『え? じゃあ明日は朝からプールか。さすがに』と言われたので渋々連れて行き、用事があるからと言えば「え? まりんのこと置いてくわけ? 浮気?」と詰め寄られ、しまいにはプールへ引きずり込まれて水中で眼鏡を剥ぎ取られた後。
 なんとか眼鏡を取り返しやっとの思いでびしょ濡れのままやってきた屋上で待っていたゆゆ。さんに心底不機嫌そうに睨みつけられた。
「本当はこんな事をあなたに言うのは嫌なんですけど、まりんさんがどうしても時間が無さそうなので」
「時間が無い? それは、最近まりんの体力が落ちている事と関係あるのか?」
「ふぅ……流石に人間の貴方でも気付いているみたいですね。そうです、人魚であるまりんさんが生きていられる時間が後わずかになって来ています。本当はこんな事……有り得ないのに」
「生きていられる時間が僅か、って……そんなにまりんの体調は悪いのか!?」
「体調の話じゃありません。まりんさんの人魚としての――逃れようとのない運命の話なんです」
「運命って……どういうことなんだ、詳しく聞かせてくれ」
「どうして?」
「は? どうして、ってそんなの――」
「私は貴方に、”まりんさんの命が後わずかになってきていること”、そして”貴方にまりんさんの前から消えてほしい”事を伝えに来ただけです」
「まりんの前から、ってなんで――」
 瞬間。
 ゆゆ。さんの一足飛びの風切り音と共に、鋭く尖った爪が僕の喉元目がけて飛んでくる。
「ぐッ……!?」
 咄嗟に上げた両手に番犬の爪が突き刺さり、削げた肉が鮮血を撒き散らした。
「分かるでしょう? 貴方のせいでまりんさんの寿命が削れてる。貴方のせいでまりんさんはこのまま泡になることを望んでる。貴方が居る限りまりんさんは幸せになれないんです」
「お前がどれだけまりんと一緒に居たのか知らないが、まりんの望みを妨げてまでお前がまりんの幸せを決める権利があるとは思えないなッ……!? 例え誰であろうと誰かの幸せを決めつける権利など無いはずだろうが……!」
「たかだか百年しか生きられない人間風情がまりんさんの幸せを語るな……!」
「ぐぅ……っ!」
「お前らなんかどうせすぐ死ぬくせに……!」
 ゆゆ。さんの両腕はいくら抑えたところでビクともしない。
 抑えるほど爪が僕の両手の肉を抉り、激痛が走る。
「だから……! どうしてまりんは泡になってしまうんだ!? 何がまりんをそうさせる!」
「貴方に教える義理は無いと言ったはずです」
「いいやあるぞ……! まりんは、僕に『いつかクソデケェステージでバカバカ可愛い曲をガチで歌うから、その時は一番真ん前で聞け』と言ったんだ!」
「!?」
「僕にはまりんのバカバカ可愛い曲をガチで聴く義務があるッ!」
「まりんさんが……歌を、貴方に……?」
 突如、ゆゆ。さんの力が緩み、僕は神経を突き刺す激痛から解放された。
「ぐ、ぅ……な、なんだ、お前ではなく僕がまりんの観客として選ばれた事がそんなにショックだったか?」
「調子に乗らないでください、一緒のステージに立つ話は百億年前から約束しています」
「そ、そんなに生きてるのか、お前たちは」
「生きてるわけないでしょう、バカなんですか?」
「お前が自分で言ったんだろう!?」
 ビッ、と血を払ったゆゆ。さんが重苦しい口調で地面を見つめながら話し始めた。
「まりんさんは、二度と歌えないんです。貴方が生まれるよりもずっと前、まりんさんは地上に上がってきた事があったんです」
「な、そんなこと一言も聞いてないぞ! まりんは、水族館も何もかも初めてだと……」
「当たり前です。まりんさんにとっては、忘れたい思い出なんですから」
「……何が、あったんだ」
「人間に騙され、歌声を奪われたんです」
「歌声を……?」
「人魚にとって歌う事は使命。人魚という命に課せられた使命の歌には生き物の命を奪う力も、救う力もあるんです」
「それを……狙われたのか」
「……まりんさんは優しい人だから……助けようとしたんです、小さな子どもが飼っていた小さな犬でした。車にひかれて瀕死の重傷だった子犬を、助けたばっかりに人魚であることがバレて……誘拐されました」
「――……」
「どことも分からない廃屋へ閉じ込められて、歌う事を拒否すれば鱗を……ヒレを……爪を……私がやっとの思いで見つけ出した頃には、まりんさんは……傷だらけで……っ」
「………………」
「それで、深海へと沈んでいったまりんさんは、少しだけ傷が癒えた頃に海賊さんからこのGIKUTAS学園を紹介されて……精一杯の勇気で地上にやってきたんです」
「ポップコーンに釣られたって聞いたけどな」
「そんなことは些細なことですっ!! まりんさんはこれからもっともっと、ずっといっぱい楽しいことをして過ごすんです!! 私たちと一緒にいつまでもいつまでも楽しい事だけして辛かった思い出の百万倍楽しい毎日を過ごすはずだったんです! なのに、なのに……貴方が居るから……」
「……何故、僕が居るとまりんは泡になってしまうんだ。僕が、まりんの寿命を削っている理由はなんだ」
「……さっきも言った通り、人魚にとって歌う事は使命なんです。歌う事で人魚は生きていられる。けれど歌えないまりんさんは、それだけで寿命が減っていっているんです。私たちは使命を果たす限り半永久的に生きていられます。けれどまりんさんは歌えない、人魚の使命を果たせない、おまけに最近はずっと地上に居るせいで泳げないからどんどん力が衰えてきて……」
「なら、せめて海に帰ればいいだろう? 帰るとまでしなくても、ビーチへ行って日ごろから泳いで過ごすようになれば――」
「それじゃあ貴方と一緒に居られないから嫌だ、だそうですよ」
「な―――………………」
「海に帰れば、貴方と一緒に出掛けられなくなる。貴方と一緒にゲームが出来なくなる。貴方と一緒に学校へ来られなくなる。貴方と一緒に本の話も、音楽の話も、動画サイトの話だって出来なくなってしまう。だから嫌なんだそうですよ。自分の寿命よりも、私たちとは比べ物にならないくらい短い時間しか生きられない貴方と同じ時間を生きたいと言っていました」
「そんな、バカな………………」
「バカな? 本当にバカだと思いますか? もう二度と地上には来たくないと言って何も食べずに泡になる事だけを考えていたまりんさんが、精一杯の勇気を出してやってきた地上で、毎日が楽しくて仕方がなくなるくらい貴方の事が好きなんですよ? その思いのまま生きる事をバカだと、本当に思うんですか?」
「………………」
 僕には、到底答えられる質問ではなかった。
 僕も、同じだった。
 どれだけ勉学に励もうと、見えてくるのは無味乾燥な知識の蓄積と周囲との格差。隔絶された知識体系へ染まっていく感覚。成長するほどに突きつけられる、評価されるのは本質的な知識ではなく表層的な肩書きであるという現実。
 誰かこの現実から救い出してくれと声を上げることも許されない、ぬるま湯のような平和の中で万力に首を絞められていくような苦痛から、まりんだけが僕を連れ出してくれたんだ。
 まりんにかき乱され、連れまわされ……テストや進学、勉強だけに囚われた己の人生が如何に不幸で無知で、つまらないものだったかを教えられる感覚。
 この感覚は、実に代えがたい……本当に代えがたい、生きる喜びなのだ。
 これを失うくらいなら、僕だって寿命なぞ差し出したって構わない気持ちだった。
「………………ふぅ。なるほどな」
「これで分かりましたか? 貴方が消えれば、まりんさんは落ち込むでしょう。それでも私たちは、私は……まりんさんに生きていてほしいんです」
「それで、僕には黙って死ねというのか?」
「当然です。己が人間として生まれ、まりんさんに出会ってしまった不幸を呪いながら死んでください。貴方が死ねばきっとまりんさんも目を覚ましてくれます」
「ハハ……つくづく甘いな、お前は」
「なんです……?」
「まりんは僕が死んでも海に帰る事は無いぞ。歌う事も無くなる、あいつは乗り気になった目標を達成出来ないとダンゴムシのようにいじけるんだ」
「な……! あ、貴方がまりんさんの何を知っているっていうんですか!」
「ああ、知っているさ。まりんはな、見よう見ようと思っていた映画が上映終了していただけで17時間と28分落ち込んで一言も話さなくなるんだ。一度ハマったものは一生食べ続けないと気が済まないからな、フライドチキンの無い海には絶対に帰らないぞ。今は34日間毎日フライドチキンを食べているからな。おまけに最近ハマりだしたものが何か分かるか? ベーグルだぞベーグル。どこの世界に海の中で成型出来る小麦粉製品があるんだ不可能だろう。配信者やおもしろ動画だって無限に追いかけないと気が済まないしまりんのスマートフォンは広告に出てくるクソゲーだらけだ、海の世界にクソゲーがあるか? 無いだろう。あいつは帰らないんだよ、僕が居なくなった程度じゃあな」
「くっ、くぅ……! じゃあどうしろって言うんですか!?」
「僕が解決する」
 僕は、血の滴る両手を抑えて踵を返した。
「僕は、バカバカ可愛い曲をガチで聴く義務がある男だからな」

 ………………。
 
 …………。
 
 ……。

「ちょ、えぇ!? 何したのその傷!」
 ゆゆ。さんと別れた後。
 プールサイドへ直行した僕の手を見たまりんは、急いで泳ぎ寄ってきた。
「ああ、僕も多感な思春期の男だからな。ちょっとリストカットというやつをしてみた」
「バカバカバカどこの世界に手のひらボロボロにする奴が居る? 違うよね? 何してきたか言えって、なあ!」
「そんな些細な事はどうでも良いんだ」
「些細じゃないよねぇ! ねぇ!」
「まりん、僕の事は好きか?」
「は………………はぁ?」
「僕はまりんの事が好きだ。一生添い遂げたいと思っている」
「ちょ………………ちょちょちょまてまてまて」
「だがこの好きは初体験の――言わば親鳥を始めて見た雛鳥の刷り込みに近いものかもしれないし、この”一生”はもちろん僕という人類の尺度での話だ。まりんの場合は途方もない時間を生きる、そう気軽に一生の話は出来ないだろう」
「な、なん? 何の話してる? ねえ何の話されてるの?」
「だが僕はこの衝動こそが人生を人生足りえるものとしてくれるものだと教わったし、今の僕がこの感情に従い、間違い、未来永劫後悔し続けたのだとしても今この瞬間の自分を信じる事こそが僕が僕に胸を張れる唯一の方法だと信じているんだ」
「いやだから……ねーぇ! 何の話って聞いてるの!」
「まりんが死ぬのはイヤだ。だから僕が不死身になる」
「―――…………」
 まだ血が固まりかけてきた手で、プールに入る。
 プールの水が傷口に染みて、カンカン照りの陽光も相まって倒れそうな気になってくる。
「まりんが教えてくれただろう、人魚の血は人間を不死身にしてくれると。この傷口にまりんの血が入れば僕は不死身になれるんだろう。まりんが、僕の寿命が短いせいで今無茶をして泡になろうと言うなら……僕の寿命が伸びればいい。僕の時間が無限に存在すれば、まりんはいま無茶をする必要が無くなるだろう?」
「な、んで……その話……」
「ゆゆ。さんから全て聞いてきた」
「ゆゆちゃ……」
「まりん、僕は確かにまりんが好きだ。この気持ちが未来永劫変わる事はないと誓えるし、まりんも僕の事が好きだろう」
「えっぐい言い方するじゃん……まぁ、まぁまぁまぁ……ね? 普通くらいにはね?」
「だがまりんの気持ちが未来永劫そのままかどうかは分からない。だから、良いんだ。僕の事が生涯の伴侶として思えなくなっても、嫌いになっても、無関心になっても……それでも良いんだ。それを前提に、僕を不死身にしてほしい」
「は、えぇ……? それはなんか……言い過ぎじゃない? 自分のことを蔑ろにしすぎじゃない?」
「無論、これはまりんの気持ちを慮っての話だ。交渉術に過ぎない。僕としては頑として他の誰かを選ばれるつもりはないし、万が一選ぼうものならまりんごと心中する覚悟でもある」
「全然許してないじゃん! なんなん!?」
「そんなことよりもまりんが生きる事を望んでいると言っているんだ」
「―――………………」
 まりんの目が、水面を見つめる。
 遠く聞こえた雷鳴に連れられた雨がザーザーと降り始めた。
「だって……やだよ。こんなん、もう……ヤに決まってんじゃん」
「ああ」
「どんだけやさしくしてやったって人間は恩を仇で返すし」
「ああ……」
「男も女もキモいし」
「あぁ……」
「鱗だって、ほんとはめちゃくちゃ可愛かったのに……髪だって青くて、めちゃくちゃ可愛かったのに……また、あいつらに見つかったらまずいからって染めてさ……」
「………………」
「………………いつまでまりんが我慢してればいいわけ? いつまでまりんは優しくしてればいいわけ? もういいよ………………」
「もう我慢しなくて良いだろう、優しくもしなくていい」
「……やだ。まりんは我慢しないバカとか人に優しくできないカスになりたくない」
「なら我慢しなくても、優しくしなくても、我慢しないバカにも優しくできないカスにもならない方法を見つけよう」
「ムリに決まってんじゃんそんなの」
「今はムリだと思うだけだろう、探せば見つかるかもしれない」
「ムリだって! まりんには出来ないの!」
「だったら僕が見つけてやるって言ってるんだ!」
 まりんの両肩を掴む。
 血の滲んだ両手から、雨で薄まった雫がまりんの腕の鱗を伝ってプールの水面を濡らした。
「まりんが嫌にならない方法を見つけよう、まりんの優しさに優しさで返す人間を探そう、キモくない男と女を見つけて全人類模範にしろと言ってやろう、鱗だって前よりももっと可愛く見えるアクセサリーを探そう、無ければ僕らで作ってやればいい! 髪だって、前の髪色へ戻したってイイ! 戻さなくたって可愛い!」
「………………」
「まりんに出来ない事は僕がやる、だからまりんは僕が出来ないことをやってくれ」
「……ないよ、そんなこと……」
「僕にはテスト勉強を放り出す事も、進路指導をズル休みすることも出来なかった。全部まりんが連れ出して、教えてくれたことだ」
「そんなの誰だって出来るじゃん……」
「僕には出来ない……出来なかったんだ。ホラー映画を九時間見ることもな」
「えへ……それは、確かに……あんま出来る人いないかも」
「そうだろう」
「……気、変わるかもよ?」
「知ってる。何度焼き鳥を買いに行って一本で飽きられたと思ってる」
「あは……確かに。ごめんじゃんね」
「良い。このくらいなんて事ない、文句さえ言わせてくれればな」
「はぁ……? 文句言うなし……」
「それはお断りだ。文句は言う。聞いてもらうぞ、嫌になるまでな」
「はは……ぜんぜんヤダかも……」
 まりんの手が、僕の右手を取る。
 雨とプールで濡れたまりんの細く小さな手が、血の滲んだ僕の手のひらを撫でた。
「本当に嫌なら言ってくれ、また日を改めて説得する」
「ハハ……結局諦めないんじゃん」
「当たり前だ。まりんほど僕の人生を照らしてくれた女の子は居ない」
「……どうせできるよ、もっと良い人」
「僕の目にそんな人が映ればな」
「……だる」
 濡れた前髪に隠れたまりんの表情は見えないけれど、笑った口元だけはハッキリと見てとれた。
「すぅ……はぁ……じゃあいいのね!?」
 いつもの調子で、まりんがバカでかい声を出す。
「ああ。もちろん」
「後悔しないね!?」
「ああ、当たり前だ」
「……まりんのせいにすんなよって!」
「いいや、全てまりんに魅了され狂わされたと未来永劫言い続ける」
「ガチで最悪なんだけど……! やめよっかなやっぱ」
「ああもう分かった、まりんのせいにはしない。これでいいか?」
「……うん……まぁ……うん……いいか……」
 雨が、しとしとと小さな音になってくる。
「じゃあ……いくよ!?」
「まて、どうやってまりんは血を出すつもりなんだ」
「口内炎嚙み千切る」
「……いいのか、それで……仮にも人魚だろ」
「うるさいなぁ良いの! ふぎっ……っっってぇなぁって!!! オイ!!!」
「僕に怒るなよやったのは自分だろ!?」
「おめぇのせいでこんな痛い思いしてんだろって! ごめんなさいは!?」
「ご、ごめんなさい」
「言えんじゃんか……」
 まりんが僕の手を取って、口を近づけていく。
 唇が僕の手のひらに触れようかというとき、ふと止まって。
「……ねえ、コレ告白?」
「ああ」
「……婚約?」
「ああ」
「……そっか」
 「ふぅーん、ふぅーん」などと言いながら小さく一人で笑うと。
「………………ちゅ」
 まりんの血に濡れた唇が、僕の手に触れた。
 雲が晴れ、暑い日差しが再び照ってくる。
「……これで、不死身になったのか? 僕は」
「そうなんじゃない? 知らね」
「……それじゃあ、これからもよろしく」
「……うん」
「なんだ、しおらしい。まさか照れてるのか? あれだけショッピングモールへ行った時にクソ腹いてぇからうんこさせろと人のことを急かしておいて―――」
「死ねッ!!!」
 まりんのヒレに叩き潰されて後頭部から落ちた水の中から見えたのは、カンカン照りの太陽がゆらゆらと揺らめく眩い水面と。
 まりんが、「ばーか」と言ってニヒヒと笑った顔だった。
 
 ………………。
 
 …………。
 
 ……。

END

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?