日記・失う日
私が丹精込めて伸ばしてきた髪の一部が、知らない人間の知らない技術とその技術が従う法則によって私から奪われていくのを、鏡越しに眺めている時間が 今日 あった。 私って髪切り屋さんで過ごす時間が嫌いだ。言わなくてもわかると思うけど。
私が美容師に出した希望が、私の意思決定の脆弱さと美容師の意思によって徐々に形を歪められて原型を失っていく...... 本当にそういうことを考えながら毎度髪を失っている。 髪を切る前に自分の髪質のほぼ悪口みたいな説明を聴いて、私はこの髪が好きなのに と思う。私は思ってもいないのに 毛量を減らすように と命じる。
髪切り屋さんでは髪を洗うパートがあり、私の利用している髪切り屋さんではそのパートをまだ充分に技術を習得できていないのかもしれない、若いアシスタントの人間が行う。髪を洗っている間、奴隷制度のことを考える。中世、西洋の髪切り屋さんでは奴隷が髪を洗うパートを担っていたに違いない と思う。いずれこのアシスタントの人間さんは、もちろん順調に事が進めば、だけど 客の髪を切ることだけに専念したり、独立して店を構えたりするんだろうか。 奴隷は老いてもなお客の髪を洗い続ける 今よりも劣った道具を使って、髭を剃ったりするかもしれない。加齢によって震える手が、いつか誤って剃刀の刃で客の顎に傷をつけるかもしれない。老いた奴隷は激怒した客によくて痛めつけられるか、悪ければ...... 考えていたらシャンプーの匂いと頭に触れる手の感触が歯科医で、歯科助手によって行われる歯磨きに似ているように感じた。思えばアレも中世では奴隷が担う仕事だろう。
頭をアシスタントの人間さんが洗っている最中、瞬間光が、よくわからない室内装飾に当たり、よくわからない複雑な屈折の後、私の目に届いた。なんだか私は物悲しい気分になってしまって、私が死ぬときは、よく分からない機械や論理、ルールに従って死ぬのだな と思った。理屈を納得させられるのも怖いし、分からないまま従うのも嫌だな と思った。かぎりなくソフトな、それは流線型に整えられたテクノロジー、のようで、奴隷制度の奴隷側に参加していたみたい でした。
髪洗うーが終わって、再び髪切りが始まって、それも終わりました。私はいつも通りその成果に不満を抱きながら鏡を見つめて、「これで実験は成功です。」みたいなことを言っている。
約束された成功の報酬として、私は髪切り屋さんにて、美容師さんから会計さんに役が変わったことを気にも留めずに報酬を差し出します。 うむ。褒めて遣わす。奴隷さんがお金を差し出して、会計さんが恭しく受け取ります。取引成功。私は髪切り屋さんを飛び出して、日差しの中に身を捧げて、失った以前の相貌を忘れ始めていました。さようなら。
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