日記 10/12

こんばんは。日記を書きます。息抜きとして文章を書くことを目指しているのですが、如何せん怠けてしまって罪悪感に駆られながら日記を書いています。
・こういうふうに箇条書きで書きたい気持ちもある。でも改行のときに気になるのと、・これを出すのがいちいち面倒くさいのでおそらくしない。
高校生活、友達がいないので休み時間に何も用がないのにトイレと教室を往復することがあるのだが、友達がいる人たちがトイレで集まりがちで困っている。友達がいるのだから堂々と教室で集まればいいのだが、それをしないのは教室ではできない話をするためだ。今日はあるグループがクラスメイトの名前を陰で弄って盛り上がっていた。多分男女どちらでもこういうことはあると思う。私は不快に思ったけれどとやかく言える勇気もなければ陰口を言うことを禁止することなんてできないので押し黙って手を洗っていた。ただ、君たちのしていることは決して悪いことではないけれど、品がないことだよと、そういうことを言いたい。今回に限らず。それは品が無いよ、お行儀が悪いですよ、と。でもそれすら言わないのだから私はもうとやかく言えない?誰かに教わる機会がなければ(その後行動に変化があるかは別として)その行為の客観的意味を知り得ないのだから。マナーを知らない人間がいたのなら笑うよりも先に教えるべきだ。マナーはそれを知らない人間を排斥するためにあるのではないのだから。
(このマナーの喩えはいまいちピンとこない。私の中の彼ら......品のない行為を(知らずに?)する人は堂々としているイメージだから。居直っているというより、そういった人が多いせいで彼らが前提の社会になっている気がする。これからは「品」の時代が来ます。心だけでも誉れ高く、貴く生きよう。)

今日は友人に誕生日を祝うメッセージを送った。メッセージと言っても無料のスタンプと遅れてしまったことへの言及だけだが(今思えばお祝いみたいなものに対する照れ隠しだなと思う)。
ちなみに友人の誕生日は1週間前だった。友人と書いたが、知り合いの方が正確だ(広い交友関係をもつ人なので、客観的に見てもおそらく)。とはいっても、中学校を卒業して3年の間に連絡を(ごくたまにでも)とっていた(くれた)数少ない人なので、1週間過ぎていたとしても連絡をとっておきたかったのだ。とても利己的な理由。以前に連絡をとったのが8月だったから、今送らなければこのか弱い交友は自然消滅してしまうだろうと思って、それが嫌だった。その友人に私は好意を抱いている。1つのメッセージを送れば2つの話題で返してくれるところが凄い。私との会話に興味をもってくれているのだなと安心させられる。
たとえそれが(無意識的な)戦略だとしても、まんまと私は嵌っているし、自分がしようと思ってもできない(実際にできなかった)ので尊敬している。(幸せになってください)
私とその友人との輪郭をなぞっていくような縁遠い関係でも私を満足させる力をもっているのだから、もっと親しい関係性の人間は、どんなに〜か、と思うのだ。(〜の部分がなぜか恥ずかしくて書きたくなかった)(2回目は括弧を外して言いますが、)幸せになってください

最近短歌をほんの少ししている。
相変わらず良いとされている短歌の良さがよく理解できずに的外れな、形だけを真似たものをつくっているのだが。それでも楽しい。自分の感情を表現する手段をもつのは良いことだと思う。ダンスができる人はダンスで、詩が書ける人は詩で良いと思う。どうにもならなさを何かに昇華できている(かもしれない)ということに救いを感じる。
悩んでいる中の選択肢が悶絶と自己嫌悪だったのが、逃避として短歌をつくるという逃げ道のような選択肢が生まれたというか。なので下手くそでも外部出力できているだけで上出来です。あと何かを生み出す行為が芸術家ぶれて良い。世界に貢献できた気がする(気がするだけでも、いい。)
そんなこんなで本当にゆっくりですが短歌をつくっています。短歌はなんと!自己承認欲求を満たすことにも使える(誰かに見られたらこの姿勢をこっ酷く批判されそうではあるが)のでなにかできたらみなさんにも見せます。そのときはたくさんいいねをしましょうね。

今日の日記は長い。書いているうちに今日(明日)になってしまった。寝ると明日(今日)が来る。
長い上に無駄な括弧と読点が多い文章を最後まで読んでいる人がいるのかは分かりませんが、私からは不思議なことに仮想の存在である読者、つまりあなたに感謝をしています。たとえ0人でも。
別にあなたに向けて書いているわけではありませんが、ここに公開している時点で自分以外の誰かに見られているという前提で書いているので。
誰かを意識していることが私の文章に影響を与えているのか知りませんが、1人でメモアプリに書き連ねるよりかは意味のありそうな気がします。
意味はないかもしれません。それはこの文章におけるあなたにも。さようなら。

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