日記をね 2月


日記です 
最近は再びラジオを聴くようになって今度それについて書きます。
最近は諦観のような感じで落ち着いています。こう言葉にするとカッコつけています。ギリギリです。ギリギリで落ち着いています。嫌なこともあります。

Twitterの話をします。常にTwitterではほぼ全てのことが言及されています。
ずっと何かしらの事に言及しているアカウントもあって、見ていて疲れます。批判的な思考の癖は良いことではある、のですがそれが自らに向いていないのも歪んでいる気がします。と言ってもこれは間違っていて、彼らが既に自己言及を済ませている・している最中なんだ、と思います。思い込みです。絶えない自己言及を他者にも適応しているだけという可能性。もしくはそんな本気で言及しているわけではないのかもしれません。一ヶ月後には本人の忘れているような問題提起な気もするのです。娯楽、というと今度は私が彼らを批判しているようですが。

インターネットの話をやめます。あなたたちを(私を)外に連れ出してあげたい。今日の夜、晴れた空に小さな雲があって良かったです。最近は私や私以外の感受性について気になっています。

さらに遡ります。母方の実家に行ったとき普段はケージに入れられているらしい猫がポトポト歩いていて撫でることができたことを思い出しました。動物に触るのは少し怯えてしまうので、あのとき少しずつ自然に触れるようになっていった感覚が不思議に思えます。 私の中で猫といったら外で見かけるもの、素早くて近づけばするりと離れていくものだったので、私が触っていることもあまり意に介していないようなあの猫がことさら印象に残っているのかもしれません。
猫の話をしたので、日記を終わります。もう2月です。節分が好きです。 さようなら。

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