日記・パスタ

今日は15時間も寝て、9時に起きて、かなり長い間ぼーっとしたりゲームしたりして、少しやることをやって、気分転換に料理をしました。

パスタ のソース?を勘で作ったわけだが そういうの初めてだったので まあまあな味。
そういうの初めてだったけど、世の中にはそういう初めての物事からいろんなことを吸収している人々の多いこと。私は次もおんなじ様にあたふたして、おんなじ味のパスタソースをつくるだろう。

ただ次がひき肉を入れると決めたので、私みたいなやつでも少しずつは進歩して学ぶのかもしれない。その次は蜜柑のゼリーを入れて、一歩後ずさって学ぶのだ。希望的。

日記として残したいことがあったのだけれど忘れてしまった。日記として書くことも本当はそのことがあった瞬間にすぐ書きたくて、それは嘘になっちゃうから(嘘になっちゃうから?)ではなくてこのように普通に忘れてしまうから。

ツイッターを続けていると思考形式がどんどんツイッターの器の形に似てきてしまう みたいな意見を見聞きしてきたし、自分でもそう考えたことがある。日記を続けていたら日記に書きやすい思考形式に出力するようになるだけで、逃れられないこと のように思えるのだけど、私が怖いのは思考形式が歪められることよりもそれが浅慮で単純に(気づかない間に)なってしまうことだと思う。単純で浅慮な思考形式そのものに思考内容の善悪とかはないんだけど。ふうん。

料理 の話に立ち返るんだけど、砂糖ってあの大きい袋に空気の入り込む余地がないように詰められた形でしか販売されていないわけ?あの容器をゴリゴリすることで粉チーズや塩(岩塩?)、胡椒を出す容器に砂糖を詰めて販売するわけにはいかないの ですか?私砂糖を使いたいときにあの大きくて重い袋から適量 またはより小さい容器に入れる分だけ 取り出すなんてしたくないのですけど。

ここに書いたり、書かないことを選んだりしたけど私は他にもいろんなことを考え、忘れ、暮らしています。不安や希望、怒りに愛 など。
さようなら。

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