メモ

メモ というのは、忘れないように要点を書きとどめておくこと(私の書いたものではない文章より)
忘れたくない とは度々思っているけれど、これが忘れたくないものかはわからない 小説と 小説の著者が書きたいものが 完全な一致をすることは稀、もしくは不可能で、 私は小説を読んでいるとき、自分のことばかり考えている。

知らないこと→歯医者のセカンドキャリア

たくさんの中から自分に合ったインフルエンサー 権力者を見つけてそれを自分だけのブレンドで 楽しんでください という気持ち

物語、ないしエッセイを書きたい と思っていて、→
(思っているだけなのでその書く内容も定まっておらず、したがってアドバイスなどをされてもそれは私には活かせなさそうなのですが)

→その文体 というか 書き方みたいなものを悩んでいる。 私がnoteに残している文章は読点や空白(スペース?)を頻繁に使ったりして、これは現実の私なら現実の場面で無意識に使うことは無さそうな文体なの、です なのですよ。(インターネットも現実)

これはインターネットの私も少し色気で使っているというか、かわい子ぶっている節もあるので、 どうなんだ と思っている。私の文章を多くの人に読ませたいなら常識的な(範疇の)文体で書いた方が効果的そう だし、この文体とその文章内容が不可分なものでなければ これはただの私の癖、で文書内容においてはノイズにしかなり得ないとも思う。(その理屈は、もちろんこの文章群にも当てはまるのですが。)

主にエッセイのようなものを書くならそれはこの癖は必ずしも非難されるものではないのかな とは思うのですが、物語を書き、そしてそれが私自身を投影したものでない場合にはこの癖は回避すべきものになるのだろうな とひとまず思いました。

あのーここから 日記で、最近買ったラジオの恩恵について書きます。

今はスマホでラジオ番組が聴けて、しかも1週間の間なら録音の必要なくいつでも、好きな番組が聴ける......わりにはスマホを手にしてからラジオを殆ど聴かなくなった。スマホを使えばラジオよりも刺激が多いものを享受できるからだ と私は推理しています。

スマホで事足りえて笑えるな、という考えで小さいラジオを買いました。時報とかで時間感覚が取り戻せて意外と便利です。電池で動いています。可愛くはありません。

日中の間のラジオ番組はかなり薄い内容で、どうでもいいので流し聴きに向いています。VTuberや動画配信者の、平坦に進んでいく長時間配信を見て、これに意識をずっと向けているのはキツいな と思っていたのですが みんな流し聴きのような感覚で楽しんでいるのかもしれません。

幼少は親や祖母の運転する車中でラジオ番組を聴いていて、そのときには通信販売のコーナーも意外と好きでした。 不揃いの梅や健康食品、出汁パックや美容用品など、様々な、しかしどこか偏っている商品が(聴取者を対象としているのですから当たり前なのですが)、定まったフォーマットで紹介されていきます。毎日、あるいは何年もマイクに向かって同じ方式で同じような商品を紹介されいくのを思うと恐ろしくも思っていました。販売者の紹介の素人っぽさも 良いです
あれで商品を買ったよ という人がいれば教えて欲しいでず。純粋な興味として。さようなら。

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