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周囲の意見

僕は周囲の意見に対して耳を傾けることは基本的にはしないようにしている。提案やアドバイスに対し、腑に落ちれば受け入れるし、興味が無ければ無視をするようにしている。刺激的な主張に感じてしまうかもしれないが、そうしないと仕事をするうえで身が持たないからだ。これも立派な勇気だと思う。基本的には自分で決めることを大切にしている。そのスタイルは学生時代から何も変わっていない。振り返ると親から進路に対して意見された記憶もない。高校時代には学校には通わずにサッカーとアルバイトに明け暮れた。サッカー部に入れば、親のお金でサッカーが続けられることは知っていたが、それに対しての違和感を覚えていた。理由は、決してインターハイを目指せるような部ではなかったことと、サッカーに情熱を注いでいる生徒が少なかったからだ。どちらかというと授業の成績で大学進学を目指している生徒の方が圧倒的に多かった。そんな環境に嫌気が指していた。これは周囲の環境のせいにしている内容ではない。僕もプロサッカー選手を目指せるほど上手くはなかったが、真剣にサッカーと向き合いたいと考えていたからこそ、昼は酒販店のアルバイトでお金を稼ぎ、夜は社会人チームでサッカーに明け暮れる日々を送った。良し悪しは別として学校にはほとんど通わなかった。人のお金でサッカーをするほどまでに、自分の可能性を信じていなかった。だから、ユニホームやスパイクは自分で稼いだお金で用意する必要があると感じていた。小学生や中学生の頃にトレセンに選ばれていたりすれば、親のお金でサッカーを続けていく主張は通るとは思うが、そうでなければ進路に対して真剣に考える時期であると感じていた。それならば、退屈そうな顔を浮かべて授業に出席するのではなくて、何を職業にするのかのイメージを浮かべるために時間を割こうと考えた。この体験が確実に活きていると思う。高校を卒業できるかという不安を感じながらも、アルバイトに通い、やりたいサッカーに打ち込む日常のなかで、言い訳をせずに「自分で決める」習慣がついたからだ。また、「他責ではなく、自責で生きる」感覚も、自分のなかで完全に身に付いた。何を伝えたいかと言うと、他人や環境を理由にせずに自分の人生を歩んでいく覚悟を持つことこそが、次の時代において必要なスキルだということだ。親に言われたからとか、友達もそうしてるから、という他責ではなく、自分の人生は自分のものだからこそ、自分で決めて行動する。責任を持ちながら、自分を貫いていく強さが必要だと思う。もし、人のお金で適当にサッカーをしていたとしたら、僕は大切なことに気付けなかったと思う。そして、厳しい環境に身を置くことも美化されがちだか、僕はそうは思わない。自分で責任を持ちながら行動が出来れば十分だと思う。なぜなら、現代社会は自分で決めたことを貫くこと自体が難しい環境になっているからこそ、「貫く」、それだけで尊いことだと感じている。強豪の野球部に入部して、監督の言われたことを3年間続けることよりも、自分で人生をデザインして、継続的にチャレンジしていく方が価値があると思う。周囲の声に耳を傾けるよりも、自分自身の心の声に耳を澄ませて、信じて行動する勇気を持つことが重要なのだ。

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