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若者の主張

2022.5.27

僕は若者に人気な場所を訪れるのが好きだ。東京ディズニーランドやチームラボなどの商業施設に興味がある。美術館や展覧会などにも積極的に足を運び、感性を磨くことも大切にしている。尊敬する経営者に本気で遊ぶ必要性について説明してもらった経験があり、その話がかなり腑に落ちた。僕自身も経営者という立場で仕事をさせてもらっている以上、感性を磨くことから目を逸らすことはできないのだ。若者のイメージとは程遠い日本酒業界に身を置いている以上、若者の感覚を忘れずにいたいという願望がある。それが確実にサービスの向上にも繋がってくるという自負もある。なぜ、多くの人が惹き寄せられるのかをボーっと考えていると、あっという間に時が過ぎていく。それが本当に有意義な時間なのだ。利用者の気持ちになることが、提供するサービスを磨くことにも繋がるから面白い。若者の動機について考察し、研究することが会社としての未来の投資になる。感性を磨くことで、美的感覚を養い、何かを生み出す原動力にする。そして有意義な休日として、リフレッシュにもなる。これからの時代、ビジネスパーソンにとって芸術の教養が必要不可欠になってくると信じている。日本人は芸術やアート作品を難しいものだと決め込んでしまう傾向があるそうだ。現代において芸術はグローバルな社会の共通言語として必要な教養になりつつあるのだ。日本の教育では芸術は受験に関係のない科目で、芸術に対して自由な発想や個性を抑制するような評価基準が日本の教育のスタンダードになっていることもあり、教養としての芸術は未だに根付いていない。次の社会では個性が尊重される時代に突入し、自由な発想や独創性が求められるようになる。コンピューターの発達によって必要とされる能力は創造性のあるクリエイティブな技術へと変わっていった。僕は最近、小学生が描いた絵を鑑賞してガッカリした。そこに飾られている小学生の絵は対象物や構図が全く同じで、似たような色調で描かれていた。正しく写生していることが評価の対象となり、見本通りに作れることだけが必要な能力とされ、自由な発想や個性を抑え込まれる残念な教育を目の当たりにした。僕が中学生だった頃、美術の時間に校庭の風景画を描く授業があった。他の生徒は絵具を使って絵を描いていたのだが、僕は何を思ったのか校庭に生えている雑草の草汁で絵を描いた。絵具を無駄にしないで、校庭に存在するもので校庭を描くということに強い魅力を感じたのだ。振り返ってみると、僕が描いた校庭の絵は時代を的確にとらえた絵画としてSDGsや持続可能を表現する立派なアート作品だったと思う。クラスの秩序を乱した訳でもないので、美術の成績が「2」と低評価だったとしても満足だった。この経験からも僕は他人の評価軸のなかだけで生きたくはない。人生や仕事を通してさまざまな挑戦を重ねていきたい。実験をするような感覚で。失敗を恐れて殻に閉じこもるのではなく、自分が責任のとれる範囲でチャレンジし、人生を謳歌できたら満足だ。いくつになっても東京ディズニーランドを堪能できる大人で過ごせていたらと思う、今日この頃。

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