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「お金を払うことで吸収力が上がる」

2022.2.18

僕はお金を払うことで吸収力がUPすると信じている。例えば、どちらの状況のほうが学びの意欲が向上するのかという疑問。1つ目は「両親に学費を払ってもらいながら学校に通う」、2つ目は「アルバイトをして学費を稼ぎながら学校に通う」というパターン。僕は2つ目のパターンのほうが学習効率向上を期待できると思う。自らの経験からこの問題について考察すると、「誰かに御馳走してもらった日本酒」と「自分で購入した日本酒」のどちらのほうが味わいを鮮明に記憶しているか。僕の場合は「自分で購入した日本酒」の方が何倍も集中してテイスティングを行う。それはなぜなのだろうか。僕の考察では、「お金を絶対に無駄にしたくない」という感情が働くからだと予想している。「自分でお金を稼ぐ=苦労をする、時間を使う」という意味は誰でも抱く心情だろう。苦労や時間をかけて稼いだお金を無駄にしたくないという感情は誰もが持ち合わせていると思う。大勢の人が目標や目的を果たすためにお金を稼いでいて、計画的にお金を使う。そうなると、お金は努力の結晶という解釈ができる。その努力の結晶を削るのだから、お金を払うことは覚悟を持つという意味合いを持つと思う。お金を払うことで自己投資へと変わり、無駄にしたくないという感情が強くなることで尻に火が付き、その結果、吸収力が格段にUPするというメカニズムだ。だから僕は自分が興味のある内容は自分でお金を払わないと昔から気が済まない性格なのだ。でもその哲学を貫いてきたからこそ、スピード感を持ちながら酒販店を運営し、酒米を栽培できているのだと思う。もし、誰かの熱心なサポートのなかで活動を続けていたらと想像すると現在の自分は間違いなく存在していなかったと思う。それは、お金を稼ぐことにも大きな責任が伴うし、お金を払うことにも大きな覚悟が伴うということなのかもしれない。角度を変えてみると、次のような解釈もできるのかもしれない。それはお金を使える人は何かを吸収する覚悟を持ち合わせた人で、成長を遂げようと努力を積み重ねている人だということ。支出をすることは必ずしも悪ではなく、誰かを喜ばせたり、相手に対しての期待の証で、お金という時間を削ることで想いを紡いでいくという、その人なりの決意の表れなのかもしれない。だからこそ僕も多くの人にお金をかけてもらった分、誰かに恩返しをしたいと考えている。高校時代にお世話になった社会人の先輩が伝えてくれた大切な言葉がある。それは、「先輩に奢ってもらった分は、後輩に奢ってあげればいい」という内容で、自分が社会人になってからもその言葉をよく思い出す。今振り返ると、その先輩も後輩をサポートすることで自分に発破をかけていたのだと思う。それは、反対の立場になったからこそ理解できたことだ。本当に素敵な先輩だったし、今でも感謝している。僕は高校時代、同世代よりも社会人と過ごす時間のほうが圧倒的に長かったこともあり、同世代と比較しても金銭感覚や礼儀について経験を積むのが人より早かったのだと思う。その経験が確実に今の仕事にも活かされているのだと実感する。この経験を積んでいなかったら確実に社会の壁にぶち当たり、苦戦を強いられていたと想像している。金銭感覚やお金に対しての性質を正しく理解することで、暮らしの豊かさみたいなものは向上してくると信じている。

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