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若手の盆栽職人

2022年、夏。国道14号の一之江橋を車で走行中に「春花園 BONSAI 美術館」の看板が目に留まった。突然、盆栽に対して興味が湧いたのか、私は駐車場に車を停めて入館料を支払い、数々の名樹を眺めることにした。盆栽に対しての知識は皆無に等しかったが、歳月が生み出した圧倒的な世界観に引き込まれてしまった。その日は暑い夏の日差しのなかで、耳障りな蝉が力強く鳴いていたのだが、日本情緒の溢れる美しい建築と盆栽がつくり出す風景は、しんとした空気と独特の緊張感で覆われていたと記憶している。この空気感は何とも形容しがたいのだが、若者が高級腕時計店や高級服飾店に何も分からず入店してしまった気まずい感覚に似ているかもしれない。盆栽職人たちは夢中になって仕事をしており、盆栽が幾らで売られているのか、相場も分からない若者が解説を要求していいような雰囲気では無かった。私が困惑していると、見習い盆栽職人が「僕が案内しますよ!」と声をかけてくれた。やんちゃ坊主な性格で整った顔立ちの彼の境遇について興味を抱いたので、なぜ一流の盆栽職人を志しているのかを質問してみた。すると彼は、「日本一の盆栽職人になり、 伝統文化の美意識を発信していきたい。」と答えてくれた。また、青山学院大学を卒業して盆栽の世界に飛び込んだ話や大学の体育会サッカー部に所属しながら、サッカー選手を本気で目指していた話などを伺った。聞いているうちに、気が付くと樹齢500年の盆栽よりも彼の将来が盆栽の世界にとって、どのような物語を紡いでいくのかという方向に興味が移っていった。私は夢を語ることは恥ずかしく、憚られる現代の風潮に嫌気が指していた。その反面、自分自身も屈していた部分もあったので、彼の真っ直ぐな目で夢を語る姿勢に襟を正される思いになった。そして、堂々たる23歳の彼は6年間にも及ぶ、一見過酷にもみえる徒弟制度下での修行を選択しながら、盆栽に全てを賭けるという大きな決断を下す姿に共感を覚えた私は、小説家の色川武大氏の名言である「大きく勝つには、大きくバランスを崩すことだ。その勇気がなかなか出ない。」という言葉からも、何かに没頭し、極端に偏った環境を創り出していくことが成長への近道であるとも考えている。これは根性論というような古臭い話などではなく、これでもかというまでに目標に対して時間を掛けないと到達できない領域があるのではないかと想像する。そして彼の盆栽に対する飽くなき情熱で日本の伝統文化の魅力を社会に対して再発信していくという目標は、私の日本酒に対しての仕事と共通点があった。「弟子のなかで最も夜遅くまで作業を行うようにしています。」彼の誰よりも努力する姿勢を見習いながら、私も現状に満足することなく結果を追求していきたい。今回の「縁」は未来への希望を買ったともいえる。実際に美しい盆栽を購入したことよりも、豊かな人間関係を築けることに感謝している。盆栽も日本酒も人がつくり出すものである。4年後の彼はどのような盆栽職人になっているのだろうか。今から楽しみで仕方がない。

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